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縄文に、未来人がひとり  作者: 北野風人
つながる世界

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53/113

第53話 土の下の声

枝を踏む音が近づいてきた。


一人ではない。


二人でもない。


森の向こうで、草が揺れる。


低い声が交わされる。


俺たちは、ミナを見つけた。


そして同時に、追いつかれた。


最悪の順番だ。


土の下から、また声がした。


「……アオ」


かすれている。


泣いている。


でも、生きている。


アオが動こうとした。


トワが腕をつかむ。


アオは振りほどこうとする。


トワが低く何か言った。


アオの目が鋭くなる。


言葉は分からない。


だが、意味は分かった。


今開ければ見つかる。


見つかれば、ミナだけでは済まない。


リクが子どもたちを岩の陰へ押し込んでいた。


小さな子の肩が震えている。


イナがその口を押さえる。


誰も泣いてはいけない。


誰も声を出してはいけない。


それなのに、土の下からはミナの声が聞こえる。


助けてほしい声だ。


俺は喉が詰まった。


未来の知識。


会社で覚えた手順。


スマートフォン。


財布。


全部、役に立たない。


今ここで必要なのは、音を立てずに子どもを助ける方法だ。


そんなもの、俺は知らない。


*


トワが地面に手を当てた。


耳を近づける。


土の下の空洞を探っているのだろうか。


俺も真似しようとして、止まった。


俺が動けば、余計な音を立てる。


トワは指で地面をなぞった。


倒木の根元。


岩の隙間。


そこに、細く折れた枝が差し込まれている。


自然に入ったものではない。


目印だ。


アオがその枝を見つけた瞬間、顔色が変わった。


彼女は指で土を掻き始めた。


トワが止める。


アオは止まらない。


爪の間に泥が入る。


土が少しずつ崩れる。


声が近くなる。


「アオ……」


今度は、俺にもはっきり聞こえた。


ミナ。


土の下にいる。


いや、完全に埋まっているわけではない。


隠されている。


小さな穴か。


岩の下の隙間か。


誰かが、そこへ入れた。


それとも、ミナ自身がそこへ逃げ込んだのか。


分からない。


だが、今は考える時間がない。


枝を踏む音が、もうすぐそこまで来ていた。


トワが顔を上げた。


森の方を見る。


次に、俺を見る。


そして、足元を指した。


土。


俺。


次に、森の方。


最後に、口の前で指を立てる。


俺に掘れと言っているのか。


いや、違う。


俺は一瞬迷った。


トワはもう一度やった。


俺。


土。


静かに。


彼は森の方へ身体を向けた。


つまり、トワは外を見る。


俺は土を見る。


そういうことだ。


初めて、トワが俺に何かを任せた。


「……分かった」


通じない言葉で答える。


俺は膝をついた。


手で土を払う。


乾いた葉をどける。


音を立てないように。


早く。


でも、静かに。


一番苦手な組み合わせだった。


*


土は思ったより柔らかかった。


雨のせいだ。


指を入れると、崩れる。


だが、石も多い。


爪が当たる。


痛い。


そんなことを気にしている場合ではない。


アオも横で掘っている。


リクが子どもたちを見ながら、こちらへ目を向ける。


彼女も来たいのだろう。


だが、子どもたちから離れられない。


俺は土を掻いた。


小さな石をどける。


根を避ける。


すると、指先に空気が触れた。


穴だ。


小さい。


大人は入れない。


子どもなら、ぎりぎり通れるかもしれない。


「ここ」


俺は思わず声を出しかけた。


慌てて口を閉じる。


アオが気づく。


彼女が穴のそばに顔を寄せた。


低く、短い音を言う。


名前ではない。


合図のようだった。


中から、かすかな返事があった。


生きている。


俺は息を吐いた。


その瞬間、森の方から声がした。


近い。


トワが低く唸る。


男たちが来る。


アオは穴を広げようとした。


だが、穴の上には太い根があった。


無理に動かせば、音がする。


いや、崩れるかもしれない。


俺は穴を覗き込んだ。


暗い。


何も見えない。


「ミナ」


呼びそうになって、止めた。


声を出してはいけない。


俺は骨の輪を取り出した。


小さな輪。


ミナのもの。


それを穴の入口に近づける。


アオが俺を見る。


何をするつもりだ。


そんな目だった。


俺にも分からない。


ただ、ミナに見せれば、こちらが味方だと分かるかもしれない。


骨の輪を穴の近くで揺らす。


土の下から、息を呑む音がした。


小さな手が、暗がりから伸びてきた。


細い指。


泥だらけの爪。


その手が骨の輪に触れようとする。


届かない。


俺はもう少し近づけた。


そのとき、トワが短く声を出した。


止まれ。


そう聞こえた。


俺は動きを止めた。


森の向こうから、男が一人、姿を見せた。


*


男はまだこちらに気づいていなかった。


