第5話 朝が、早すぎる
気づいたとき、
火が小さくなっていた。
「……まずい」
俺は身体を起こした。
眠った。
いつの間に。
慌てて火を見る。
炎はほとんど見えない。
けれど、
灰の下に赤いものが残っている。
消えてはいない。
俺は息を吐いた。
そのとき、
後ろで声がした。
振り返る。
若い男が立っていた。
いつから見ていたのか分からない。
男は俺を見る。
それから火を見る。
「消してないぞ」
当然、通じない。
俺は火を指した。
自分の胸を指す。
少し考えて、
親指を立ててみた。
男の眉が寄った。
「……だよな」
男は俺の横を通り、
火のそばにしゃがんだ。
棒で灰を軽く動かす。
中から赤いものが現れた。
細い枝を何本か重ね、
顔を近づけて息を吹く。
煙が上がる。
もう一度。
小さな炎が立った。
男は少し太い薪を置いた。
火が戻っていく。
俺が一晩、
消えないように見ていた火を、
男はほんの少し触っただけで、
朝の火にした。
男が立ち上がる。
俺を見る。
何か言った。
意味は分からない。
そのまま歩いていく。
俺は男の背中を見た。
昨日のように、
森は指さなかった。
*
立ち上がって周りを見る。
そこで、
少し驚いた。
もう人が動いている。
いや、
動き始めたところではない。
女たちは何かを運んでいた。
何人かの男は、
すでに集落の外から戻ってきている。
地面には木の実のようなものが広げられ、
その横では子どもたちが走っていた。
犬まで起きている。
俺だけが、
今起きた。
「……俺、寝坊したのか?」
腕時計を見る。
針は昨日から動いていない。
空を見る。
太陽は、
まだそれほど高くなかった。
ここでは、
朝はとっくに始まっているらしい。
俺は顔をこすった。
何をすればいい。
誰かに聞こうにも、
聞き方が分からない。
とりあえず、
邪魔にならないように立っている。
それが一番、
邪魔な気もした。
*
昨日、水をくれた女がいた。
枝を何本も抱えて歩いている。
俺は近づいた。
女が止まる。
「持つよ」
枝を指す。
自分を指す。
両手を出す。
女は俺の手を見る。
次に、
顔を見る。
少し迷ったあと、
抱えていた枝の半分ほどを渡した。
「ありがとう」
受け取る。
思ったより重い。
女が歩き出した。
俺もついていく。
数歩。
枝が一本落ちた。
「あ」
拾おうとする。
抱えていた束がずれた。
もう一本落ちる。
「ちょっと待って」
女が振り返った。
俺を見る。
足元を見る。
また俺を見る。
何も言わない。
その沈黙が痛い。
俺はしゃがもうとした。
その前に、
女が戻ってきた。
俺の腕から枝を取る。
「いや、持てるって」
聞いていない。
女は地面に枝を置いた。
太いものを中央へ。
細いものを外側へ。
向きをそろえる。
それから、
束を少しずらして俺に渡した。
受け取る。
さっきより、
腕の中で動かない。
「……なるほど」
女はもう歩いている。
俺も後を追った。
今度は、
一本も落ちなかった。
少し先で、
昨日の子どもがこちらを見ていた。
俺と、
腕の中の枝を交互に見る。
それから女に何か言った。
女が答える。
子どもが笑った。
「何言った?」
子どもは、
もっと笑った。
*
枝を置いたあと、
別の場所へ行ってみた。
何人かが地面に座っている。
その前には、
木の実のようなものが広げられていた。
一人の女が、
それを二つに分けている。
右。
左。
右。
左。
これなら、
できるかもしれない。
俺は少し離れたところにしゃがんだ。
女が顔を上げる。
俺は女の手元を指した。
それから、
自分を指す。
女は俺を見た。
しばらくして、
目の前のものを少しだけ俺のほうへ寄せた。
やっていいらしい。
一つ取る。
見る。
次に、
女が分けたものを見る。
右と左。
何が違う。
大きさか。
色か。
形か。
一つを右へ置いた。
次は左。
三つ目で迷った。
