第35話 クローシュ
35話は少ししか進みません。
加奈が会社へ行こうとするお話です。
「安眠のツボを押してくれてありがとう。だけどね、理論君、私、寝ないの」
今日は平日で仕事がある。
私は出社しなければいけないのだ。
寝ている時間などない。
「あ、そうですよね。化粧を落とす方が先でしたよね」
「化粧落としが先とか後とかいう問題じゃないの!!」
「あ、そうですよね!!」
よかった、分かってくれたか。
「加奈さん、すっぴんがみられたくないんですね?? すみません、乙女心が分からずに」
申し訳なさそうに謝罪してくる理論君。
「そうじゃなくて、私、今日会社へ行くの!!」
「え?? 出社するんですか??」
驚きの声を上げる理論君。
「そうよ!!」
「やめたほうが良いですよ。顔を青くしたり赤くしたりしているんですから」
私を心配しての助言だということは分かるが、余計なお世話というものだ。
「休めないのよ」
「もしかして有休がないんですか??」
「有休ならあるわよ。去年使わず繰り越した有休がたくさん」
働くことは大好きなのだから。
「あるなら使いましょうよ、有休!!」
「使えないのよ」
「使えないどういうことですか?? 有休って、理由なく使えますよね??」
「その通りよ」
理論君の言う通りだ。
有休を使うのに、理由はいらない。
体調不良でも、リフレッシュするためでも、気が乗らないからでも、理由は何でもいい。
だがしかし、本社に来てまだ3日目なのだ。
3日目で有休を使った理由が二日酔いだと知られたら、間違いなく私の査定に響く。
「あ、分かりました」
さすがは、理論君。
何も言わなくても分かってくれるとは、さすがだ。
「上司が怖くて、有休を使えないんですね。それなら、僕が代わりに電話をしておきますよ。スマホのパスワード教えてください」
私のスマホを持ってきた理論君は、屈託のない笑顔で電話代行をかって出る。
うん、理論君、全然分かってなかった。
「ちょっと待って」
「どうしました??」
「あのね、理論君。上司が怖いわけじゃないのよ」
「え? そうなんですか??」
「そうよ。怖いどころか、優しいんだから」
「優しいなら、二日酔いのため有休を使います……と僕が連絡しておきますね」
「なんで、理論君が電話をするのよ!? 風邪で学校を休む子どものために、母親がする代行電話とは話が違うのよ!!」
「違うんですか??」
なんでそう思ったの??
そもそも、理論君、貴方は私の身内じゃないし、退職の電話の代行ならいざ知らず、会社休みの電話の代行なんて聞いたことないよ。
「違うわよ!! 若い男の声で『金子加奈さんは二日酔いのために休みます』なんて上司に電話したら、間違いなく彼氏が電話してきたと勘違いされるわ!!」
「家族と間違えられる可能性はないんですか??」
「ないわよ。父は病弱で入院していることも、一人っ子で私に兄弟がいないことも会社の人たちには周知の事実なんだから」
「そうだったんですね。すみません、出過ぎたことをしようとして。直接電話しますか??」
理論君は私のスマホを差し出した。
「あのね、理論君、仮に私が休むとしても電話するなんてことはないの」
「そうなんですか??」
「そうなの。今はチャットの時代だから、会社への休みの連絡もチャットで行われるの」
そう、電話だと引継ぎの伝達がうまく伝わらない場合があるので、基本的にはチャットなのだ。
チャットならば、文面に残るので、伝達ミスがなくなるしね。
「それなら、忘れないうちにチャットしちゃいましょう!! 文面、僕が考えますので、スマホのパスワードを教えてください」
「さっきも言ったけど、私、今日は会社を休む気がないのよ!! つまりは有給休暇を使わないの」
「今にも死にそうな声を出しているのに、それでも出社するんですか??」
「たとえ二日酔いで死にそうでも、会社に行かなければいけない時があるの」
「大人って大変なんですね」
「そうよ、それが大人なのよ。ところで、今、何時??」
「もうすぐ6時10分です」
今日は普通番で9時までに職場につかなければならない。
二日酔いのせいで早足はできないと考えた方が良いから、逆算して8時にはここを出ないと間に合わない。
あと約2時間。
冷蔵庫に作り置きのおかずはないはずだ。
この頭痛と戦いながら朝ごはんをつくらなければならないということか。
ジャガイモと鮭はあるから、作ってもいい。
だがしかし、このグロッキー状態で朝ごはんを作れるのだろうか……いや、作れない。
コンビニに買いに行ってもらうという手もあるが、さてどうするか。
「とりあえず、朝ご飯にしますか??」
「その朝ご飯をどうするかが問題なのよ。自炊はできそうにないし、かといってコンビニまで歩けそうにないし……」
「朝ごはんなら作りましたよ、僕」
「え?? ご飯できているの??」
「一応ですが。ついでにお風呂も沸かしてあります」
「ありがとう、理論君!!」
なるほど。
先ほど、疲れたと言っていたのは、風呂掃除をして、お風呂を沸かして、朝ごはんも作ってくれたからか……
「ちょっと待って。今、『朝ごはんを準備した』って言った??」
「言いましたよ」
男性が台所に立つと、皿や調理器具を壊す、汚れ物やらなんやらがぐちゃぐちゃになる、味もおいしくないという三重苦しか味わったことがない。
もしも、この理論君も今までと同じような男であれば、また三重苦を味わうことになるだろう。
ただでさえ頭が痛いのに、頭痛の種がもう一つ増えてしまう。
最悪の想定をしながら、痛む頭を抱えながら四つん這いで移動して、台所を覗き見た。
そこにあった光景に私は息をのむ。
いつも通りの光景だ。
まるでここで料理を作ってなんかいないよう。
どうやら、この理論君は料理をした後の片付けはできるらしい。
「どうしたんですか?? そんなに驚いて」
「いや、今までの経験上、私の周りの男性は料理を任せると台所がぐちゃぐちゃになっていたから、理論君もそうなのかな……と思って」
「僕を加奈さんが出会った今までの男と一緒にしないでください」
むくれる理論君。
「それは……ごめん」
反省しなくては。
「謝ってくれればいんですよ。それよりも食事にしましょう」
椅子を優雅に引いて、私を座らせようとする理論君。
席に着くと、目の前には大きなクローシュがあった。
良く見つけて来たな、クローシュ。
去年、上司とのフランス料理の接待があったときに、少しでも場慣れするために買ったもので、使わないだろうとキッチンの奥の奥にしまいこんだはずなのに……
私がじっとクローシュを見つめていたせいだろうか??
「何が入っているか気になりますか??」
訊ねてくる理論君。
「まあ、そうね」
「僕が開けてあげます。はい、どうぞ」
私がクローシュをとろうとすると、理論君はすぐさまクローシュを持ち上げた。
「これって……」
まとめ
理論君は料理をしたようだが、キッチンはまるで料理をしていないかのようにいつも通り。




