第13話 知らない足跡
人の足跡だった。
俺にも、
それくらいは分かった。
若い男はしゃがんだまま、
動かない。
昨日の雨で、
土はまだ柔らかい。
足の形が残っている。
裸足。
俺の靴跡とは違う。
若い男の足を見る。
地面を見る。
違う。
一つ。
少し先に、もう一つ。
さらにその先。
森の奥へ続いている。
俺は足跡を指した。
若い男を見る。
「誰だ?」
男は俺を見た。
答えない。
俺を指す。
自分を指す。
もう一度、
足跡を指してみる。
「誰?」
男の目が、
俺の指から足跡へ戻った。
*
立ち上がった。
槍を握る。
さっき鹿らしきものを見つけたときとは、
少し違う。
腰を落とさない。
追おうともしない。
ただ、
森の奥を見ている。
俺も見る。
木。
濡れた葉。
薄暗い地面。
誰もいない。
風が通る。
葉が擦れた。
若い男が、
そちらを見る。
俺もつられて見る。
何も出てこない。
男は足跡をもう一度見た。
そして、
来た道へ身体を向けた。
「戻るのか?」
歩き出す。
俺は足跡を見る。
森の奥を見る。
男の背中を見る。
少し遅れて、
あとを追った。
*
しばらく歩いたところで、
俺は後ろを振り返った。
誰もいない。
また歩く。
細い枝を避ける。
濡れた土へ足を置く。
今度は鳴らない。
少し前を歩いていた男が、
一度だけ振り返った。
俺の足元を見る。
何も言わない。
また前を向く。
俺も歩く。
数歩。
また、
後ろを見る。
木しかなかった。
*
帰り道は、
来たときより短く感じた。
火の煙が見えた。
その向こうから、
子どもの声がする。
森を抜ける。
「サエキ!」
あの子が走ってきた。
俺の前で止まる。
両手を見る。
腰のあたりを見る。
何か探している。
「何もないよ」
手を広げる。
子どもが眉を寄せた。
若い男を見る。
いつもなら、
何か言う。
今日は違った。
若い男はそのまま、
子どもの横を通り過ぎた。
子どもが振り返る。
俺も振り返った。
男は、
老人のところへ向かっていた。
*
老人は火のそばに座っていた。
若い男が前にしゃがむ。
話し始める。
声は低い。
老人が聞く。
若い男が答える。
森を指した。
次に、
地面。
指先で土を二度押す。
少し離れたところを、
もう一度押す。
老人が、
男の手を見る。
何か聞いた。
若い男は首を振った。
老人が森を見る。
しばらく、
そのままだった。
*
女が近づいてきた。
老人が何か言う。
女の目が、
若い男へ向く。
次に森。
それから、
俺のそばにいる子ども。
女が短く声をかけた。
子どもは、
足元の枝で土をいじっている。
もう一度、
呼ばれた。
顔を上げる。
今度は女のところへ走っていった。
女が子どもの肩に手を置く。
何か言う。
子どもは森を見る。
すぐに、
また土をいじり始めた。
*
一人の男が、
集落の外へ出た。
槍を持っている。
森の手前で止まる。
しばらく立って、
戻ってきた。
別の男が、
外に置かれていた籠のようなものを持ち上げた。
少し内側へ運ぶ。
女が干していたものを集める。
誰も走らない。
大きな声も出さない。
火も、
いつもと同じように燃えている。
それでも、
森を見る顔が増えた。
*
俺は若い男を探した。
集落の端にいた。
槍の先を確かめている。
近づく。
男が顔を上げた。
俺は地面を指した。
指を二本、
土の上で歩かせる。
「足跡」
男の目が、
俺の指を見る。
俺は森を指す。
それから、
男を見る。
「知ってるのか?」
男は何も言わない。
もう一度、
森を見る。
俺も見る。
聞き方を変えようとした。
でも、
言葉がない。
手も止まった。
若い男は俺を一度見て、
槍へ目を戻した。
*
夕方になった。
何も起きなかった。
火のそばに、
人が集まる。
食べる。
話す。
子どもが笑う。
俺も、
いつもの場所に座っていた。
あの子が、
何かを食べながら俺を見る。
俺が見ると、
口を大きく動かして見せた。
「何だよ」
笑っている。
俺も少し笑った。
女が何か言う。
子どもが振り返る。
また何か言われる。
子どもは残っていたものを口に入れ、
女のところへ行った。
若い男は、
火から少し離れたところにいた。
槍が、
手の届く場所に置いてある。
*
日が落ちる。
森の輪郭が消えていく。
火の向こうに見えるのは、
黒だけになった。
俺は枝を一本、
火へ入れた。
ぱち、と音がした。
誰かが笑う。
いつもの夜だった。
そう思った。
*
森で、
枝が鳴った。
若い男が顔を上げた。
笑い声が止まる。
俺も森を見る。
何も見えない。
もう一度。
今度は、
少し近い。
若い男が立った。
槍を取る。
集落の端にいた男も、
こちらへ来る。
老人は座ったまま、
森を見ている。
子どもが女のそばへ寄った。
俺も立ち上がった。
何をすればいいのか分からない。
若い男が、
火より前へ出る。
*
暗闇から、
声がした。
人の声。
短い。
若い男が止まる。
老人が、
何か言った。
男は動かない。
森の中から、
もう一度声がする。
今度は、
少し長い。
俺には、
一つも分からない。
若い男の槍が、
ゆっくり下がった。
全部ではない。
ほんの少し。
老人が立ち上がった。
俺は老人を見る。
ここへ来てから、
立ち上がるところを、
あまり見たことがなかった。
*
森の中で、
影が動いた。
一人。
その後ろに、
もう一人。
火の光が、
足元まで届く。
若い男は、
槍を構えなかった。
老人が前へ出る。
暗闇の人影が、
また何か言った。
老人が答えた。
俺は、
その声を聞いた。
意味は分からない。
けれど、
二人は、
言葉を返し合っていた。
森の向こうから来た男が、
火の中へ一歩入る。
顔が見えた。
知らない顔だった。
その男は、
老人を見た。
若い男を見た。
そして――
俺を見た。
動きが止まった。
俺も、
動けなかった。
男の目が、
俺の服へ落ちる。
足元まで下がる。
革靴を見る。
もう一度、
俺の顔へ戻る。
何か言った。
老人は答えなかった。
若い男も答えない。
火の中で、
枝が一本、
崩れた。
知らない男は、
まだ俺を見ていた。
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