第73話 籠を背負って
朝、籠を背負うと、昨日とは違う場所が背中へ当たった。
ハルが直した底だった。
振り返っても見えない。
肩を動かす。
もう一度。
入口でハルがこちらを見ていた。
俺が背中を指すと、ハルは手招きした。
肩紐を少し緩める。
籠の位置が下がった。
当たらなくなる。
「助かった」
ハルは縁を引き、確かめた。
それから俺の肩を軽く叩いた。
外ではトワが待っていた。
籠を背負った女が二人。
一人は、俺たちに寝床を分けてくれた女だった。
彼女は家の中へ声をかけた。
エナが返事をする。
ユイのそばに座り、水の器を手元へ寄せていた。
俺も中を見る。
ナギはまだ眠っている。
炉の脇では、昨夜使った椀が伏せられていた。
今日は、あそこへ戻すものを持って帰りたかった。
*
セトは集落の端にいた。
トワと短く話す。
俺の籠を見る。
次に、掌。
俺は指を開いて見せた。
傷は乾いている。
強く握らなければ、昨日ほど痛まなかった。
セトは籠の低い位置を叩いた。
そこまで。
昨日と同じだった。
「分かってる」
頷く。
籠を満たせば、帰りに誰かへ背負ってもらうことになる。
それは避けたかった。
トワが歩き出した。
俺も続く。
セトはついてこなかった。
森へ目を向け、槍を持ち直した。
*
斜面を上がるにつれて、川の音が遠くなった。
葉の下は湿っている。
俺は木の根へ足を置いた。
滑らないところを選ぶ。
前を歩く女は、短い棒で落ち葉を動かしていた。
ときどき、屈んで何か拾う。
俺も見る。
小さな木の実だった。
集落で見たことがある。
食べる前に、割って分けていたものだ。
女が木を指した。
幹は太かった。
顔を上げると、枝の間にまだ実が残っている。
俺は籠を下ろしかけた。
女は歩き続けた。
拾う場所は、まだ先らしい。
*
道が、木で塞がれていた。
大きな倒木だった。
根についた土が、横向きに持ち上がっている。
その下に細い枝が重なり、葉が絡まっていた。
女が止まった。
トワが前へ出る。
木の向こうを見る。
俺も覗いた。
上を越えられそうに見えた。
籠がなければ。
トワは幹へ手を置き、軽く押した。
動かなかった。
だが、足元の枝は沈んだ。
彼は首を振り、上の斜面へ向かった。
女たちも続く。
俺は籠の横幅を見た。
空でも、引っかかれば進めない。
持ち上げた根の上を通るのはやめた。
遠回りをする。
倒木の向こうへ出たころには、息が上がっていた。
*
そこには、木が何本もあった。
女たちが籠を下ろす。
俺も下ろした。
ようやく、拾う場所へ着いた。
そう思った。
地面には実が少なかった。
泥の筋が、木々の間を抜けている。
葉が片側へ寄り、小枝が同じ向きで重なっていた。
水が通った跡だ。
女は棒で葉を払った。
一つ拾う。
また払う。
次がない。
もう一人の女が少し離れた場所を探した。
トワも斜面の下を見る。
誰も、すぐ籠へ実を入れ始めなかった。
俺は足元に一つ見つけた。
大きい。
丸く、殻もきれいだった。
拾って女へ見せる。
女が受け取った。
手の中で重さを確かめる。
近くの石へ当て、割った。
中が黒かった。
小さな穴もある。
女は俺へ見せた。
次に、もっと小さい実を取る。
こちらを割ると、中身が詰まっていた。
俺は二つを見比べた。
「見た目で選ぶと、駄目か」
女は大きいほうを俺の掌へ戻した。
軽かった。
持ち上げたときには、気づかなかった。
籠へ入れる前でよかった。
*
しばらく探した。
俺は拾うたび、女へ見せた。
頷かれたものだけ入れる。
首を振られたものは、足元へ戻した。
少しずつ、殻の色や重さを見るようになった。
それでも、籠の底はほとんど隠れない。
女たちの籠も同じだった。
トワが空を見る。
もう一人の女と話した。
上の斜面を指す。
移動するのだろうか。
俺は泥の筋へ目を戻した。
ここに落ちた実が、全部なくなるわけではない。
水に流されたなら、どこかへ寄っている。
泥の筋は下へ続いていた。
その先に、低い倒木があった。
水は幹の下を抜けたらしい。
枝の分かれたところに、葉が詰まっている。
その中で、丸いものが見えた。
俺はトワを呼んだ。
「トワ」
指す。
彼が近づいた。
女も来る。
俺はその場から動かず、葉の隙間を示した。
トワが棒を差し入れる。
濡れた葉が剥がれた。
実が二つ、転がり出た。
女がしゃがんだ。
さらに葉を寄せる。
今度は、五つか六つ。
俺は思わず籠へ手を伸ばした。
女の手が上がる。
待て。
止まった。
*
女は泥の中から一つ取った。
殻を押す。
指が沈んだ。
割ると、中身が崩れた。
次は穴が開いている。
その次は、殻の隙間から変な匂いがした。
俺は籠から手を離した。
集まっていることと、食べられることは違う。
女は幹の低いところを探すのをやめた。
少し上。
枝の股に引っかかった葉を外す。
そこから落ちた実を割った。
中を見て、もう一人の女へ渡す。
二人が短く話した。
頷く。
こちらは残せるらしい。
トワが棒で幹の裏を探った。
実が鳴った。
まだある。
