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縄文に、未来人がひとり  作者: 北野風人
帰る場所、待つ人

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121/123

第121話 止まれ、と言われたら

二日目も、荷は岸に並んでいた。


干した魚の包み。


獣皮の束。


石を入れた籠。


昨日より、少し多い気がした。


夜の間に、獣皮が上からかけてあった。


ロクが皮を外した。


包みは、夜露にも濡れていなかった。


ロクが一つずつ、手で押さえて確かめた。


角を持ち上げ、重さを量るような仕草をした。


ハセが包みの紐を数えた。


声に出して、数えた。


俺は籠を持ち上げる前に、紐を引いて確かめた。


昨日、緩んでいた籠だ。


今日は、ほどけなかった。


ロクが見ていた。


何も言わない。


ハセが先に包みを担いだ。


俺も籠を背負う。


肩に当たる部分へ、布を挟んだ。


昨日、皮が擦れたところだ。


下の岸までの道は、昨日覚えた。


水のそばを下り、根の張ったところを越える。


朝のうちは、風がなかった。


水面は、岸の形をそのまま映していた。


籠の重さで、足元の石が少しずつ鳴る。


それだけが、音だった。


根の張ったところでは、籠が枝に触れた。


昨日、触れたのと同じ枝だった。


身体が、道を覚え始めている。


下るにつれて、水の音が近くなった。


*


下の岸では、舟が一艘、荷を待っていた。


受け取る男が、岸の上に立っている。


俺たちが着くと、男が包みの数を数えた。


一つずつ、指を折る。


足元の小石を、一つずつ横へ移していた。


数えるための石らしい。


老いた女が、小さな魚の籠を抱えて立っていた。


自分の荷が載るのを、見ているのだろう。


女の籠は、岸の荷とは別に置かれていた。


まだ、誰の手も触れていない。


女は一度籠を下ろし、また抱え直した。


男が舟へ、包みを運び始めた。


一つ運ぶたびに、小石を移す。


女の籠は、最後に運ばれた。


男は両手で受け取り、舟の真ん中へ置いた。


女はそれを見届けてから、ようやく手を離した。


男がハセに何か言った。


ハセが頷き、俺の籠を指した。


俺は籠を下ろし、決められた場所へ置いた。


額の汗を拭う。


舟の男も、一度空を見た。


だが、まだ水は静かだった。


帰りは荷がない。


足が軽い分、風が背を押した。


*


昼に近づくと、木の上のほうが鳴り始めた。


葉の裏が見える。


俺たちは二度目の荷を下ろし、三度目を担いだ。


三度目は、獣皮の束が重かった。


肩の布が、ずれる。


途中で一度下ろし、担ぎ直した。


ハセは石の籠を背負っていた。


歩くたびに、石の触れ合う音がした。


俺の束は、音がしない。


重さだけが、肩に来た。


根の張ったところでは、足を置く場所を先に見る。


昨日より、風が強い。


耳のそばで、風の音がし始めた。


水の表面に、細かい波が立ち始めていた。


だが、岸の荷はまだ残っている。


下の岸の舟も、まだ待っている。


ロクも、包みを一つ担いだ。


試すだけの人ではなかった。


この人も、運ぶ人だった。


俺は束を持ち直し、歩いた。


*


三度目の帰り、ロクが先に立った。


彼は水を見た。


それから、空を見た。


何か言ったが、風で半分聞こえなかった。


ハセが俺の背の紐を確かめた。


ほどけてはいなかった。


「もう一つ」


俺が言うと、ハセは頷いた。


下の岸は、もう近い。


あと一往復、できると思った。


ロクは何も言わなかった。


ただ、もう一度空を見た。


帰ってくるたびに、彼は空を見ていた。


朝は、一度だけだった。


今は、戻るたびに見る。


雲の端が、少しずつ崩れていた。


*


四度目の荷を担い、半分ほど下ったところだった。


小枝が一本、道へ落ちた。


風に折られたものだった。


その時、後ろから声がした。


「止まれ」


短かった。


聞き間違えようのない短さだった。


俺は歩を止めかけ、荷を下ろしかけた。


先を見た。


下の岸の舟が、見えている。


包みを置く場所も、見えている。


老いた女がいた場所も、見えている。


あそこまでなら、行ける。


そう思った。


風は強いが、足はまだ進める。


後ろを振り向くと、ロクは立ったままだった。


怒った顔ではない。


ただ、待っていた。


手が、少しだけ下がっていた。


下ろせ、という形だった。


ロクはもう一度言った。


「ここ」


俺は足を止めた。


言われた場所で、荷を下ろした。


*


風が来たのは、その直後だった。


木の枝が大きく揺れ、水の表面が白く立った。


下ろした包みの覆いが、ばたばたと鳴った。


俺は片手で、覆いを押さえた。


小石と土が、横から流れてきた。


どこかで、枝の折れる音がした。


ハセも自分の荷のそばに屈んでいた。


