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縄文に、未来人がひとり  作者: 北野風人
人と生きる

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16/118

第16話 いつ帰る

朝、


目が覚めた。


火のそばでは、


もう人が動いていた。


女が何かを運んでいる。


老人は、


昨日と同じ場所にいる。


若い男の姿はない。


たぶん、


もうどこかへ行った。


俺は身体を起こした。


顔を洗う。


水を飲む。


枝のところへ向かった。


         *


一本抱える。


運ぶ。


置く。


戻る。


もう一本。


前よりは、


手が止まらなくなった。


どこから取るか。


どこへ置くか。


太いものと、


細いもの。


まだ間違える。


それでも、


いちいち誰かを見ることは減った。


三本目を置く。


後ろで、


何かが落ちた。


振り返る。


細い枝が、


地面に転がっている。


誰もいない。


拾う。


それも一緒に置いた。


         *


昼前、


女たちのそばに座った。


木の実のようなものが、


いくつか広げられている。


俺も手を出す。


一つ取る。


見る。


右へ。


次。


左。


三つ目で、


手が止まった。


色を見る。


傷を見る。


指で触る。


右へ置いた。


隣の女が、


何も言わずに左へ移した。


「違ったか」


次を取る。


今度は、


少し長く見る。


横から手は伸びてこない。


俺は、


一度だけ横を見た。


空いている。


         *


作業を続けた。


しばらくすると、


森から若い男が戻ってきた。


手に何か持っている。


俺の前を通る。


「おい」


声をかけた。


男が止まる。


俺は森を指した。


昨日、


子どもが消えていったほう。


男がそちらを見る。


次に、


子どもの背丈くらいへ手を下げる。


森を指す。


男を見る。


「いつ帰る?」


男は、


俺の顔を見た。


         *


通じない。


分かっていた。


俺は指で、


地面を歩かせた。


森へ。


止める。


今度は、


こちらへ戻す。


「帰る」


男が、


俺の指を見る。


森を見る。


何か言った。


短い音だった。


「……何?」


もう一度、


同じ動きをする。


森へ。


こちらへ。


男が、


また何か言う。


さっきと同じ音が、


混じっていた。


         *


俺は、


その音を真似した。


男が首を振る。


もう一度言う。


俺も繰り返す。


また違う。


三度目。


男は、


しばらく俺の口を見た。


それから、


何も言わなかった。


合ったのか。


諦めたのか。


分からない。


俺は、


もう一度その音を口にした。


         *


次に、


子どもの背丈を手で示した。


森。


さっきの音。


男を見る。


若い男は、


しばらく動かなかった。


俺の手を見る。


森を見る。


何か言った。


今度は長い。


一つも分からない。


「いつだよ」


男が、


空を見た。


俺もつられて見る。


雲の間に、


太陽がある。


男が何か言う。


森を指す。


俺を見る。


それだけだった。


         *


俺は空を見る。


太陽。


森。


あの子。


頭の中で、


勝手に意味をつなぐ。


今日。


夕方。


明日。


一日。


どれでもありそうだった。


若い男は、


もう歩き出している。


「……分からん」


追いかけても、


同じだ。


俺は作業へ戻った。


         *


午後。


覚えた音を、


何度か口の中で繰り返した。


意味は決めない。


枝を持つ。


歩く。


置く。


戻る。


そのたびに、


同じ音が口の中に残った。


         *


日が傾いた。


集落の影が、


少しずつ長くなる。


森を見る。


誰もいない。


少しして、


また見る。


何もない。


女が俺の前を通った。


俺が森を見ていることに、


気づいたようだった。


女も一度だけ、


そちらを見る。


それから、


そのまま歩いていった。


         *


火が大きくなった。


人が集まる。


俺も座る。


食べる。


聞こえる声は、


少しずつ覚えてきた。


意味は分からなくても、


誰の声かは分かる。


老人。


若い男。


朝、


木の実を分けていた女。


少し離れたところにいる男。


火が鳴る。


誰かが笑う。


俺も顔を上げる。


何がおかしいのかは、


分からない。


         *


しばらくして、


気づいた。


静かなわけじゃない。


人はいる。


声もある。


ただ、


一つ聞こえない。


         *


俺は火を見る。


枝の先が、


赤くなっている。


ポケットの中に手を入れる。


指が、


スマートフォンに触れた。


取り出さない。


画面は、


もう何も教えてくれない。


時間も。


場所も。


あの子が、


どこにいるのかも。


         *


森のほうで、


枝が鳴った。


若い男が顔を上げた。


俺も上げる。


もう一度。


少し近い。


女が、


手を止めた。


誰かが立つ。


俺も立ち上がった。


         *


暗い木の間から、


人影が出た。


一人。


昨日、


森から来た男だった。


肩に何かを掛けている。


その後ろに、


もう一つ。


小さな影。


足が、


勝手に一歩出た。


         *


「サエキ!」


声が飛んできた。


子どもが走る。


昨日と同じ顔。


昨日と同じ声。


俺の前まで来て、


止まった。


息を切らしている。


「お前……」


何を言おうとしたのか、


自分でも分からなかった。


子どもは、


そんなことを気にしない。


片手を開く。


何かが乗っている。


小さい。


黒っぽい。


見たことがない。


俺に差し出す。


         *


「俺に?」


子どもが、


もう一度手を出す。


受け取った。


子どもが笑う。


俺は、


手の中のものを見る。


昨日なら、


そのまま口へ運んでいたかもしれない。


今日は、


子どもを見る。


子どもは、


俺の手を見る。


何も叩かない。


俺は、


口へ運ばずに待った。


         *


子どもが、


何か言った。


短い音。


俺は聞く。


もう一度言う。


俺は、


その音を繰り返した。


子どもが首を振る。


言い直す。


俺も、


言い直す。


二度。


三度。


ようやく、


首を振らなくなった。


         *


俺は、


昼に若い男から聞いた音を思い出した。


森へ行く。


こちらへ来る。


その間に聞いた音。


口にしてみる。


子どもが、


俺を見る。


俺は子どもを指す。


森を指す。


こちらを指す。


もう一度、


その音。


         *


子どもは、


少し考えるように俺を見た。


それから、


同じ音を言った。


俺のものとは、


少し違って聞こえた。


俺が繰り返す。


子どもも言う。


意味は、


まだ分からない。


         *


後ろから、


若い男の声がした。


振り返る。


男が立っている。


俺を見る。


子どもを見る。


何か言った。


子どもが答える。


男は、


森から戻った男のほうへ歩いていく。


         *


俺は、


手の中のものを見る。


子どもを見る。


「帰ってきた」


今度は、


日本語で言った。


子どもは、


もちろん分からない。


それでも、


俺を見ている。


         *


俺は、


昼から何度も練習した音を、


もう一度口にした。


子どもが聞く。


首を振らない。


俺は、


それ以上聞かなかった。


         *


火のそばへ戻る。


子どももついてくる。


途中で、


先に走っていく。


俺の前に、


小さな背中がある。


昨日までと、


同じだった。


         *


俺は歩きながら、


ふと止まった。


昨日までと、


同じ。


そう思った。


でも、


少し違った。


         *


昨日まで、


あの子がどこにいるのかなんて、


考えたことがなかった。


俺は、


火のほうへ歩いた。


手の中には、


まだ、


名前の分からないものがあった。

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