女を見る。
女は何も言わない。
俺は右へ置こうとした。
女の手が伸びた。
それを取る。
反対側へ置いた。
「……違うのか」
次。
今度は合ったらしい。
その次。
また直された。
分からない。
何が違うんだ。
一つ持ち上げて、
光に透かしてみる。
当然、
答えは出ない。
そのとき、
横に誰かがしゃがんだ。
あの子どもだった。
木の実を一つ取る。
見る。
置く。
次。
置く。
また次。
迷わない。
速い。
「お前、分かるのか」
子どもが俺を見る。
何か言った。
そして、
また一つ取る。
置く。
俺の手元には、
まだ一つ残っている。
子どもはもう、
三つ目を置いていた。
「……負けた」
意味は分かっていないはずなのに、
子どもが笑った。
俺も笑った。
*
しばらく続けた。
何度か直された。
それでも、
少しずつ分かってきた。
――気がする。
一つ取る。
左。
女を見る。
直されない。
もう一つ。
右。
これも、
そのまま。
「よし」
小さく言った。
子どもが俺を見る。
俺は少し得意になって、
次の一つを置いた。
女の手が伸びる。
反対側へ移された。
「……違うのかよ」
子どもが声を上げて笑った。
俺も、
笑うしかなかった。
少しすると、
女が俺の前の木の実を片づけ始めた。
終わりらしい。
俺は立ち上がる。
膝を伸ばすと、
思ったより身体が重かった。
周りを見る。
みんな、
まだ動いている。
俺も何かできることを探した。
けれど、
見ただけでは分からない。
何をしているのか。
何を運んでいるのか。
何に使うのか。
どこまで触っていいのか。
分からないことばかりだった。
さっきの枝を見る。
持ち方さえ、
教えてもらった。
木の実も、
子どものほうがずっと分かっている。
俺は自分の手を見る。
掌が少し赤くなっていた。
握る。
開く。
そのとき、
目の前を子どもが走っていった。
途中で止まる。
こちらを見る。
また戻ってきた。
手には、
細い枝が一本あった。
俺の前に置く。
「……何?」
子どもは枝を拾う。
少し離れた場所を指した。
同じような枝が、
何本も積まれている。
子どもは枝を持って、
そこまで走った。
置く。
戻ってくる。
もう一本拾う。
今度は、
俺を見る。
「俺も?」
子どもが枝を差し出した。
受け取る。
軽い。
これなら、
落としそうにない。
立ち上がる。
枝の山まで歩く。
置く。
振り返る。
子どもが見ていた。
手には、
もう次の一本がある。
戻る。
受け取る。
また運ぶ。
一本。
戻る。
もう一本。
何度か繰り返したときだった。
子どもが、
何か言った。
短い音だった。
俺は止まる。
「ん?」
子どもが枝を指す。
同じ音。
俺は子どもの口を見る。
それから、
手の中の枝を見る。
「……これ?」
枝を指す。
子どもが、
もう一度言った。
同じ音だった。
名前なのか。
それとも、
別の意味なのか。
まだ分からない。
俺は聞こえたまま、
真似してみた。
子どもが首を振った。
「違う?」
もう一度、
子どもが言う。
俺は口元を見る。
真似する。
また首を振る。
「難しいな……」
子どもが、
少しゆっくり言った。
俺も、
ゆっくり真似した。
子どもが俺を見る。
今度は、
首を振らなかった。
笑った。
俺は手の中の枝を見る。
忘れないように、
さっきの音を頭の中で繰り返す。
枝を運ぶ。
置く。
戻る。
子どもが、
次の一本を差し出した。
俺は受け取った。
今度は、
どこへ運べばいいのか分かる。
歩き出す。
後ろから、
またあの短い音が聞こえた。
俺は振り返った。
子どもが枝を指している。
俺も、
手の中の枝を指した。
覚えたばかりの音を、
もう一度口にする。
子どもが笑った。
今度は、
首を振らなかった。
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