第64話 帰るための枝
トワが目を開けたとき、俺の左腕は痺れていた。
肩から重さが離れる。
肘を曲げようとして、止まった。
指先まで、細かい痛みが走る。
「……ちょっと待て」
トワがこちらを見る。
俺は右手で左腕を持ち上げた。
彼の目が、腕から顔へ移った。
口元が少し動く。
「寝たのはそっちだろ」
トワは俺の肩へ手を伸ばした。
俺が顔をしかめると、触れる前に引っ込めた。
岩の隙間は薄暗かった。
外の砂が、青く見える。
夜の途中、年老いた女に膝を叩かれた。
入口を指し、自分の胸を指す。
交代。
それだけは分かった。
俺が目を閉じたのは、そのあとだった。
今も女は入口近くに座っている。
ミナはナギの横で、膝を抱えて眠っていた。
ナギだけが起きていた。
俺たちと目が合うと、胸元の骨片を服の内側へ戻した。
*
トワが外へ出た。
俺も立とうとしたが、掌を向けられた。
待て。
座り直し、肩をゆっくり回す。
少しずつ、指の感覚が戻ってきた。
ナギが右手を地面についた。
身体を起こす。
ミナが目を開け、背中へ手を回した。
彼は右膝を曲げた。
立とうとしている。
俺も近づいた。
ナギは俺たちに短く何か言い、ミナの腕を押し戻した。
右足に力を入れる。
腰が浮いた。
その直後、顔が歪んだ。
ミナが脇を抱える。
俺は肩を支えた。
二人で元の場所へ下ろした。
ナギは口を閉じたまま、鼻で息をしていた。
左脚を挟んだ枝は、ずれていない。
だが、足首の周りが昨日より腫れていた。
年老いた女が来た。
紐の下へ指を入れる。
結び目をほどき、少し緩めた。
それから足の指に触れる。
ナギが小さく動かした。
女は頷いたが、立たせようとはしなかった。
彼の肩を押し、草の上へ戻した。
ナギが岩の隙間を見る。
外へ出たいのは、俺たちも同じだった。
*
トワが戻ってきた。
槍の柄に、濡れた草がついている。
彼はそれを払い、入口近くの砂へしゃがんだ。
川の線を引く。
横に岩。
ここだろう。
少し離れたところへ短い線を二本描き、岸の上を指した。
次に、自分。
二本の線の間を通って、川上へ指を動かす。
線もそちらへ延ばした。
俺は昨日の大きな声を思い出した。
トワは姿を見せ、男たちを引きつけたのだ。
彼の指は川を横切った。
その先を回り、岩へ戻る。
途中で前腕の傷へ触れた。
血は乾いていた。
俺は砂の線を見た。
年老いた女が川上を指す。
トワは首を振った。
二本の線を指で叩く。
まだ、そちらに人がいる。
彼は森の方へ大きく迂回する線を引いた。
その先で指を止め、俺を見る。
俺たちの集落の名が聞こえた。
帰る。
分かった瞬間、腹が鳴った。
昨日から、ほとんど何も食べていない。
トワが俺の腹を見る。
俺は砂の線へ目を戻した。
帰る場所はある。
だが、ナギは歩けない。
*
昨日のように肩を貸して運ぶには、道が長すぎた。
ナギの身体を支えるたび、左脚が揺れる。
俺たちの足も、もう軽くはなかった。
入口の外に細い枝があった。
俺は拾い、砂へ置いた。
もう一本並べる。
間に短い枝を渡す。
トワがこちらを見た。
俺はナギを指す。
次に、並べた枝。
両端を持ち上げる真似をした。
トワがしゃがんだ。
横枝を一本、腰の辺りへ移す。
もう一本を脚の方へ。
年老いた女は中央へ掌を当て、下へ沈める真似をした。
隙間が広すぎる。
俺は敷いてある草を指した。
女が少し持ち上げる。
ばらばらに落ちた。
ミナが腰の紐をほどいた。
トワは槍を岩へ立てかけ、外へ出た。
俺も続いた。
今度は止められなかった。
