↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
縄文に、未来人がひとり  作者: 北野風人
つながる世界

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
71/111

第71話 川へ持っていく籠

朝、ハルは籠の縁を握っていた。


昨日、底を直した籠だった。


女が中へ葉の包みを入れる。


ハルは編み目を確かめ、手を離した。


トワが持ち上げる。


底から何も落ちなかった。


ハルが短く呼び止めた。


トワが振り返る。


ハルは川のほうを指し、それからユイを見た。


眠っている。


昨夜は何度か目を覚ましたが、今は指も緩んでいた。


トワが頷く。


ハルは籠の縁へもう一度触れた。


俺には何も渡さなかった。


包みを開いたまま、しばらく考えていた。


やがて骨の道具を戻し、葉を閉じる。


自分のそばへ置いた。


*


セトが俺の掌を見た。


傷の縁は乾いていた。


だが、強く握ればまだ痛い。


俺が籠へ手を伸ばすと、セトは持ち上げてしまった。


代わりに、小さな器を指す。


水を入れた器だった。


抱えれば持てる。


トワが飲む仕草をし、俺を指した。


次に、自分とセト。


運ぶ役。


向こうでも、手が空いている者が一人いたほうがいいのだろう。


「分かった」


受け取る。


ミナは家に残った。


年老いた女も、ナギのそばにいる。


ウネが俺たちを見送り、森へ向かう道を指した。


セトが先に歩き出す。


トワが続く。


俺は器を抱えて、その後ろへついた。


*


川の音が聞こえる前に、見回りの男が戻ってきた。


セトが止まる。


男の脚には泥がついていた。


話しながら、手を斜めに滑らせる。


地面を指す。


首を振る。


セトは昨日の図を描かなかった。


短く尋ね、返事を聞くと、そのまま道を変えた。


少し先で、木々の間から川が見えた。


岸が欠けていた。


草のついた土が、大きな塊のまま傾いている。


その下を濁った水が流れていた。


道だったらしい細い場所は、途中でなくなっていた。


俺は足を止めた。


ハルが枝で削った線。


あれは、このことだった。


トワが俺の袖を引く。


岸から離れる。


セトは見回りの男へ声をかけた。


男は頷き、川が見える手前の木のそばへ残った。


向こうの者が来たら、ここで呼び止めるのだろう。


俺たちは上へ回った。


*


二つの大きな石の間に、平らな場所があった。


川からは少し離れている。


水の音は聞こえるが、声を出せば届く。


セトが周りを見た。


トワは籠を下ろす。


俺も水の器を置いた。


落ち葉を少し払ってから、座る。


息を整えた。


ここまで誰にも腕を引かれなかった。


転ばず、蛇も踏まず、器の水もほとんど残っている。


俺の森歩きとしては、かなりいい朝だった。


トワが器を覗いた。


俺を見る。


水面を見る。


「減ったのは、飲んだからだ」


半分は本当だった。


*


声がした。


昨日の二人が、見回りの男についてきた。


先に立つ男は、平らな場所へ出ると足を止めた。


セトを見る。


川のほうを指して、強く言う。


セトが答えた。


見回りの男も口を開く。


泥のついた脚を指し、欠けた岸のほうを示した。


先の男はそちらへ顔を向けた。


籠を背負った男が、一歩前へ出る。


何か尋ねる。


見回りの男が頷いた。


二人は短く話した。


先の男の声が、少し下がった。


俺は器から手を離した。


場所を変えただけでも、相手には別の意味に見える。


連れてきた男がいなければ、最初から話がこじれていたかもしれない。


*


トワがハルの名を言った。


次にユイ。


向こうの男はすぐ答えた。


こちらへ引く仕草。


昨日と同じだった。


セトが首を振る。


足元を指した。


トワは腰を下ろし、片脚を伸ばした。


年老いた女がナギの脚を支えるときのように、両手を添える。


次にユイの名。


向こうの男が何か返す。


籠の男は黙って聞いていた。


やがて、こちらの籠へ目を向けた。


しゃがむ。


底の新しい編み目へ指を当てた。


「ハル」


トワが言った。


男が顔を上げる。


もう一度、底を見る。


口元が少し動いた。


籠を裏返しかけ、トワに止められた。


中に物がある。


男は手を離した。


俺は籠を二人の間へ寄せた。


葉の包みを取り出す。


木の実を少し。


乾いた魚を少し。


女が朝、入れたものだった。


トワが包みを開く。


先の男は手を出さなかった。


*


籠の男が肩の荷を下ろした。


籠の片側が潰れている。


底には泥が乾いてこびりついていた。


男はそれを示し、川のほうを指した。


手を大きく流す。


次に、魚の包みを出した。


昨日より小さかった。


俺は向こうの籠を見た。


彼らも、無事な場所から来ているわけではない。


先の男がハルの名を言う。


手を動かし、何かを編む仕草。


川の向こうを指す。


こちらへ引く。


働ける者に戻ってほしい。


俺には、そんな話に見えた。


トワはハルの名を返した。


足を指す。


セトも続ける。


声が強くなる。


向こうの男は黙らなかった。


籠の男が二人の間へ手を入れた。


