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縄文に、未来人がひとり  作者: 北野風人
つながる世界

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第51話 アオの印

足の裏が痛かった。


走るたびに、靴の中の骨の輪が肉へ食い込む。


硬い。


小さい。


それなのに、やけに重い。


俺は何度も足を止めそうになった。


だが、止まれなかった。


後ろから声が追ってくる。


枝が折れる音。


草を払う音。


男たちの短い叫び。


トワが前を走っていた。


濡れた木の根を避け、低い枝をくぐり、ほとんど迷わず森の奥へ入っていく。


俺には道など見えない。


ただ、トワの背中だけを追った。


アオは俺の腕をつかんでいた。


強い力だった。


さっきから一度も離さない。


リクは子どもたちを押すようにして走っている。


小さな子が何度も転びかける。


そのたびに、年上の子が腕を引いた。


泣き声はない。


誰も泣いていない。


泣けば、見つかる。


それを、子どもたちも分かっていた。


俺だけが、息を乱していた。


未来から来た男は、縄文の森で一番うるさい。


そんなことを思った瞬間、足の裏にまた骨の輪が当たった。


痛みで変な声が出そうになる。


俺は歯を食いしばった。


これを見せてはいけない。


その意味は分からない。


だが、分からなくても守らなければならないものがある。


この世界に来てから、そういうものばかりだ。


言葉。


火。


子ども。


籠。


結び目。


そして今は、靴の中の小さな骨の輪。


*


トワが急に止まった。


俺は危うく背中にぶつかりそうになった。


彼は片手を上げる。


全員が止まる。


追ってくる声は、少し遠くなっていた。


完全に消えたわけではない。


森の向こうで、まだ枝が鳴っている。


トワは周囲を見回した。


それから、大きく倒れた木の下を指した。


根が半分浮き上がり、土と石が絡んでいる。


その陰に、人が何人か入れるくらいの隙間があった。


リクが先に子どもたちを押し込む。


イナが最後の子の背中を抱えるようにして中へ入った。


アオは俺を見た。


入れ、ということだろう。


俺は頷いて、倒木の下へ潜った。


狭い。


湿っている。


土の匂いが強い。


背中が木に当たり、膝が石に当たる。


それでも、外よりはましだった。


トワは最後まで外にいた。


地面を見て、足跡を枝で少し消す。


それから、倒木のそばに戻ってきた。


彼は中へ入らず、外側に身を低くした。


見張りだ。


俺は息を整えようとした。


肺が熱い。


喉が痛い。


足の裏はもっと痛い。


もう無理だ。


俺は小さく靴紐をほどいた。


アオがすぐにこちらを見る。


トワも気づいた。


俺は両手で、待て、というように示した。


靴を脱ぐ。


靴下は泥で濡れていた。


中敷きを少しめくる。


骨の輪が出てきた。


土と汗で汚れている。


それを取った瞬間、足の裏に血がにじんでいるのが見えた。


たいした傷ではない。


だが、痛いものは痛い。


俺は思わず息を吐いた。


未来から来た男が、縄文の森でこんな理由で血を流している。


情けないにもほどがある。


近くにいた子どもが、俺の足を見て目を丸くした。


そして骨の輪を見る。


俺は慌てて手で隠した。


アオが鋭く息を吸う。


リクが子どもの顔を自分の胸に押しつけた。


見せるな。


そうだった。


俺はすぐに骨の輪を握り込んだ。


*


俺は骨の輪をアオへ差し出した。


これは、君たちのものだ。


そういうつもりだった。


アオは受け取らなかった。


首を振る。


俺はもう一度差し出す。


彼女は、さらに強く首を振った。


「アオ」


俺は小さく呼んだ。


アオは俺の手の中の骨の輪を指した。


次に、自分ではなく、リクの後ろにいる子どもたちを指す。


それから、森の奥を指した。


分からない。


俺は眉を寄せた。


アオは唇を噛んだ。


言葉があれば、と思っている顔だった。


俺も同じだった。


この森で一番遠いものは、未来ではない。


たぶん、言葉だ。


アオは地面に手を伸ばした。


泥を指でならす。


そこに丸を一つ描いた。


丸。


集落だ。


リクが前にも灰に描いてくれた。


俺は頷いた。


アオは少し離れたところに、もう一つ丸を描いた。


その間に線。


川。


ここまでは分かる。


彼女は二つ目の丸を指した。


消えた場所。


流された場所。


リクの子どもたちがいた場所。


次に、アオは小さな印を描いた。


