第122話 運べないもの
三日目だった。
材は、岸の低いところに積んであった。
昨日の雨で、下のほうの木は色が濃くなっていた。
水を含んでいる。
上のほうの一本は、まだ色が薄い。
下へいくほど、濡れていた。
ロクはもう来ていて、裏返された大舟のそばに立っていた。
舟の底に手を当て、削りかけの場所を確かめている。
底の黒ずんだ木には、新しく削った跡が少しだけ見えた。
俺が近づくと、ロクは材のほうへ目を移した。
積まれた材と、舟の底を、交互に見る。
この材が、あの底に入るのだと分かった。
それから、材の端を叩いた。
「これ」
俺は頷いた。
一番重い荷。
最後の試験だと、昨日言っていた。
*
二人で端を持った。
持ち上げた。
重かった。
俺の知っている、乾いた木の重さではなかった。
水の重さが、そのまま加わっている。
濡れた表面で、手が一度滑った。
持ち直して、数歩進む。
ロクの歩幅に合わせるのが、難しかった。
材が腕の中で、わずかに揺れる。
火のそばを過ぎたところで、ロクが止まった。
二人でそっと下ろした。
手を離して、もう一度持った。
今度は二人とも、持つ場所を少し内側に寄せた。
また数歩。
やはり、止まった。
下の岸までは、この何倍もある。
二人とも、膝に手を置いて息をした。
ロクは材を一度見て、それから俺を見た。
先に行ってほしい、という顔ではなかった。
材は地面に、少し沈んだ。
濡れた木の匂いがした。
この重さのままでは、下の岸まで持たない。
途中で落とす。
落とせば、材は傷つく。
俺かロクの足も、無事では済まない。
運べるかというのは、こういうときにやめられるかも含むのかもしれない。
*
俺はロクを見た。
「半分」
材の半分を指した。
「運ぶ」
それから、残りのほうを指した。
「残り。乾かす」
空を指す。
「乾いたら、運ぶ」
言いながら、自分でも順番が合っているか分からなかった。
ロクは俺を見ていた。
乾かす、のところで、少し首を傾げた。
俺は積まれた材の、濡れた部分を掌で叩いた。
指先に水がつく。
それを日に向けて見せた。
ロクが残りの材へ歩き、一本を手に取った。
裏返して、掌で重さを確かめる。
下ろして、頷いた。
それから積まれた材へ戻り、上のほうの材と下のほうの材の境に、手を置いた。
ここから上は運ぶ。
ここから下は残す。
その境が、俺の言った半分と合っていた。
「乾かす」
二人で、残りの材を広げた。
重なっていた木を、一本ずつ離す。
日と風の当たる場所へ、間を空けて並べる。
ロクが一本、俺の並べた場所を少しずらした。
影に入っていた。
もう一本は、向きを変えた。
並んだ材が、みな同じほうを向いた。
風の通り道に、木の面を向けているのだと思った。
俺はその並べ方を覚えた。
*
半分は、それでも重かった。
一本ずつ、肩に担ぐ。
水を含んだ木が、肩に食い込んだ。
下の岸までの道を下りる。
水のそばを進み、根の張ったところを越える。
根の上では、足を置く場所を間違えられなかった。
材を置いて、戻る。
二本目は、反対の肩にした。
三本目では、肩の当たる場所を布でずらした。
皮が擦れて、熱を持っている。
下の岸に着くたび、下ろした材を並べ直した。
濡れた面が、上にならないようにする。
向きも、ロクの並べ方に合わせた。
一本、二本と、岸の積み場所に揃っていく。
戻る道は、手ぶらだった。
身体が軽すぎて、歩幅が合わなかった。
根の張ったところでは、帰りに足を置く場所を覚えた。
四本目を担ぐ頃には、日が高くなっていた。
途中で一度止まり、材を反対の肩へ移した。
運んだのは、上のほうの、色の薄い材だった。
色の濃いものは、ロクの岸に残してある。
半分の最後の一本を置いたとき、腕が少し震えていた。
下の岸の水で、手と顔を洗った。
肩の熱が、少し引いた。
*
ロクの岸へ戻ると、広げた材の間をロクが歩いていた。
一本、手で押して確かめた。
別の二本は、指で叩いて、音を聞いていた。
何を聞いているのかは、分からなかった。
日が移って、並べた材の半分に影がかかっていた。
ロクはその一本を持ち上げ、日の当たるほうへ移した。
俺も同じようにした。
何か言った。
乾くまでの、日数のことらしかった。
「何日?」
聞き返すと、ロクは空を見て、短く言い直した。
指を三本、立てた。
三日か。
それとも、三つに分ける、ということか。
はっきりとは分からなかった。
分かったのは、今日ではないということだけだった。
俺は並んだ材を見た。
急ぐ荷ではなかった。
急げば、壊れる荷だった。
*
