第24話 手を出さない
朝、
昨日の女を見かけた。
細い束を持っていた女。
俺が黒い石を渡そうとして、
受け取らなかった女だ。
向こうも俺に気づいた。
目が合う。
俺は少しだけ頭を下げた。
女は何もせず、
そのまま歩いていった。
俺も追わなかった。
*
火の近くでは、
もう人が動いていた。
誰かが来る。
誰かがいなくなる。
物が置かれる。
持っていかれる。
昨日なら、
一つ一つ見ていたかもしれない。
今日は少し離れた。
若い男が、
地面に座って石を打っている。
乾いた音がする。
一度。
また一度。
俺が近づくと、
男は一度だけ顔を上げた。
「今日は触らないよ」
当然、通じない。
男はすぐに手元へ目を戻した。
石を回す。
角度を変える。
打つ。
小さな欠片が落ちる。
俺は少し離れたところに座った。
見ているだけにした。
会社にいたころなら、
分からないものは調べればよかった。
画面を開く。
検索する。
資料を探す。
ここでは、
目の前にあるものを、
目の前で見るしかない。
乾いた音が、
また一つした。
*
昼前。
何人かが物を運び始めた。
束ねた枝。
乾いた草。
平たいもの。
どれも一人で持てる。
昨日の女もいた。
持つ。
歩く。
置く。
戻る。
また持つ。
俺は立ち上がった。
二歩進んで、
止まった。
手伝えばいい。
そう思った。
でも、
昨日もそうだった。
自分では、
そうすればいいと思った。
俺はその場に立ったまま、
女を見る。
女が束を一つ持って通り過ぎた。
少し先へ置く。
戻ってくる。
もう一つ。
また俺の前を通る。
俺は手を出さなかった。
三度目。
女が俺の前で止まった。
細い束を抱えている。
俺を見る。
俺も見る。
女が、
束を少し前へ出した。
俺の手が動きかける。
止める。
女を見る。
女が何か言った。
短い音。
分からない。
俺は束を見る。
女を見る。
それから、
物を置いている場所を見る。
「あそこ?」
指す。
女は俺を見る。
もう一度、
束を前へ出した。
俺は手を伸ばす。
そのとき、
女の手がほんの少し止まった。
俺の手も止まる。
昨日の黒い石が浮かんだ。
女と目が合う。
ほんの一瞬。
女が手を離した。
重さが、
俺の腕に移った。
「……分かった」
今度は、
すぐに歩かなかった。
置く場所を見る。
女を見る。
女が顎を動かした。
向こう。
俺は歩く。
昨日から何度か、
物が置かれているところまで行く。
まだ置かない。
振り返る。
女はこっちを見ていた。
地面を指す。
そこへ置いた。
女はもう、
次の束を持っている。
俺は戻った。
二つ目。
女が差し出す。
今度は、
さっきほど止まらなかった。
受け取る。
置く場所を見る。
女が同じところを指す。
運ぶ。
三つ目。
女は、
俺を見ないまま差し出した。
俺も受け取った。
同じ場所へ運ぶ。
今度は、
振り返らなかった。
*
何度か往復した。
最後の一つを置いて戻ると、
女は残ったものをまとめていた。
俺は近くで止まる。
まだあるのか。
終わりなのか。
分からない。
女が俺を見る。
何か言う。
昨日から何度か聞いた音に、
少し似ていた。
俺は返事をしなかった。
女も待たなかった。
まとめたものを持って、
歩いていく。
それで終わったらしい。
俺も、
別のところへ行った。
*
昼を過ぎたころ、
あの子どもを見つけた。
地面にしゃがみ、
木の実を並べている。
俺も横にしゃがむ。
「何してる?」
子どもは答えない。
一つ動かす。
もう一つ。
俺は手を出さずに見ていた。
子どもが気づく。
俺を見る。
木の実を一つ取り、
俺の前へ置いた。
俺は、
木の実を見る。
子どもを見る。
もう一つ置かれる。
二つ。
俺は指を二本立てた。
「二」
子どもが俺の指を見る。
自分の指も立てる。
一本。
もう一本。
何か言った。
俺は、
音より先に指を見た。
子どもが三つ目を置く。
指も三本。
俺も三本。
「三」
子どもが笑った。
そして、
俺の指を一本折った。
「え?」
二本。
子どもが木の実を一つ取る。
残ったのも、
二つ。
「ああ」
俺も笑った。
「そういうことか」
子どもは、
取った木の実を俺に差し出した。
俺は、
また手を出さなかった。
子どもを見る。
子どもが首を傾げる。
俺の手を取った。
手のひらを上に向ける。
そこへ、
木の実を置いた。
「これはいいんだな」
子どもはもう、
残った木の実を触っている。
俺は手の中の一つを見た。
食べようとして、
やめた。
子どもを見る。
子どもが一つ食べる。
俺も口に入れた。
子どもが笑った。
「そこまで確認しないと、
もう怖いんだよ」
何も伝わっていない。
それでも、
子どもは笑っていた。
*
夕方。
朝の女が、
若い男と話していた。
俺は少し離れたところで、
枝をまとめている。
女がこっちを見た。
俺も見る。
女が何か言う。
若い男まで、
俺を見る。
「何?」
女が足元のものを持ち上げた。
今度は大きい。
両手で抱えるくらいある。
俺を見る。
俺は立ち上がった。
でも、
取りには行かなかった。
女のところまで歩く。
前で止まる。
女が、
それを差し出した。
俺は受け取る。
「重っ」
女が何か言った。
少し笑ったようにも見えた。
俺は、
置く場所を探す。
女が向こうを指した。
今度は、
指の先まで見る。
「あそこな」
歩き出す。
途中で、
男が一人近づいてきた。
知らない男。
俺の持っているものを見る。
手を出す。
昨日なら、
そのまま渡したかもしれない。
俺は止まった。
男の手が、
荷に掛かる。
俺は離さない。
男が俺を見る。
俺も見る。
何か言われる。
分からない。
俺は、
後ろを振り向いた。
女を見る。
女もこっちを見ていた。
男に向かって、
何か言う。
男が答える。
女が、
もう一度言う。
男の手が離れた。
俺は、
女が指した場所まで運んだ。
置く。
戻る。
途中で、
若い男とすれ違った。
男は俺を見る。
俺も見る。
何も言わない。
そのまま、
すれ違った。
*
夜。
火のそばに座った。
手のひらを見る。
昼間、
女から束を受け取った手。
子どもに木の実を置かれた手。
知らない男に、
荷を取られそうになった手。
俺は指を開いた。
閉じる。
もう一度、
開く。
向こうから、
誰かが歩いてきた。
顔を上げる。
昼間の女だった。
俺の前で止まる。
手に、
何か持っている。
小さい。
暗くて、
よく見えない。
女が手を出した。
俺は、
その手を見る。
すぐには動かなかった。
女が俺を見る。
俺も見る。
しばらくして、
女の口元が、
ほんの少し動いた。
笑ったのかどうか、
分からない。
女の手は、
まだそこにある。
俺は、
自分の手を出した。
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