↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
縄文に、未来人がひとり  作者: 北野風人
帰る場所、待つ人

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
114/120

第114話 待つ水

「いつも、朝?」


俺が尋ねると、相手は土の上に置いた指を止めた。


少し考え、首を横に振る。


さっきは頷いたのに。


ウルが横から何か尋ねた。返事は長かった。俺の知らない音が続く。


分かった言葉を拾い、手の動きと合わせる。


水は向きを変える。


けれど、いつも同じ時ではない。


相手は空の太陽を指し、それから位置を少しずらした。


俺は、自分が言いかけたことを飲み込んだ。


朝は必ずこちら。夕方は必ずあちら。


そういう意味ではなかったらしい。


「……潮か」


日本語が漏れた。


ウルが俺を見る。


俺は首を振り、土の線へ目を戻した。


二本の線の間を、もう一度見る。


「そこ。近い?」


相手は今度こそ、はっきり首を振った。


*


その人は、セナと名乗った。


日に焼けた男だった。俺より若いようにも見えるが、目尻には細かな皺がある。


膝に載せた櫂を脇へ置き、俺の問いを聞いていた。


指で水路を示す。


途中で手を止め、眠る仕草をする。


また指を動かす。


俺はウルを見た。


彼も、その先は知らないと言った。セナに聞き返し、曲がるところを確かめる。


今日のうちに、少し見に行って帰る。


そんな距離ではなかった。


俺は膝へ手を置いた。


海かもしれないと聞いた途端、頭の中で岸が近づいていた。


現代でも、地図を縮めるだけなら旅は簡単だった。


「貝。そこで取る?」


ナナが持つ貝を指す。


セナが口を開いた。


その時、水辺から声が上がった。


彼はすぐに立ち上がる。


櫂を拾い、俺たちに背を向けた。


「あ」


聞きすぎたか。


ナナを見ると、彼女は落ち着いた顔で、岸へ寄ってくる舟を指した。


呼ばれたから行っただけだった。


俺の質問に、皆が一日つき合うわけではない。


*


舟には、二人乗っていた。


積んであるのは、魚の入った籠と長い木だった。


セナが浅瀬へ入り、舟を押さえる。


ウルも荷を受け取りに行った。


ナナも貝をしまって立ち上がった。俺は足元を確かめながら後を追った。


岸の男から籠を渡される。


重い。


だが、持てないほどではない。


指された平らな場所へ運び、傾かないように置いた。


戻ると、セナが俺を手招きした。


長い木を舟から下ろすらしい。


まだ削りかけで、細い枝の跡がいくつも残っていた。


舟の二人が木を持ち上げ、岸へ向けてずらす。俺とセナが、出てきた端を受け取った。


膝を少し曲げる。


木の重みが両腕へ載った。


「こっち」


セナの顎が動く。


俺も動いた。


途中で、木が止まった。


舟の男が押す。


俺の持つ端だけが、急に重くなった。


「待って」


知っている言葉で声を上げた。


全員が止まる。


俺は木を支えたまま、舟の縁を見た。


切り残した枝の根元が、縁の内側に掛かっている。


俺は顎でそこを示した。セナも気づき、舟の二人へ声をかける。


手前を下へ向ける仕草をしてみせると、セナが頷いた。


俺たちは端を支えたまま、ゆっくり木を回した。


引っかかっていたところが外れた。


「いい」


今度は、声に合わせて動いた。


木が岸へ載る。


最後まで下ろしてから、俺は手を離した。


腕の内側がじんじんしている。


セナが引っかかった跡を見て、何か言った。


舟の男が笑い、俺の肩を一度叩く。


「……腕、取れるかと思った」


日本語で返すと、ウルまで笑った。


今の言葉は、分からなかったはずだ。


たぶん、顔に出た。


セナは木を置く場所を指した。


俺も、もう一度その端を持った。


*


荷を運び終えると、ナナが水を持ってきた。


俺は両手で器を受け取った。


セナはさっき削っていた櫂を持ち上げ、運んだ木の脇へ並べる。


こちらの木からも、櫂を作るのかもしれない。


器を返す時、セナが俺の掌を見た。


赤くなったところを示し、櫂を握る真似をする。


俺は頷いた。


ウルが俺を指し、漕ぐ真似をする。


少し進め、左右へ大きく曲げた。


「そこまで曲がってないだろ」


昨日の分まで、まとめて報告されている気がした。


俺は掌を隠すように、器を両手で包み直した。


セナの口元が緩んだ。


*


木陰に腰を下ろしてから、俺は貝の話へ戻った。


セナはナナから借りた貝を、指の間で裏返した。


「俺、取った」


貝を指し、水の先を示す。


もらったものを、さらに誰かへ渡しただけではない。


この手で拾ったらしかった。


俺は前へ身を寄せた。


「水の中?」


セナは手を高く上げる。


次に、低く下げた。


土の上へ指で細かな点を打つ。石なのか、貝なのか。


その上へ掌をかぶせ、また引く。


水が来る。


