第66話 縄の向こう
トワは、川の線の脇へ石を置いた。
その横に、小さなくぼみ。
指す。
「ナギ」
次に、自分の胸。
「トワ」
彼は細い縄を取り、片方を石の向こうへ伸ばした。
ナギが手を出す。
縄を握る。
トワが引いた。
ナギは身体を動かさず、腕だけをこちらへ寄せた。
そこでトワが手を止める。
俺を見る。
「……それで引き上げた?」
縄。
川。
ナギ。
順に指すと、二人とも頷いた。
昨日の倒木より前にも、トワはこの男を助けていた。
そのときは、縄だった。
*
ナギが胸元の骨片を取り出した。
穴に通した紐を持ち上げる。
トワの首元を指す。
骨片をそちらへ寄せ、途中で手を開いた。
ミナが下へ掌を出す。
白い骨片が落ちた。
ナギはそれを拾う真似をし、自分の胸へ戻した。
トワが頷いた。
俺は骨片を見た。
「お前のだったのか」
トワを指す。
もう一度、頷いた。
彼はナギの持つ紐へ触れた。
首の後ろへ手を回し、ほどくような動きをする。
次に、さっきの縄を両手で引いた。
ミナが何か言った。
トワが短く答える。
俺には、何を言ったのかまでは分からなかった。
ただ、骨片は元々トワが持っていた。
救う途中で落ち、ナギが拾った。
二人の動きは、そこでは同じだった。
ナギが骨片を差し出す。
トワは受け取らず、彼の手を胸元へ戻した。
*
俺は骨片の紐を指した。
次に、地面。
岩の隙間を両手で作る。
「ここにあった」
ナギの目が俺の手へ下りた。
彼は短く何か言った。
年老いた女が答える。
ナギは首元の紐をつまみ、柱の端へ引っかけた。
身体を前へ動かす。
紐が張る。
そこで手を離した。
骨片が草の上へ落ちる。
ミナが拾った。
ナギはその草を指し、掌を伏せた。
隠れる。
次に、棚の外へ目を向ける。
指を口元へ当てた。
俺は岩の中で息を止めた夜を思い出した。
暗い隙間。
石へ擦れる肩。
足元まで確かめる余裕はなかった。
逃げ込んだとき、紐が切れた。
落ちたものを探せなかった。
俺はそう受け取り、切れる動きと、岩の隙間をもう一度示した。
ナギが頷いた。
それから左脚へ目を落とした。
ミナは骨片を彼の胸へ戻し、器を持ち上げた。
続きを話す前に、食べろ。
ナギは一口、口へ入れた。
*
棚の外で足音がした。
槍の男だった。
トワが描いた川を見る。
縄。
骨片。
男はしばらく黙っていた。
それから、川の上流へ小枝を置いた。
もう一本。
二本を並べ、ナギを指す。
声は低かった。
ナギが器を膝へ下ろした。
短く答える。
男は川の線を指でなぞった。
途中で横へ曲がる。
俺たちが通った岩の道に似ていた。
トワの手が伸び、小枝を止めた。
男が顔を上げる。
トワが何か言った。
男は答え、今度は集落の方を指した。
その先では、女が子どもを家へ呼んでいた。
俺は土の線を見た。
この道を、誰が知っているのか。
そういう話らしかった。
*
ナギが枝を取った。
自分の前に、小さな石を一つ置く。
「ナギ」
トワの前にも一つ。
次に、道の向こうへ二つ置いた。
見知らぬ誰か。
ナギは自分の石から、二つの石へ枝を伸ばした。
そのまま、岩の道をなぞる。
槍の男が短く言った。
ナギの手が止まる。
彼は頷いた。
俺はナギを見た。
「……教えたのか」
自分を指す。
二つの石を指す。
道を示す。
ナギは俺の動きを見て、もう一度頷いた。
トワは何も言わなかった。
槍の男も、そこでは口を挟まなかった。
ナギが道を知らせた。
少なくとも、それは二人とも否定しなかった。
*
俺の中で、昨日の槍が動いた。
岸の上で草を押し分ける男。
岩の入口まで届いた声。
集落の前で、道を塞いだ槍。
俺はナギの脚ばかり見ていた。
だが、この男は道を見ていたのだ。
誰かを助ければ、そこへ通じる場所も知られる。
俺は土の線の端へ指を置いた。
集落の方を指す。
槍の男が頷いた。
ナギが何か言った。
今度は少し長かった。
途中で息が途切れる。
ミナが器を取った。
ナギの肩へ手を置く。
それでも彼は、二つの石を指した。
次に、口元。
片方の石を道へ近づけ、もう片方を脇へ置いた。
俺には、そこから先が分からなかった。
なぜ教えたのか。
誰に頼まれたのか。