細い線。


途中で二つに分かれる線。


割れた枝のような印。


俺は息を止めた。


あれだ。


リクが灰に描いた印。


スマートフォンに、一瞬だけ浮かんだ印。


見間違いではなかったのか。


いや、見間違いだったのかもしれない。


スマートフォンは今もただの黒い板だ。


だが、俺の目はあの白い線を覚えている。


アオは、その印の横に小さな丸を描いた。


集落よりずっと小さい。


人。


いや、子どもか。


彼女は骨の輪を指した。


そして、その小さな丸を指す。


「ミナ」


声は、かすれていた。


リクが顔を上げた。


トワもこちらを見た。


空気が変わった。


俺だけが、その名を知らなかった。


「ミナ」


アオはもう一度言った。


今度は、骨の輪を指して。


それから、小さな丸を指して。


俺はようやく分かった。


これはアオのものではない。


リクの子どもたちのものでもない。


ミナという子のものだ。


俺は骨の輪を見た。


さっきまで、ただの危ない目印だと思っていた。


だが違う。


これは誰かのものだ。


誰かが身につけていたものだ。


誰かが、まだ帰ってきていない証だ。


手の中の骨の輪が、急に冷たく感じた。


*


俺はポケットからスマートフォンを出した。


アオの肩が小さく跳ねた。


リクも子どもたちをさらに奥へ寄せる。


トワの目が鋭くなる。


「違う」


俺は小さく言った。


何が違うのか、自分でもよく分からない。


危ないものではない。


そう言いたかった。


だが、本当に危なくないのか。


さっき光った。


ありえないものが、ありえない場所で光った。


俺自身、それが何なのか分かっていない。


俺はスマートフォンの電源ボタンを押した。


黒いまま。


もう一度押す。


何も起きない。


画面には俺の顔も映らなかった。


ただ泥で汚れた黒い板が、手の中にあるだけだった。


ほっとした。


同時に、少し怖くなった。


さっきの光は何だった。


見間違いか。


それとも、この黒い板は、まだ何かを覚えているのか。


アオはスマートフォンには触れなかった。


彼女はそれを見つめたまま、ゆっくりと俺を指した。


次に、泥の上の割れた枝の印を指す。


そして、もう一度俺を指した。


俺。


印。


俺。


意味は分からない。


だが、胸の奥が冷たくなった。


アオは、俺があの印と関係していると言っている。


俺は首を振った。


知らない。


俺は知らない。


そう伝えたかった。


アオは俺の顔を見た。


しばらく見てから、目を伏せた。


信じたのか。


信じなかったのか。


分からなかった。


この世界では、分からないことが増えるばかりだ。


それなのに、逃げる先だけは減っていく。


*


外にいたトワが、低い声を出した。


全員が動きを止める。


遠くで声がした。


男たちの声だ。


さっきより近い。


いや、近いだけではない。


右からも聞こえる。


左からも。


トワは倒木の下へ身を入れ、泥の上に線を描いた。


俺たちの場所。


その周りに、弧を描く。


半円。


いや、囲みだ。


追ってきているのではない。


回り込んでいる。


俺は喉を鳴らした。


逃げ道を探した。


倒木の奥は狭い。


横は岩。


前に出れば、見つかる。


後ろへ行くには、子どもたちを一人ずつ出さなければならない。


間に合うのか。


リクが子どもたちを見た。


イナが唇を噛む。


小さな子は、リクの腕の中で震えている。


アオは泥の上の小さな丸を、指先でそっと押さえていた。


ミナ。


まだ見つかっていない子。


追われているもの。


骨の輪の持ち主。


そのとき、森の向こうから声がした。


はっきり聞こえた。


「ミナ」


俺は顔を上げた。


今、何と言った。


もう一度、声がした。


「ミナ」


追兵が呼んでいる。


アオではない。


骨の輪でもない。


その名を呼んでいる。


アオの顔から血の気が引いた。


リクが息を呑む。


トワの手が槍に伸びた。


俺は、手の中の骨の輪を握りしめた。


小さな輪だった。


だが、その向こうに一人の子どもがいる。


まだ会ってもいない。


声も知らない。


顔も知らない。


それでも、今この森のどこかにいる。


俺は、その名の意味をまだ知らない。


だが、アオの顔を見て分かった。


俺たちは、ただ逃げているのではない。


ミナのいる場所へ、追い込まれている。


そして、そこへ行かせたい誰かがいる。

お読みいただき、ありがとうございます。

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