*
岸に流れ着いた木を探した。
俺が拾った長い枝を、トワが両手で曲げる。
細い音がした。
戻される。
別の枝は、二本並べるだけで重かった。
トワは持ち上げてみせ、首を振った。
まだ人を載せていない。
俺も頷いた。
彼は少し離れたところから、同じくらいの太さの木を二本引き出した。
端を確かめる。
石刃で細い枝を落とす。
持つところを削り、俺へ渡した。
手に刺さる出っ張りがなくなっていた。
俺は横に渡す短い枝を集めた。
ミナは紐を継いでいる。
年老いた女の持っていたものも足された。
それでも足りなかった。
俺は靴を見た。
紐。
しゃがみ、片方を抜く。
ミナの前へ置いた。
彼女は持ち上げ、両手で引いた。
もう一度。
俺を見る。
俺はもう片方も抜いた。
立ってみる。
靴が少し緩い。
足の甲へ革を押しつけた。
「今日は走らないぞ」
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
ミナは二本の紐を持ち、横枝のところへ戻った。
*
俺にも結ぶ場所があった。
長い木と、横枝が交わるところ。
紐を回す。
下へ通す。
もう一周。
掌の傷に当たった。
持つ位置を変え、端を引く。
集落で子どもに教わったときも、最初は指の順番が分からなかった。
あの子は俺の手から縄を取り、何度も同じところを指した。
俺は結び目を押さえた。
横枝を動かす。
まだ回る。
もう一周足した。
今度は止まった。
トワが来た。
結んだところを握り、強く揺らす。
紐の端を締め直した。
それから、次の横枝を俺の前へ置いた。
俺は受け取った。
*
中央には細い枝を並べた。
樹皮を重ね、その上へ草を敷く。
ナギの左脚を置くところだけ、年老いた女が草の厚さを変えた。
添え木が横枝へ当たらないようにする。
空のまま持ち上げる。
下ろす。
ナギが近くの横枝へ手を伸ばした。
引いて確かめる。
トワに何か言い、もう一度揺らした。
今度は俺の結んだところだった。
俺は黙って見ていた。
ほどけなかった。
ナギの手が離れる。
載せるときは、全員の手が要った。
トワが肩。
俺が腰。
ミナが左脚を支える。
年老いた女が担架を寄せた。
少し持ち上げ、横へ移す。
ナギの指がトワの腕へ食い込んだ。
腰が下りる。
脚も下りる。
彼が長く息を吐いた。
俺は背中から手を抜いた。
*
最初に持ったのは、俺とトワだった。
彼が頭側。
俺が足側。
目を合わせる。
上げる。
重さが腰へ来た。
一歩出ようとしたとき、右の横枝が少し回った。
「下ろす」
俺は膝を曲げた。
トワもすぐに下ろした。
ミナがナギの身体を支える。
靴紐が、濡れた枝の表面を滑っていた。
トワが結び目をほどく。
俺は彼の石刃を借り、結ぶところへ浅いくぼみを削った。
深くしすぎないように、少しずつ。
トワが指で確かめ、端を広げた。
ミナが巻き直す。
引く。
ナギが横枝を揺らした。
動かない。
もう一度持ち上げた。
彼の顔を見る。
目は開いていた。
昨日、肩を貸して立たせたときのようには、歯を食いしばっていなかった。
*
森へ入った。
年老いた女が先を歩く。
足を置ける場所を示す。
トワが止まる。
俺も止まる。
枝をまたぐ前には、担架を少し上げた。
斜面へ入ると、前と後ろの高さを合わせる。
すぐには揃わなかった。
ナギの身体が傾く。
ミナが横から支えた。
トワが俺を見る。
俺は足を置き直した。
下ろす。
休む。
また持つ。
三人で場所を替えた。
ミナが入るときは、トワが頭側を持った。
