第14話 見られている
男は、
まだ俺を見ていた。
*
火を挟んで、
向こう側。
年は、
俺より若いようにも見える。
若い男よりは、
少し上かもしれない。
分からない。
男の目は、
俺の顔から下へ動いた。
シャツ。
ズボン。
ベルト。
そして、
靴。
*
やっぱり、
そこか。
*
俺は足を少し引いた。
男の視線が、
その動きを追う。
隣にいたもう一人も、
俺の靴を見た。
二人が何か言う。
短い声。
返す声。
言葉は分からない。
ただ、
俺について話していることだけは、
なんとなく分かった。
*
「そんなに珍しいか」
言ってから、
自分の服を見る。
珍しいに決まっている。
*
若い男が、
二人の間に座った。
昨日、
森で足跡を見つけたときとは違う。
槍を構えない。
それでも、
すぐそばに置いている。
三人が話し始めた。
俺には、
ほとんど聞き取れない。
けれど、
完全に同じにも聞こえなかった。
*
最初の場所で、
何度か耳にした音。
それに似たものが、
混じる。
でも、
少し違う。
速いのか。
音が違うのか。
俺の耳が、
まだ慣れていないだけなのか。
分からない。
*
子どもが走ってきた。
そのまま、
外から来た男の前へ行く。
男が、
子どもを見る。
何か言う。
子どもが答える。
男が笑った。
*
「知ってるのか?」
誰も答えない。
子どもは、
男のそばにしゃがんだ。
男が持っていた細い紐のようなものに、
手を伸ばす。
男が少し持ち上げる。
子どもも手を上げる。
また持ち上げる。
届かない。
子どもが、
男の腕を叩いた。
男が笑う。
*
初めて会った相手にする動きには、
見えなかった。
俺は、
それ以上考えるのをやめた。
*
女が来た。
最初の日、
俺に水を持ってきた女。
女は、
外から来た二人を見ても止まらない。
片方に何か言う。
男が答える。
女が、
男の持ってきたものを見る。
触る。
また何か言う。
男が返す。
*
俺だけが、
話の外にいる。
*
それは、
今に始まったことじゃない。
でも今日は、
少し違った。
この場所の人間だけなら、
俺が分からないのは、
ここの言葉だからだと思えた。
今は、
ここにいる人たち同士の声まで、
俺には同じなのか違うのか、
分からない。
*
外から来たもう一人が、
立ち上がった。
俺のほうへ来る。
*
止まる。
近い。
*
男が、
俺の靴を指した。
何か言う。
「靴」
俺は答えた。
男が、
俺を見る。
もう一度、
靴を指す。
別の音。
*
「それが、靴?」
当然、
答えは分からない。
*
男がしゃがむ。
手を伸ばす。
俺は、
反射的に足を引いた。
男の手が止まる。
*
目が合った。
*
男は、
そのまま手を引いた。
*
何も言わない。
立ち上がる。
*
俺も、
何も言わなかった。
*
少しして、
子どもが俺のところへ来た。
俺の靴を指す。
さっき男が言った音とは、
違う音を出す。
*
「……どっちだよ」
子どもが笑った。
*
俺は靴を見る。
この世界へ来てから、
何度見られただろう。
俺には、
ただの革靴だ。
駅まで歩く。
会社へ行く。
雨の日は少し滑る。
それくらいのものだった。
*
今は、
誰かが触ろうとするだけで、
俺は足を引く。
*
ポケットの中で、
硬いものに指が当たった。
スマートフォン。
*
出すつもりはなかった。
もう動かない。
画面もつかない。
ここでは、
何の役にも立たない。
*
それでも、
指が触れると分かる。
そこにある。
*
外から来た男が、
俺の手元を見た。
*
しまった。
*
男が近づく。
俺のポケットを見る。
何か言う。
*
俺は少し迷った。
出さなくてもいい。
そう思った。
でも、
もう見られている。
*
スマートフォンを出した。
男の目が止まる。
*
もう一人も来る。
若い男も見る。
子どもまで、
俺の横から覗き込む。
*
「動かないよ」
電源ボタンを押す。
何も起きない。
*
黒い画面に、
火の光が映った。
俺の顔。
その向こうに、
知らない男の顔。
*
男が、
少し体を動かす。
画面の中の顔も動く。
*
男の目が、
一瞬だけ大きくなった。
*
指が伸びる。
俺は、
スマートフォンを握ったまま待った。
男の指が、
画面に触れる。
*
何も起きない。
*
もう一度。
何も起きない。
*
子どもが笑った。
男が子どもを見る。
何か言う。
子どもが、
もっと笑う。
*
俺も少し笑った。
何がおかしいのかは、
分からない。
*
男は、
今度はスマートフォンの横を見る。
裏を見る。
俺の手の中にあるまま、
角度を変えて覗き込む。
*
奪おうとはしない。
*
しばらくして、
男は手を離した。
*
俺は、
スマートフォンをポケットへ戻した。
指を離すまで、
少し時間がかかった。
*
夕方になっても、
二人は帰らなかった。
火の近くに座る。
何かを食べる。
ここの人たちと話す。
子どもが、
二人の間を行ったり来たりする。
*
誰も、
二人を追い出さない。
誰も、
特別に迎え入れようともしない。
*
最初から、
来ることを知っていたようにも見える。
でも、
そうなのかは分からない。
*
日が落ちた。
火が明るくなる。
人の顔が、
赤く見える。
*
老人が来た。
二人の男と話す。
若い男もいる。
女もいる。
声が重なる。
俺は、
少し離れたところに座っていた。
*
ときどき、
誰かが俺を見る。
そのたびに、
話の中に自分が入ったような気がする。
*
でも、
何を言われているのかは、
分からない。
*
やがて、
外から来た男の一人が、
俺を見た。
*
何か言う。
老人が、
俺を見る。
若い男も、
俺を見る。
*
「……俺?」
*
男が、
森のほうを指した。
次に、
俺を指す。
*
森。
俺。
*
もう一度、
森。
*
「何だよ」
*
男が何か言う。
分からない。
*
若い男が、
短く声を出した。
外から来た男が、
そちらを見る。
*
若い男が、
もう一度言う。
さっきより、
少し強い。
*
二人の間で、
声が続く。
*
俺は、
若い男を見る。
昨日、
知らない足跡を見つけたときの顔を思い出した。
*
老人が、
手を上げた。
*
声が止まる。
*
老人が何か言う。
短い。
*
若い男は、
黙った。
外から来た男も、
森を指すのをやめた。
*
それで終わった。
*
何が終わったのか、
俺には分からない。
*
夜が深くなった。
二人は、
火の近くに残った。
帰る気配はない。
*
俺も、
いつもの場所へ行こうとした。
そのとき。
*
「サエキ」
*
足が止まった。
*
振り向く。
外から来た男が、
俺を見ている。
*
「サエキ」
*
俺は、
自分を指した。
「そう。サエキ」
*
男が、
俺と同じように、
自分の胸へ手を当てた。
*
そして、
短い音を出した。
*
俺は、
聞く。
*
男が、
もう一度。
*
俺も、
真似した。
*
男が首を振る。
*
もう一度。
俺も言う。
*
また、
少し違うらしい。
*
三度目。
*
俺は、
できるだけ同じように言った。
*
男は、
今度は首を振らなかった。
*
それが、
男の名前なのか。
別の何かなのか。
*
まだ、
分からない。
*
それでも俺は、
その音を、
もう一度だけ口の中で繰り返した。
お読みいただき、ありがとうございます。




