↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
縄文に、未来人がひとり  作者: 北野風人
つながる世界

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
47/116

第47話 近くにいる

アオは、遠くにいるのではない。


俺たちのすぐ近くにいる。


そう思った瞬間、森の音が変わった。


鳥の声。


葉の揺れる音。


虫の声。


全部が、耳のそばで鳴っているように感じた。


俺は木の実を見た。


割れていない。


泥の上に置かれてから、まだ時間が経っていない。


その横には、白い骨の粉。


そして、森の奥へ向いた一本の線。


アオが置いたのか。


それとも、アオを知る誰かが置いたのか。


分からない。


だが、誰かがここに戻ってきた。


俺たちが、根の下で息を殺していた間に。


リクは子どもを抱いたまま、森の奥を見ていた。


トワも同じ方を見ている。


俺も見た。


木々の間に、細い隙間がある。


道と呼ぶには細すぎる。


だが、さっきよりはっきり見えた。


見えたというより、見えるようになってしまった。


一度、線だと思うと、ただの隙間には戻らない。


トワがゆっくり立ち上がった。


声は出さない。


指で、森の奥を示す。


次に、リクの腕の中の子どもを指す。


最後に、岩の下を指した。


子どもはここに置く。


そう言っているように見えた。


リクの顔が変わった。


首を振る。


強く。


トワはもう一度、同じ動きをした。


子ども。


岩の下。


森の奥。


リクは子どもを抱く腕に力を入れる。


行くなら一緒に行く。


そう言っているようだった。


俺には言葉は分からない。


だが、分かることもある。


置いていけない。


それは、言葉がなくても分かる。


*


子どもが小さく咳をした。


熱い息が漏れる。


リクがすぐ顔を寄せた。


額を合わせる。


子どもは目を閉じたまま、何かを言った。


小さすぎて、俺には音にもならなかった。


だが、リクの身体が固まった。


トワも聞いたらしい。


森の奥へ向けていた目を、子どもへ戻す。


リクは、子どもの口元へ耳を近づけた。


もう一度、子どもが何かを言う。


今度は、ほんの少し聞こえた。


「……おと」


音か。


男か。


人か。


俺には分からない。


だが、リクは分かったらしい。


彼女は森の奥を見た。


それから、壊れた籠の中に入れていた削りかけの骨を取り出した。


割れた枝の印。


白い削り跡。


それを子どもに見せる。


子どもは、目を半分だけ開いた。


骨を見る。


森を見る。


そして、リクの胸に顔を押しつけた。


怖がっている。


ただの熱ではない。


痛みだけでもない。


何かを見た子どもの震え方だった。


俺は、自分の手を見る。


葉を押した指。


小枝を動かした指。


さっきはそれで助かった。


だが、今度はどうする。


進むのか。


戻るのか。


隠れるのか。


どれも正しそうで、どれも間違っていそうだった。


現代なら、判断材料を増やす。


情報を集める。


関係者に確認する。


ここでは、子どもの息と、森の匂いと、一本の線しかない。


少なすぎる。


でも、これで決めるしかない。


*


トワが岩の下へ入った。


奥の土を手で払う。


そこに、子どもが横になれるほどの場所を作った。


リクはまだ迷っていた。


だが、子どもの身体が小さく震えた。


抱いたまま歩けば、傷に響く。


それは彼女にも分かっている。


リクは目を閉じた。


短く息を吐く。


それから、子どもを岩の下へ横たえた。


獣皮をかける。


壊れた籠を、子どものそばに置こうとして、やめた。


籠から削りかけの骨を取り出し、子どもの手に握らせる。


子どもは弱い力で、それを握った。


リクはその手を包む。


何かを言った。


短い言葉だった。


子どもは目を閉じたまま、小さくうなずいた。


置いていく。


それは、置き去りにすることではない。


戻るために置くこともある。


分かっている。


分かっているが、軽くはならない。


トワは岩の入口に枝を置いた。


外から見えにくいように。


だが、空気は通る。


それから、さっきの一本線の横へ、小さな印をつけた。


俺には読めない。


でも、リクはそれを見て、少しだけ表情を変えた。


たぶん、戻る、という印なのだと思った。


*


俺たちは森の奥へ進んだ。


今度は三人だった。


トワ。


リク。


俺。


子どもの息が、背中から消える。


そのことが、妙に怖かった。


リクは何度も振り返りそうになった。


そのたびに、前を向く。


強い。


強いというより、強くしている。


森は、さっきより暗かった。


同じ場所のはずなのに、目的が変わるだけで暗さまで変わる。


少し進むと、トワが足を止めた。


地面に、木の実の殻があった。


割られている。


中身はない。


さっきと同じものだ。


リクがしゃがむ。


殻を手に取る。


今度は震えなかった。


彼女は殻を割れ目から見て、トワへ渡す。


トワは匂いをかぐ。


俺にも渡された。


またか。


俺は見た。


匂いをかいだ。


やはり分からない。


だが、今回はすぐに返さなかった。


殻の内側に、泥がついていない。


外側だけが湿っている。


中は乾いている。


割られてから、まだ長く雨に当たっていない。


俺にも、それくらいは分かった。


俺は内側を指した。


乾いている。


次に、空を指す。


雨。


そして首を振った。


トワが俺を見る。


リクも見る。


通じたのか分からない。


だが、トワは殻をもう一度見た。


そして、小さくうなずいた。


今度は、俺にも見えたものがあった。


ほんの少しだ。


それでも、見えた。


*


森の奥で、水の音がした。


川ではない。


もっと細い。


斜面を流れる水だ。


小さな沢。


木々の間を、透明な水が走っている。


そのそばに、足跡があった。


一つではない。


大人の足。


子どもの足。


そして、引きずったような跡。


リクが息を止めた。


トワはしゃがみ、跡を見た。


俺もしゃがむ。


今度は、何を見ればいいのか少しだけ分かった。


引きずった跡は、水の方へ向かっている。


その横に、深く沈んだ足跡がある。


誰かが、誰かの重さを支えて歩いた跡。


そう見えた。


背負ったのか。


肩を貸したのか。


倒れかけた身体を引いたのか。


分からない。


だが、一人で歩いた跡ではなかった。


沢のそばの石に、白いものがついていた。


骨の粉ではない。


もっと薄い。


泥の上にこすれた白。


トワがそれを見て、指で触れた。


匂いをかぐ。


リクが森の奥を見た。


そのとき、沢の向こうから、低い声がした。


今度は、はっきり聞こえた。


男の声ではなかった。


女でもない。


かすれている。


疲れた声。


トワが手を上げた。


止まれ。


俺たちはその場で止まった。


声は、もう一度した。


短い音。


リクの顔が変わった。


彼女は口を開きかけた。


だが、声を出す前に、トワが肩を押さえた。


俺は沢の向こうを見た。


倒れた木。


苔のついた石。


その奥に、影があった。


人の形。


背を丸めている。


こちらを向いていない。


手に何かを持っている。


骨か。


木片か。


分からない。


リクの喉から、小さな声が漏れた。


「ア……」


最後まで言えなかった。


影が、ゆっくり振り向いた。


俺は息を止めた。


顔は泥で汚れていた。


髪も乱れている。


だが、その目だけは、はっきりこちらを見た。


アオなのか。


そう思った瞬間、その影は口元に指を当てた。


声を出すな。


その仕草だけは、俺にも分かった。


そして、その背後で、別の影が動いた。

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。