日が少し傾いてから、ロクが低い屋根を指した。
「顔」
ミオが屋根の下から出てきた。
両腕の中に、包みがある。
獣皮と葉で包まれ、紐がかかっている。
あの土の顔が、その中にある。
ミオは包みを胸の高さで抱え、俺を見た。
屋根の奥の日陰から、表の明るいところへ出てきたのは、そのためだった。
包みの葉の端が少し出ていた。
ミオはそれを指で押し込み、平らにした。
渡す前に、紐の結び目を一度だけ確かめた。
指で引いて、緩みを見る。
包みを少し傾け、裏側も見た。
それから俺へ向き直る。
「両手」
俺は頷いて、両手を出した。
ミオは、すぐには渡さなかった。
俺の手の向きを見て、自分の手を包みの下へ回して見せた。
こう持て、ということだった。
俺は真似をした。
包みが、俺の腕へ移った。
ミオは手を離す前に、包みの下へもう一度手を入れ、重さの掛かりを確かめた。
それから、頷いた。
思ったより軽い。
だが、この軽さは、落としたら終わりの軽さだった。
ミオは俺の足元を指した。
それから、ゆっくり歩く真似をした。
「ゆっくり」
俺は頷いた。
*
この往復だけは、他の荷を持たなかった。
両手が塞がっている。
いつもの道を、水のそばから下りる。
石のある場所では止まり、少し回り道をした。
根の張ったところでは、足の裏で地面を探した。
汗が目に入っても、手は離せない。
肩で拭うこともできない。
一度、置いて休みたくなった。
だが、地面は濡れていた。
置く場所がなかった。
立ったまま、息を整えた。
葉の先から、昨日の雨の雫が落ちた。
包みの端にかかった。
俺は少し身体をずらし、木の下を避けて歩いた。
包みの中で、顔が少し傾いた気がした。
俺は止まって、腕の位置を直した。
傾きは、気のせいだったかもしれない。
それでも、直してから歩いた。
材を担ぐ重さとは、違った。
これは、動かさないための疲れ方だった。
木の間の狭いところでは、身体を横に向けた。
包みが幹に触れないよう、少し腕を引いた。
ミオに教わった持ち方に直すと、包みが落ち着いた。
川の音が、少しずつ近づく。
下の岸の匂いがしてきた。
*
下の岸では、舟が出るところだった。
干した魚の包みや、幾つかの荷が積まれている。
舟の人が、岸と舟を行き来していた。
最後の包みを結び終えてから、こちらへ来た。
俺は包みを抱えたまま、近づいた。
ここでも、地面は濡れていた。
置くことはできなかった。
「これ」
舟の人は頷き、両手を出した。
俺の腕から、相手の腕へ。
包みが移る。
博物館で見た土の顔は、乾いて、固まっていた。
ミオの顔は、まだ柔らかい。
頬に、指の跡が残っている。
舟の人は、まず舟の真ん中の包みを一つ、脇へずらした。
空いた場所ができてから、受け取った。
包みを舟の底へ置いた。
他の荷に当たらない、舟の真ん中だった。
置いてから、紐を一度だけ確かめた。
隣の包みを、少しだけ遠ざけた。
上から、軽い皮をかけた。
それだけだった。
どこへ持っていくのか。
誰のところへ届くのか。
舟の人は、何も言わなかった。
俺も、聞かなかった。
舟の人は竿を取り、岸を押した。
舟が岸を離れた。
俺の両手は、ようやく空いた。
指を開いて、閉じた。
腕の内側に、包みの重さの跡が残っていた。
包みは、他の荷と一緒に、水の上へ出ていった。
顔が、ロクの岸を離れた。
俺は、舟が見えなくなるまで立っていた。
曲がり角の向こうで、荷の間から白い皮の端が見えていた。
それも、見えなくなった。
*
戻ると、日が低くなっていた。
ロクは広げた材のそばにいた。
一本を持ち上げ、重さを確かめている。
俺も一本、持ってみた。
朝より、わずかに軽い気がした。
気のせいかもしれない。
俺は並べた材の間を、一度だけ歩いた。
間が詰まった一本を、少し離した。
ロクは材を置き、裏返された大舟のそばへ行った。
舟の底に手を当て、削りかけの場所を見ている。
小さな石刃が、木の表面を少しずつ削った。
削る音が止んで、また始まった。
俺は残りの材を指した。
「乾いたら、運ぶ」
ロクが頷いた。
咎める顔ではなかった。
ロクに水をもらい、俺は飲んだ。
空いた両手で、器を持つのが変な感じだった。
ロクの目が、俺の肩で一度止まった。
擦れた跡を見たのだと思う。
だが、何も言わなかった。
*
帰り際、ロクが声をかけた。
「サエ」
俺は振り返った。
ロクは舟を見た。
それから、俺を見た。
「あんたの舟に、何かあったら誰が保証する」
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