その者たちが、岸で見た男たちと同じなのか。
分かったふりはできなかった。
*
年老いた女が、ナギの手から枝を取った。
彼の背中へ草を足す。
肩を押し、少し寝かせた。
ナギは反抗しなかった。
汗がこめかみを伝っていた。
トワが器を持ち、彼の口元へ寄せる。
ナギは一口飲んだ。
槍の男は土の線を見たまま立っている。
やがて、ナギが右手を上げた。
道を指す。
自分。
棚の外。
二本の指を歩かせる。
トワがすぐに手を押さえた。
首を振る。
左脚を指した。
ナギは目をそらした。
俺にも、今度は分かった。
自分で行こうとしている。
教えた道を、確かめに。
「今は無理だろ」
俺は担架を指した。
次に、ナギの脚。
ナギの手が下りた。
*
槍の男がしゃがんだ。
二つの石を、そのまま置く。
自分の前へ、小枝を一本。
集落の方へ目を向け、誰かを呼んだ。
別の男が来る。
槍を持っていた。
二人が道について話す。
トワも加わった。
岩の線。
川を渡る場所。
戻ってくる方角。
指が順に動く。
ウネが棚の外へ来た。
話を聞き、土を見る。
一つ尋ねる。
槍の男が答えた。
ウネはナギへ目を向けたあと、トワを指した。
次に、寝床。
トワは頷いた。
残る。
その役目は変わらないらしかった。
ウネが二人の男へ短く言った。
一人が槍の柄を握り直した。
すぐには出なかった。
日が沈みかけている。
指した空と、東の方から、朝を待つのだと俺は思った。
*
槍の男は立ち上がり、棚を出た。
俺は土の線から顔を上げた。
話は終わったのだろうか。
許されたのか。
それは分からない。
ナギも男の背中を見ていた。
ミナが草を胸元へ寄せる。
彼は骨片を草の内側へ入れた。
俺は膝に置いた縄を巻いた。
さっき、男とナギへ両端を渡そうかと思った。
握れば仲直りする。
そんな簡単な話ではなかった。
縄を横へ置く。
トワがそれを取った。
結び目をほどき、元の薪へ回す。
俺も束の端を揃えた。
片手で押さえる。
トワが結んだ。
*
槍の男が戻ってきた。
獣皮を一枚抱えている。
ナギの足元へ置いた。
ミナが広げようとすると、男は棚の横を指した。
風の入る方だった。
彼は獣皮の端を柱へ掛けた。
ミナが反対側を押さえる。
紐で留める。
風が弱くなった。
男はナギへ何か言った。
柔らかい声ではなかった。
ナギが頷く。
男は土の道を指した。
明日の話は、まだ残っている。
それから火へ薪を一本置いた。
立ち上がり、入口へ戻る。
槍を取り、森を見る。
俺はその背中に頭を下げた。
男が振り返った。
俺の掌を見る。
担架を見る。
少し顎を動かし、また外へ向いた。
*
ナギは目を閉じた。
眠る前に、トワの手へ指を伸ばした。
トワが握る。
ナギが何か言った。
トワは短く答えた。
その手が離れると、ナギの呼吸がゆっくりになった。
ミナも寝床の脇へ座った。
俺は火を見た。
救った人が、道を知らせてしまった。
その理由は、まだ聞けていない。
トワがもう一度助けた理由は、今日の手で少し分かった。
彼はナギを置いていかなかった。
だからといって、集落の心配が消えるわけでもなかった。
俺は薪を取ろうとして、手を止めた。
掌が痛い。
トワが先に取った。
火の端へ置く。
俺は細い枝で位置を直した。
炎が移る。
*
ウネが戻った。
手に小さな石を持っていた。
土に描かれた道の脇へ置く。
トワに話しかける。
彼は頷いた。
ウネの指が俺へ向いた。
「サエ」
俺は顔を上げた。
ウネは柱へ寄せた担架を指した。
明るくなる方の空。
次に、集落の奥。
担架を運ぶ。
明日も使う。
俺はそう受け取り、両手で持ち上げる真似をした。
ウネが頷いた。
俺はナギを見た。
眠っている。
ウネは彼を指さなかった。
土に置かれた二つの石へ目を落とし、それから森へ顔を向けた。
トワが担架を引き寄せた。
横枝を確かめる。
俺の結び目も、靴紐のところも。
その端を、俺の前へ置いた。
俺は痛む指を曲げた。
「……もう一人、いるのか」
トワは俺を見た。
二つの石のうち、一つを集落の外へ動かした。
もう一つは、道の向こうに残った。
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