第18話 もう一つの火
「サエキ!」
*
声がした。
振り向く。
子どもだった。
*
「……お前」
思わず声が出た。
子どもが走ってくる。
裸足のまま、
土の上をまっすぐ走ってくる。
俺の前まで来ると、
急に止まった。
俺を見る。
隣の若い男を見る。
また俺を見る。
「サエキ」
「そうだよ」
子どもが笑った。
*
俺は、
子どもの後ろを見る。
人がいる。
思っていたより多い。
木の間に、
いくつか低い屋根が見える。
その向こうからも煙が上がっている。
地面には、
踏まれて草の少ないところが何本も伸びていた。
人が歩いている。
何かを抱えた女。
しゃがんで手を動かしている男。
子ども。
老人。
こちらを見ている者もいる。
見ていない者もいる。
*
「ここにいたのか」
子どもはもう、
俺を見ていなかった。
若い男に何か言う。
男が答える。
子どもはその途中で、
別の声に振り向いた。
走っていく。
「おい」
呼んでも戻らない。
向こうで誰かのそばにしゃがみ込む。
それで終わりだった。
*
俺は、
その場に残った。
若い男は歩き始める。
慌てて追った。
*
近づくと、
最初の場所とは少し違って見えた。
大きく違うわけじゃない。
火がある。
土がある。
木がある。
人がいる。
でも、
置いてあるものの位置が違う。
土器の形も、
俺には少し違って見える。
紐のようなものが、
まとめて掛けられている場所もある。
地面に並んだ石も、
見覚えのあるものばかりではない。
俺は歩きながら、
あちこち見ていた。
*
何人かが、
俺を見る。
特に、
足元。
また靴だ。
一人の子どもが近づいてくる。
俺の靴を見る。
しゃがむ。
手を伸ばす。
その後ろから、
女の声が飛んだ。
子どもの手が止まる。
振り返る。
女が何か言う。
子どもは立ち上がった。
俺をもう一度見て、
女のところへ戻る。
女は俺を見た。
笑わない。
怒っているようにも見えない。
ただ、
見ている。
俺は軽く頭を下げた。
女は何もしなかった。
*
若い男は、
少し先で別の男と話していた。
知っている相手らしい。
そう思ったが、
何を話しているのかは分からない。
声を聞く。
ところどころ、
聞いたことがあるような音が混じる。
でも、
同じなのかどうかは分からない。
俺は近づかなかった。
*
すぐ横に、
土器が置いてあった。
最初の場所で見たものより、
口が少し広い。
表面の模様も違うように見える。
しゃがむ。
近くで見ようとして、
手を伸ばした。
*
声がした。
*
手を止める。
顔を上げる。
少し離れたところに、
年を取った女がいた。
俺を見ている。
もう一度、
短く何か言う。
俺は手を引いた。
「触らない?」
女は答えない。
土器を見る。
俺を見る。
俺は立ち上がった。
女はそれ以上、
何も言わなかった。
*
少し歩く。
今度は、
別の女が座っている。
前に何か置いてある。
食べ物らしい。
俺が近くを通ると、
女の手が動いた。
置いてあったものを、
自分の膝の近くへ寄せる。
ほんの少し。
でも、
見えた。
*
俺は足を止めなかった。
そのまま通る。
*
少し先で、
男が俺を見ていた。
目が合う。
男は何も言わない。
俺も言わない。
通り過ぎる。
*
知っている子どもがいる。
知っている男もいる。
それでも、
俺が知っている場所ではない。
*
若い男が呼んだ。
「サエキ」
*
振り向く。
男のそばに、
いくつか束が置かれている。
枝なのか、
草なのか。
よく分からない。
男が一つ持ち上げる。
別の場所を指す。
「俺?」
また指す。
俺は束を持った。
思ったより重い。
*
運ぶ。
指されたあたりまで行く。
置こうとする。
後ろから声。
振り返る。
若い男が、
もう少し向こうを指している。
「あっち?」
指が動く。
もう少し右。
俺も動く。
男の手が止まる。
ここらしい。
束を置く。
*
次。
また運ぶ。
今度は、
さっきの場所へ持っていく。
置く。
何も言われない。
「合ってるな」
返事はない。
*
三つ目を持とうとしたとき、
知らない男が先に取った。
俺を見ることもなく、
運んでいく。
俺も別の束を持つ。
二人で同じ方向へ歩く。
男は少し速い。
俺もついていく。
置く場所まで来ると、
男が先に置いた。
俺も隣へ置く。
男は、
俺の束を一度見た。
少し向きを変えた。
それから戻っていった。
「そこまで違うか」
俺も戻る。
*
しばらく、
それを繰り返した。
誰も俺に説明しない。
俺も聞けない。
ただ、
持つ。
歩く。
置く。
違えば直される。
次は、
少しだけ間違えなくなる。
*
気がつくと、
若い男はいなかった。
*
顔を上げる。
さっきまでいた場所を見る。
いない。
人の間を見る。
見つからない。
*
「……どこ行った」
*
少し歩く。
探そうとして、
やめた。
ここまで連れてきたのだから、
たぶん戻ってくる。
たぶん。
*
日が傾いていた。
煙が低く見える。
火のそばに、
少しずつ人が集まり始める。
でも、
俺はどこへ行けばいいのか分からない。
*
最初の場所なら、
もう分かる。
どこに座れば邪魔にならないか。
火にどこまで近づいていいか。
枝をどこに置くか。
誰の前を横切らないほうがいいか。
少しだけ。
本当に少しだけ。
ここでは、
また分からない。
*
俺は、
火から少し離れたところに立った。
座るには遠い。
立っているには近い。
自分でも変な場所だと思う。
*
さっき食べ物を寄せた女がいる。
俺に気づいた。
見る。
俺も見る。
女は、
何も言わない。
*
座ろうか。
もう少し離れようか。
迷っていると、
地面を叩く音がした。
*
ぱん。
*
見る。
*
子どもがいた。
火のそば。
自分の横の地面を叩いている。
*
ぱん。
*
俺は、
そこを見る。
*
子どもが、
もう一度叩く。
*
今度は、
分かった。
*
歩く。
*
火のそばへ行く。
途中、
あの女の前を通る。
女は、
俺を見る。
何も言わない。
*
子どもの横まで行く。
座る。
*
子どもは、
俺を一度見た。
それから、
火を見る。
*
俺も、
火を見る。
*
誰も、
何も言わなかった。
*
少しして、
火の向こうで誰かが笑った。
別の声が重なる。
*
子どもも笑った。
*
俺は、
火の向こうを見る。
*
何がおかしいのかは、
まだ分からなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
少しでも続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。




