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縄文に、未来人がひとり  作者: 北野風人
つながる世界

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35/112

第35話 違う割れ方

 朝、石を打つ音で目が覚めた。


 乾いた、短い音だった。


 一度。


 間を置いて、もう一度。


 外へ出ると、昨日まで木の根元にあったナミの籠が消えていた。


 代わりに、木の実が一つ落ちている。


 あの少年が、その前にしゃがんでいた。


 木の実は拾わない。


 ナミからもらった手首の紐を、指で何度もなぞっている。


 石を打つ音が、また響いた。


 川下から来た若い男は、昨日と同じ場所に座っていた。


 足元に獣の皮を広げ、その上に黒曜石と道具を並べている。


 向かいには、この集落で石器を作る男がいた。


 二人とも、朝の食べ物には手をつけていなかった。


 若い男が黒曜石を膝に当てた。


 角で作った道具を添え、石で叩く。


 鋭い音がした。


 黒い欠片が土の上を滑った。


 若い男は拾い上げ、眺めたあと、脇へ置いた。


 小さすぎた。


 集落の男が何か言った。


 若い男は答えない。


 黒曜石の向きを変え、また叩く。


 今度は大きな欠片が落ちた。


 だが、途中で折れていた。


 集落の男が手を伸ばした。


「ア」


 低い声とともに、黒曜石を押さえる。


 若い男が引く。


 男は放さない。


 二人の手が、一つの石の上で止まった。


 集落の男は、落ちた欠片を指した。


 次に、若い男の袋を見る。


 中に残っている黒曜石は、もう多くない。


 この辺りで簡単に拾える石ではなかった。


 昨日も、干した魚や木の実、獣の皮と交換されていた。


 若い男は折れた欠片を拾い、縁を指でなぞった。


 もう一つの欠片を、その横に並べる。


 二つの黒い面に浮かんだ筋が、途中でつながった。


 若い男は両手を広げた。


 これくらい。


 長い石片を作ろうとしているらしい。


 集落の男は、自分の作った刃を見せた。


 短く、厚い。


 若い男はそれを見て、また両手を広げた。


 もっと長く。


 集落の男が首を振る。


 若い男は黒曜石を取り戻そうとした。


 男は渡さなかった。


 二人の声が大きくなる。


 人が集まり始めた。


 俺は一歩近づき、そこで止まった。


 何を言えばいいのか分からない。


 石器の作り方など知らなかった。


 割れた石なら、元には戻らない。


 知ったふりをして手を出せば、貴重な石を一つ失わせるだけだ。


 若い男が、折れた欠片を俺に差し出した。


 黒く、薄い石だった。


 朝の光にかざすと、縁だけが茶色く透けた。


 波のような筋が見える。


 若い男は別の欠片を隣に置いた。


 二つの筋が一つになる。


 俺はようやく分かった。


 本当なら、これは一枚の長い石片になるはずだった。


 若い男は失敗した欠片を捨てていなかった。


 どこで折れたのかを見ていた。


 向かいの男も、つながった筋を見つめていた。


 声が止まった。


 若い男は黒曜石を土の上に置いた。


 一か所を指し、道具を斜めに当てる。


 そこから先へ、指で線を描いた。


 集落の男はしゃがみ込んだ。


 石を手に取り、反対側から眺める。


 表面を爪でこすった。


 そして、若い男が示した場所ではなく、その少し上を指した。


 若い男は首を振った。


 男も譲らない。


 二人はまた言い合った。


 けれど、さっきまでとは違っていた。


 互いの顔ではなく、同じ石を見ていた。


 集落の男が道具を取った。


 黒曜石の端を、少しずつ削り始める。


 強くは打たない。


 細かな欠片だけを落としていく。


 若い男は黙って見ていた。


 男が石を差し出す。


 若い男は受け取り、指先で削られた場所を確かめた。


 もう一度、道具を当てる。


 集落の男がその手首をつかんだ。


 角度を少し変える。


 若い男は動かなかった。


 二人の手が、また一つの石の上で重なった。


 今度は、奪い合ってはいなかった。


 集落の男が手を放す。


 若い男は深く息を吐いた。


 石を打った。


 高い音が響いた。


 黒曜石の表面から、黒い石片が剥がれ、敷いてあった皮の上に落ちた。


 誰もすぐには動かなかった。


 石片は細く、手のひらより長かった。


 先端まで折れていない。


 若い男が手を伸ばす。


 だが、途中で止めた。


 先に集落の男の顔を見た。


 男は石片を拾い、光にかざした。


 縁の薄いところが、朝日に透けた。


 男は石片を若い男の掌へ置いた。


 若い男の口元が、少し緩んだ。


 集落の男も笑った。


 ほんの一瞬だった。


 すぐに二人は、また何かを言い始めた。


 若い男は、石片をそのまま手に持って使おうとしている。


 集落の男は首を振り、取り上げた。


 若い男が声を上げる。


 男は構わず、一本の枝を拾った。


 先を割り、そこへ石片の根元を挟む。


 温めた樹脂を塗り、細い紐で何重にも縛った。


 出来上がったものは、この集落で使われている刃より細長かった。


 集落の男は獣の皮を一枚持ってきた。


 新しい刃を若い男へ渡す。


 若い男は皮の端に刃を当てた。


 軽く引いた。


 皮に細い切れ目が走る。


 もう一度引くと、音もなく二つに分かれた。


 周囲から短い声が上がった。


 若い男は切れた皮を見た。


 手の中の刃を見た。


 それから、集落の男へ差し出した。


 男は受け取らなかった。


 若い男の胸へ押し返す。


 若い男は少し迷ったあと、その刃を自分の獣皮の上へ置いた。


 隣に、自分の道具を並べた。


 集落の男も腰を下ろした。


 二人の間に、もう一本の黒曜石が置かれた。


 今度は若い男だけではなく、二人でその石を回していた。


    *


 夕方、若い男は川辺へ向かった。


 俺も少し離れてついていった。


 彼は土の柔らかい場所にしゃがみ、枝で山の形を描いた。


 一つ。


 間を空けて、もう一つ。


 さらに遠くに、三つ目。


 自分たちが来た川下を指す。


 次に、一番遠い山を指した。


 袋から小さな黒曜石を取り出し、その山の下へ置く。


「石……」


 俺が言うと、若い男はうなずいた。


 遠い山の下に置いた黒曜石を持ち上げる。


 それを二つ目の山へ動かす。


 そこで一度、誰かに渡すような仕草をした。


 次の山へ動かす。


 また、誰かに渡す。


 最後に、俺たちの集落を示す場所へ置いた。


 一度にここまで来たのではなかった。


 若い男は、山と山の間に小さな丸を描いた。


 一つ。


 もう一つ。


 その先にも一つ。


 俺たちの知らない場所が、土の上に増えていく。


 彼は丸と丸の間を、細い線で結んだ。


 その線のどこにも、アオの名はなかった。


 それでも俺は、土の上から目を離せなかった。


 狭いと思っていた森の外に、人がいた。


 川の先にも、山の向こうにも、人がいた。


 若い男が黒曜石を指先で押した。


 黒い石は一本の線をたどり、遠い山から、俺たちのいる場所まで滑ってきた。


お読みいただき、ありがとうございます。

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