木々の間から現れ、地面を見ている。


足跡を追っている。


その後ろに、もう一人。


さらに、声。


リクが子どもたちを岩の陰へ伏せさせる。


アオは土の穴の前にしゃがんだまま動かない。


俺は骨の輪を握ったまま固まった。


穴の中の小さな手は、まだそこにある。


引っ込まない。


骨の輪を求めている。


男が一歩近づく。


トワが槍を構えた。


だが、まだ飛び出さない。


飛び出せば終わる。


俺たちの場所が分かる。


男は足元の罠を見た。


罠を確認している。


誰かがかかったかどうか。


俺は息を止めた。


この罠は、俺たちのためだけではない。


ミナのためでもある。


ミナが出てこようとすれば、引っかかる。


助けに来た者も、引っかかる。


つまり、ここは隠し場所ではない。


逃げ場所でもない。


待ち伏せの場所だ。


俺の背中に冷たい汗が流れた。


男が顔を上げた。


こちらを見る。


見つかった。


そう思った瞬間、穴の中の手が動いた。


小さな指が、俺の手首をつかんだ。


俺は声を出しそうになった。


ミナの手だ。


冷たい。


震えている。


でも、生きている。


ミナの指が、俺の手首を探るように動いた。


まるで、そこにある何かを確かめているようだった。


そして彼女は、骨の輪ではなく、俺の手首をつかんだ。


離すな。


そう言っているみたいだった。


*


男が一歩近づいた。


トワが身体を低くする。


アオの息が荒くなる。


リクの子どもたちは、もう身動き一つしない。


俺はミナの手を握り返した。


強くは握れない。


小さすぎる。


壊れそうだった。


でも、離せなかった。


男が何か言った。


後ろの男が答える。


声が近づく。


もう、数歩だ。


そのとき、リクが動いた。


彼女は小さな石を拾い、俺たちとは反対側の茂みへ投げた。


音は小さかった。


だが、この静けさの中では十分だった。


男たちが一斉にそちらを見る。


一人が槍を構える。


もう一人が茂みへ向かう。


トワが一瞬だけリクを見る。


リクは何も言わない。


ただ、子どもたちを抱きしめている。


今だ。


そう思った。


俺はミナの手を引こうとした。


しかし、動かない。


穴の中で何かに引っかかっている。


アオが気づいた。


彼女は穴の横へ手を入れ、土を掻く。


俺も掻く。


根の下に、細い縄のようなものがあった。


ミナの足か、腰か。


何かに絡んでいる。


切るもの。


切るものがいる。


俺は腰を探った。


何もない。


石刃は持っていない。


スマートフォン。


財布。


鍵。


鍵。


俺はポケットから鍵を取り出した。


自宅の鍵。


この世界で、何一つ開けられない鍵。


だが、尖った先はある。


俺はそれを縄に当てた。


こすった。


切れない。


もう一度。


手が震える。


汗で滑る。


現代の鍵は、縄文の縄を切るために作られていない。


当たり前だ。


当たり前すぎて、腹が立った。


アオが俺の手を押さえた。


彼女は鍵をじっと見る。


次に、縄を見る。


そして、俺の手ごと鍵を動かした。


こするのではない。


押し当てて、ねじる。


繊維が少し裂けた。


もう一度。


裂ける。


この世界で何一つ開けられなかった鍵が、初めて何かを開けようとしていた。


俺は息を止めたまま、同じ動きを繰り返した。


縄が、ぷつ、と切れた。


穴の中で、ミナの身体が少し動いた。


アオが息を呑む。


俺はミナの手を引いた。


小さな腕。


泥だらけの肩。


黒い髪。


子どもの顔が、土の下から現れた。


ミナ。


目が合った。


恐怖で大きく開いた目。


その瞬間、森の向こうから男の声が飛んだ。


見つかった。


*


トワが飛び出した。


槍と槍がぶつかる音がした。


リクが子どもたちを立たせる。


アオがミナを抱きしめる。


俺は地面に膝をついたまま、鍵を握っていた。


手が震えている。


縄は切れた。


ミナは出た。


だが、終わっていない。


男たちがこちらへ走ってくる。


一人ではない。


トワが叫ぶ。


リクが叫ぶ。


アオも何か叫んだ。


言葉は分からない。


でも、今だけは意味が分かる。


逃げろ。


俺はミナを見た。


彼女はアオに抱かれながら、俺の手を見ていた。


俺の手の中の鍵。


そして、骨の輪。


彼女の指が、俺の手首を探るように動いた。


まるで、そこにある何かを確かめているようだった。


次に、俺を見た。


小さく、何か言った。


聞き取れない。


けれど、アオの顔が変わった。


トワの顔も変わった。


リクまで、こちらを見た。


俺だけが分からなかった。


ミナはもう一度、かすれた声で言った。


今度は、聞こえた。


「……サエ」


俺の背中が冷たくなった。


なぜ。


どうして、この子が俺の名を知っている。


森の中で、槍の音がまた鳴った。


追いつかれた。


ミナは助かった。


だが、その子は、俺を知っていた。

お読みいただき、ありがとうございます。

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