ユイの名を言う。


寝る仕草。


食べる仕草。


自分の籠を指した。


先の男が振り返る。


二人の話は、昨日より長かった。


*


俺は水の器を取った。


トワの前へ差し出す。


トワは少し飲んだ。


次にセト。


飲み終えると、器を俺へ戻した。


向こうの二人を見る。


俺は器を持ったまま、少し前へ出した。


籠の男が手を伸ばした。


先の男が何か言う。


男は止まらず、器を受け取った。


一口飲む。


隣へ差し出す。


先の男はしばらく見ていた。


やがて槍を石へ立てかけ、両手で器を持った。


俺は空いた手を見た。


さっきまで、皆が槍か荷物を握っていた。


今は、一人が水を飲んでいる。


そのあいだだけ、声が止まった。


*


トワが魚を指した。


ユイ。


ハル。


ナギ。


三人の名を、順に口にした。


籠の男はナギの名を聞くと、短く答えた。


先の男もこちらを見る。


セトが話す。


ナギの足。


持ち上げる仕草。


トワ。


俺。


担架を運ぶときの形だった。


籠の男が俺へ目を向けた。


掌を見た。


俺は手を膝へ戻した。


トワがこちらの魚を少し分け、向こうへ置いた。


籠の男は、自分の包みから二切れ取った。


こちらへ置く。


数を数えるように指を動かす。


セトが首を振り、魚を返す。


向こうの男が、また強く言った。


俺は包みを見た。


食べ物を全部こちらへ寄せれば、向こうで困る。


全部返せば、こちらだけで三人を養うことになる。


トワが両方の包みを離した。


少しずつ、二つに分ける。


籠の男が量を見た。


一切れを戻す。


代わりに別の葉の包みを開いた。


木の実だった。


セトが頷いた。


話が、手の届くものになっていた。


*


寝具の話になったのは、籠の男が肩の獣皮へ触れたときだった。


ユイの名。


寝る仕草。


川の向こう。


また、こちら。


トワが頷く。


自分の寝床を示すように、地面へ手を広げた。


ハルとナギの名も出る。


先の男は首を振った。


指を一本立てる。


ユイ。


籠の男が答える。


今度はセトが間へ入った。


こちらの食べ物を指す。


向こうの包み。


寝る場所。


話が何度か往復した。


最後に、籠の男が自分の胸を指した。


川の向こうを示す。


荷を背負う仕草。


ここ。


トワがその手を追い、頷いた。


次も、この場所で受け取る。


俺は二つの大きな石を見た。


食べ物や寝具を渡す場所が決まれば、相手は集落の入口まで来なくて済む。


セトが地面を掌で叩いた。


向こうの男も、それを見た。


すぐには頷かなかった。


だが、別の場所を指すこともしなかった。


*


帰る前に、籠の男が何か言った。


ユイの名が聞こえた。


次に、知らない音。


トワが聞き返す。


男は同じ音を繰り返した。


胸の前に、小さい者を抱く形を作る。


先の男が口を挟んだ。


籠の男は答え、家のある方向を指す。


ユイ。


知らない音。


一緒に来る仕草。


トワがセトを見る。


セトは少し考え、男を指した。


次に、もう一人。


掌を二度、地面へ向ける。


場所はここ。


籠の男が頷いた。


俺はトワへ顔を寄せた。


「誰か、来るのか」


トワはユイの名を言った。


知らない音を返す。


それから、抱く仕草。


母親だろうか。


そう思ったが、口にはしなかった。


ここでは、分かったつもりになるのが一番早い。


確かめるのは、帰ってからでもできる。


*


二人が去ったあと、セトはすぐに荷を取らなかった。


森へ消える背中を見る。


見回りの男へ声をかける。


男が少し離れて歩き出した。


道を確かめながら帰るのだろう。


トワは包みを籠へ戻した。


朝より、少し重くなっていた。


底を確かめる。


編み目は動かない。


俺は水の器を持ち上げた。


こちらは軽かった。


「役には立ったな」


器へ言う。


トワが俺を見る。


中を覗く。


そして、自分の口を指した。


帰りの水が少ない。


そこまでは考えていなかった。


*


家へ戻ると、ハルが入口を見ていた。


俺たちの足音で、ユイも顔を上げる。


トワが籠を下ろした。


女が中を見る。


葉の包みを取り出す。


朝にはなかった木の実。


魚。


女はウネへ声をかけた。


ハルは食べ物より、トワの顔を見ていた。


トワがしゃがむ。


ユイの名を言う。


次に、あの知らない音。


ハルの手が止まった。


ユイが身体を起こしかける。


年老いた女が背中を支えた。


「エナ」


ユイが言った。


トワが頷く。


ユイはもう一度呼んだ。


今度は入口へ向かって。


ハルがその肩へ手を置いた。


笑ってはいなかった。


トワは二つの石を床へ置き、外を指した。


次に、自分とセト。


明日か、その次か。


そこはまだ分からない。


だが、誰を迎えに行くのかは決まっていた。


ハルは膝の籠を脇へ置いた。


ユイの獣皮を直す。


そのあとで、トワを呼び止めた。


「エナ」


同じ名だった。


ハルは自分の胸を指した。


トワを見る。


今度は、短く済ませるつもりのない声だった。

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。