水が引けば、そこへ歩いていける。


いくつか聞き返して、ようやく分かった。


俺の隣で、ウルも土を見ていた。


「その先?」


セナが顔を上げる。


俺は、ここへ来るまで見てきた岸を指した。


木の生えた向こう岸。


水路の口。


「あっちにも、岸?」


彼は俺の問いを聞き、少し目を細めた。


それから両腕を広げた。


さらに、片手を遠くへ伸ばす。


首を振った。


向こうの岸は、見えない。


俺はしばらく、何も言えなかった。


潮の満ち引き。


水に覆われ、また現れる貝のいる岸。


その先に、対岸の見えない水。


「海」


今度は、小さく言った。


セナが俺の口元を見る。


彼がさっき、広い水を示して口にした音を確かめた。


繰り返すと、一度直された。


もう一度。


セナが頷いた。


その音を、小さくもう一度繰り返した。


*


イナに話したい。


まず、そう思った。


ノエも、あの水辺で向こうを見ていた。


二人に、もっと広い水があると話せる。


今度は、どこかで聞いた噂だけではない。


そこから来た人に会った。


貝を拾った手を見た。


セナが俺の顔を覗き込んだ。


「行く?」


俺は反射的に頷きかけた。


彼は、自分の胸を指す。


次に水の先。


眠る仕草を一度する。


それからもう一度、自分を指した。


俺はウルを見る。


セナが少し長く説明した。ウルが確かめ、俺へ短く言い直す。


明日はここで仕事をする。


その次の日、天気がよければ、自分の岸へ帰る。


俺も来るのかと聞いていた。


俺は、膝に置いていた手を浮かせた。


そこまで行けば、海を見られる。


どの方角に開けているのかも、分かるかもしれない。


見知らぬ水辺で目を覚ましたあの日から、俺は自分がどこにいるのかさえ分かっていない。


もっと遠くを知りたい。


俺は水際の舟を見た。


ウルは黙っていた。


俺を急かさず、荷を結ぶ紐を手の中でまとめている。


ノエの集落を出た朝を思い出す。


押すように背へ触れた手。


トワが持ち帰ってくれる、出発したという知らせ。


イナは今頃、それを聞いただろうか。


セナが俺を待っている。


俺は彼へ向き直った。


「行きたい」


セナが頷く。


俺は続けた。


「でも、先に帰る」


来たほうを指す。


自分の胸を指し、もう一度、帰ると言った。


セナの視線が、俺からウルへ移った。


ウルが短く話す。


俺は、その全部を聞き取れなかった。


セナは少し考え、膝に載せた櫂の柄を撫でた。


惜しいことをした。


そう思った。


知らない岸へ連れていってくれる人が、目の前にいる。


次に来た時、まだ会えるとは限らない。


俺は掌を握り、開いた。


それでも、今は帰る。


*


セナが、俺を指した。


「次。いつ?」


俺は顔を上げた。


彼は水の先ではなく、この集落の地面を指す。


ここへ。


次は、いつ来るのか。


「まだ、分からない」


正直に答えた。


戻って話さなければいけない。


二人も来たがるかもしれない。舟も、案内も、これから相談することばかりだ。


セナは頷き、ナナを呼んだ。


二人が話す。


ナナが自分を指し、それから、セナの削りかけの櫂を指した。


俺はウルへ尋ねた。


何度か聞き返して、分かった。


セナは、この集落へまた来る。


次の時を今決められなくても、ナナに知らせを残せる。


彼の岸へ行くなら、いきなり舟を出さず、ここで待ち合わせればいい。


俺は、足元の土を見た。


さっきまで、今日を逃せば切れる道に見えていた。


「また、来たい」


言うと、セナは櫂を持ち上げた。


俺へ差し出す。


もらえるのかと思い、慌てて顔を見た。


彼は柄を握れと示した。


俺が持つと、柄を握る指を少し緩められた。


セナが自分の手を見せる。力いっぱい握りしめてはいない。


俺も真似する。


「次。漕ぐ」


彼が俺を指した。


連れていってもらうだけ、というわけにはいかないらしい。


俺はもう一度、櫂を引いた。


セナが笑った。


*


夕方、ウルと帰りの荷を確かめた。


交換で増えた荷を、舟のどこへ載せるか決める。


俺の座る場所も残った。


「明日」


ウルが言う。


「帰る」


俺が答えると、彼は頷いた。


木の見取りを出した。


来た集落の丸を、ようやく描き足す。


そこから先へは、線を引かなかった。


まだ通っていない。


描いた丸を、指で一度押さえた。


ここまでなら、ウルと来られる。


ここから先を知っている人とも、会えた。


「セナ」


忘れないように口にすると、水際から声が返った。


本人がこちらを見ていた。


俺は手を上げる。


彼も、削っていた櫂を少し上げた。


俺は見取りを荷へ戻し、舟の脇の櫂を取った。


指を、少し緩める。


明日は帰る。


二人に話すことがある。帰りの舟で、覚えることもできた。

お読みいただき、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。