女たちが籠を寄せた。
*
俺は落ちてくる実を受けようとして、やめた。
掌へ当てれば痛い。
足元に落ちたものを拾う。
濡れた葉の上へ一つずつ置いた。
女が確かめる。
残すもの。
割って見るもの。
捨てるもの。
置く場所が三つに分かれた。
俺もその並びに合わせた。
泥のついたものを、きれいなものへ混ぜない。
迷ったら、真ん中。
女はときどき俺の置いたものを移した。
そのたびに、何が違ったのか見る。
トワが上から実を落とす。
もう一人の女が枝に詰まった葉を外す。
俺は拾って並べる。
最初は泥しか見えなかった場所に、少しずつ実が増えた。
*
トワが棒を下ろした。
肩を回す。
女たちも手を止めた。
俺は残すほうの実を見た。
籠の底を覆うくらいはある。
女が数個、割って確かめた。
全部が同じではなかった。
駄目なものも混じる。
それでも、残るものがあった。
俺は籠を寄せた。
女が止める。
中を指した。
さっきまで拾った実が、底に入っている。
こちらは泥で湿っている。
俺は二つを見た。
葉で分けようとしたが、持っていた葉は濡れていた。
女が自分の籠を示す。
底に敷いた樹皮を持ち上げ、もとの実を俺の籠へ移した。
濡れたものは、空いた籠へ。
帰ってすぐ、別に広げるのだろう。
俺は自分の籠を持ち上げた。
少し重くなった。
女が背負わせる。
肩紐を引く。
俺がまっすぐ立つと、トワが底へ手を当てた。
セトに示された高さより、まだ下だった。
トワは何も取り出さなかった。
*
帰りは、倒木の手前で止まった。
来るときより荷がある。
女が上の斜面を見る。
遠回りの道は狭く、途中に枝が張り出していた。
トワは先に籠を下ろした。
枝を押さえ、女を通す。
次にもう一人。
俺は身体を横へ向けた。
籠が引っかかる。
戻す。
もう少し屈む。
今度は通った。
足を置く場所は、来るときに見ていた。
転ばずに下りられた。
木を回り終えると、女が籠を下ろした。
肩紐を擦る。
トワは遠回りした斜面を振り返った。
上を見る。
下を見る。
細い枝を一本折り、曲がり始める場所へ挟んだ。
女もその位置を確かめた。
この道を使うなら、荷を持って通れるようにしなければならない。
俺は籠の縁を握り直した。
まず、今日の分を運ぶ。
*
集落の煙が見えたとき、俺は足を止めなかった。
早く下ろしたかった。
背中は重い。
肩も痛い。
けれど、中身がなくなるよりはよかった。
家の女が先に声をかける。
何人かがこちらを見る。
エナが入口へ出てきた。
俺は家の前で膝をついた。
肩紐を外す。
籠を地面へ下ろした。
掌を挟まないよう、底を持つ。
ハルが入口から覗いた。
籠を見る。
手を伸ばした。
俺が寄せると、修理したところを押した。
動かない。
ハルは頷いた。
俺も頷いた。
「漏れてない」
籠の中を見せる。
ハルの目が、底から中身へ移った。
*
女たちは濡れた実を外へ広げた。
籠へ入れて運ぶ前にも選んだが、もう一度見る。
俺の籠の実は、別の敷物へ。
エナがしゃがむ。
一つ取る。
軽く振る。
女へ尋ね、置く場所を確かめた。
俺も隣へ座った。
一つ持つ。
重さ。
穴。
殻の傷。
真ん中へ置こうとしたところで、女が中を割った。
詰まっている。
残すほうへ移した。
次を取る。
今度は軽い。
女へ見せる。
割ると、中が空だった。
俺は捨てるほうへ置いた。
女が頷く。
朝よりは、分かる。
*
残った実が、浅い籠へ集められた。
一人が炉のそばへ運ぶ。
別の女が石を寄せ、殻を割り始めた。
乾いた音。
中身が木の器へ落ちる。
俺が背負ってきた分も、その中へ入った。
まだ食べられる形ではない。
このあとも手がかかる。
それでも、捨てるほうには行かなかった。
俺は空になった籠を引き寄せた。
背負うときより、ずっと軽かった。
ユイが寝床から見ていた。
俺は籠の中を見せた。
空。
ユイは炉のほうを指した。
俺は頷いた。
「そっちへ行った」
ハルが籠を取る。
肩紐の付け根を確かめた。
少し緩んだところへ、骨の道具を差し入れる。
俺は手を離した。
*
外でトワがセトを呼んだ。
倒木を避けたときの仕草。
籠を背負い、身体を横へ向ける。
枝に引っかかるところを示した。
女も話した。
肩紐を擦った場所へ触れる。
セトは上の斜面を見る。
集落の別の男を呼んだ。
男が歩いてきて、トワの話を聞く。
指した方向へ目を向けた。
俺は肩の赤くなったところを押さえた。
今日運べたから、明日も同じように運べるとは限らない。
ハルが籠を返した。
付け根は締め直されていた。
俺は入口の脇へ置いた。
トワがセトと男を連れ、もう一度森のほうへ歩き出す。
空の籠を一つ、持っていた。
その籠が枝に当たらず通れる道を、探しに行くのだろう。
俺は立ち上がりかけた。
女が短く呼ぶ。
木の実を一つ、俺の前へ置いた。
次に、殻を割る石。
俺は座り直した。
炉のそばで、また乾いた音がした。
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