俺は横について、ナギの脚と結び目を見た。
休むたび、年老いた女が足先に触れた。
水を少し飲ませる。
ナギは眠ったり、目を開けたりした。
目を開けると、まず俺たちの顔を見た。
それから、担架の端を握った。
*
道を回るだけなら、これほど時間はかからなかったのかもしれない。
だが、木の根一つでも足が止まる。
倒れた枝をどける。
担架を置ける場所を探す。
息が戻るのを待つ。
昼を過ぎても、まだ森の中だった。
俺が頭側を持ったとき、腕がすぐに重くなった。
トワは反対側で待っている。
俺は足を開き、握り直した。
頷く。
彼が上げる。
俺も上げた。
しばらく進む。
トワの肩がわずかに下がった。
俺は膝を曲げた。
担架が静かに地面へ下りる。
彼は振り返り、俺を見た。
俺は手を開いた。
指がすぐには伸びなかった。
トワがこちらへ来て、持つ場所を替わった。
*
見覚えのある木が現れた。
根元が二つに分かれている。
その先には、石の多い浅い溝。
川へ行くとき、ここを渡った。
俺は顔を上げた。
煙の匂いがした。
何かを焼いている。
犬の声も聞こえた。
ナギの横を歩いていたミナが、森の向こうを見た。
年老いた女も足を止める。
俺は担架を握り直した。
帰ってきた。
まだ家は見えない。
それでも、鼻と耳には分かった。
ナギが目を開けた。
右手が、胸元の骨片へ伸びた。
紐の結び目を指で確かめる。
岩の中でミナが継ぎ足したところだった。
彼はそれを服の内側へ入れ、前を見た。
*
木々の間に、男が立っていた。
槍を持っている。
俺たちの集落の男だった。
こちらへ来かける。
トワを見て声を上げた。
その声で、別の人影も動いた。
俺は息を吐いた。
手を借りられる。
ようやく、ナギを暖かいところへ運べる。
男の目が担架へ下がった。
ナギの顔を見る。
足が止まった。
俺は一歩進んだ。
男が槍を横にした。
トワも止まる。
ミナが担架の脇へ手を添えた。
男はナギを指した。
次に、俺たちの後ろの森。
槍を持ち直し、集落の方へ掌を向ける。
そこで何人かが、こちらを見ていた。
子どももいる。
男が強く何か言った。
ナギの名が聞こえた。
トワが答える。
男は森をもう一度指した。
俺も振り返った。
木々しか見えない。
だが、昨日の足音を思い出した。
追ってきた者がいる。
男は、それを気にしているのかもしれなかった。
ナギがトワへ短く言った。
トワは首を振った。
*
腕が震え始めた。
俺はトワを見る。
地面を示した。
「下ろすぞ」
彼も膝を曲げた。
二人で担架を下ろす。
ナギの脚が揺れないように、最後だけゆっくり。
俺は手を離した。
指を開く。
男の槍は、まだ横になっていた。
俺はナギの隣へしゃがんだ。
男を見る。
彼も俺を見た。
俺はナギの左脚を指した。
次に、集落から立つ煙。
男の目が傷へ下がる。
だが、槍は下りなかった。
ミナがナギの肩へ草を寄せた。
トワは担架の頭側に立っている。
誰も、持つところから離れなかった。
集落の方から、一人の女が近づいてきた。
手には水の器があった。
男が何か言う。
女は止まった。
器を見る。
担架の上を見る。
俺は立たずに待った。
やがて女は、槍のこちら側へ器を置いた。
水面が揺れた。
男はその手を止めなかった。
俺は器を受け取り、ナギの背中へ腕を入れた。
トワが隣にしゃがむ。
道は、まだ開いていなかった。
俺たちはそこで、ナギに水を飲ませた。
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