もし歩いていたら、この風は、根の張ったところで来ていた。


根の向こうは、水際だった。


重い束を背負って、あの根を越えるところだった。


風が弱まるまで、三人とも動かなかった。


ロクは風のほうを見ていた。


驚いてはいなかった。


分かっていた、という顔だった。


「雨、来る」


ハセが空を見上げた。


雲が低くなっていた。


ロクが下の岸を指した。


「舟、帰る」


荷を待っていた舟は、もう岸を離れかけていた。


男が櫂を入れている。


風に押され、舟の先が揺れた。


男の声が聞こえた気がしたが、風で消えた。


これ以上は待てない、ということだった。


俺は下ろした荷を見た。


止まったから、この荷はここにある。


濡れてもいない。


*


三人で、荷を低い屋根の下へ運んだ。


下の岸へ届かなかった分だ。


ロクが荷を二つに分けた。


俺とハセが、一つずつ担ぐ。


止まった場所から、屋根までは二度に分けた。


戻る道は、もう濡れていた。


根のところで、俺の足が少し滑った。


荷が傾く。


ハセが後ろから、束の端を押さえた。


落ちはしなかった。


二度目を運ぶ途中で、雨が顔に当たった。


屋根の下に、包みを並べる。


種類ごとに、分けた。


魚は奥へ。


石の籠は、手前へ。


獣皮を上からかける。


雨が屋根を叩き始めた。


細い音だった。


音は、少しずつ大きくなった。


屋根の端から、水が糸のように落ちる。


俺の肩は、もう濡れていた。


だが、荷は乾いていた。


俺は包みの結び目を締め直した。


一つ、緩いところがあった。


ロクが隣で手を伸ばし、何も言わず締め直した。


昨日と同じ手つきだった。


ハセが反対側から皮を引く。


皮の端を、石で押さえた。


吹き込む側には、葉を詰めた。


ロクが一つの包みの下へ掌を入れ、確かめた。


湿ってはいなかった。


魚の包みを一つ、ロクが奥へずらした。


雨の当たらない場所だった。


三人の手で、荷は濡れない形になった。


ロクが最後に、全体を一度見た。


頷いた。


*


手を休めず、ロクが話し始めた。


裏返された大舟のほうを指す。


「舟」


それから、下のほうを指した。


「下。四つ」


指を四本、立てた。


一本ずつ、間を置いて立てた。


家が四つ、ということらしい。


「魚。待つ」


ロクは干した魚の包みを叩いた。


ハセが短く足した。


「舟ない。魚、行かない」


俺は下の岸の、老いた女を思い出した。


小さな籠を抱えて、舟を見ていた女だ。


あの人の魚も、この舟に載るのだろう。


ロクが今度は、川の向こうを指した。


言葉が続いた。


全部は分からなかった。


だが、その中に「荷」と「待つ」が、もう一度あった。


向こうからは、荷が来る。


こちらの魚と、入れ替わる。


その荷を待つ人も、岸にいる。


たぶん、そういう話だった。


順番は、違ったかもしれない。


ロクが繰り返した言葉が、一つあった。


二度、同じ音だった。


だが、その意味は取れなかった。


俺は聞いた。


「皆、待つ?」


ロクは頷いた。


それから、魚の包みをもう一度叩いた。


待つ理由は、それだった。


ロクは、もっと下のほうへ手を伸ばした。


「まだ、先」


待つのは、四つだけではないらしい。


だが、その先の言葉は取れなかった。


ロクは俺の顔を見た。


分かったかどうか、確かめる顔だった。


俺は頷いた。


全部ではない、という顔で。


*


ロクが言った。


「返す」


俺が前に、ここで言った言葉だ。


あの時、俺は軽く言った。


借りる理由も、返す理由も、自分のことだけだった。


ロクは首を、少し振った。


それだけでは足りない、ということだった。


舟が出て、戻らなければ。


魚は行かない。


荷は来ない。


待っている人は、岸で待ち続ける。


包みの数を数える男も。


小さな籠を抱えた女も。


俺は大舟を見た。


ロクは毎日、この舟の底を削っていた。


小さな石刃で、黒ずんだ木を。


あれは、自分の舟の手入れではなかったのかもしれない。


待っている人たちの、舟の手入れだった。


俺は初めて、その人たちの顔が見えた気がした。


*


雨は、夕方には止んだ。


屋根の下の荷は、濡れていなかった。


ロクが皮の端を確かめ、石を一つ置き直した。


夜露に備える仕草だった。


朝、俺が見たのと同じ形になった。


ハセが空を見て、明日の風を言った。


聞き取れなかった。


ロクが岸へ出て、裏返された大舟のそばに立った。


俺も隣に立った。


ロクが言った。


「明日」


「一番、重い」


彼は舟の底を、掌で叩いた。


「直す。木」


舟を直すための材を、運ぶ。


それが明日の荷だという。


「それで、最後」

お読みいただき、ありがとうございます。

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