第10話 正論
10話 話はまったく進みません。
階段かエレベーターかの議論が終結するだけです。
「えー!? 一緒に階段を上りましょうよ。私、運動不足なんですよ」
「なぜ40階まで階段で登らなければならないんだよ?? 運動不足なら、家からここまで歩いてくればいいだろ」
「もちろん歩いてきましたよ、家からここまで」
「歩いてきたって、そんなに家が近いのか??」
「八反田にある会社の社宅からです」
「八反田にある社宅?? あんな遠くから歩いてきたのか??」
眉をひそめるトッシー先輩。
「そんなに遠くはないですよ。早歩きで40分ほどですから!!」
「朝から運動しすぎだろ!! 通勤費もらって、バスで通えよ!!」
「私、バスとか電車って苦手なんですよ」
「酔うのか??」
「いえいえ、酔うわけではないのですが、急かされている気がして」
「急かされている?? どういうことだ??」
「バスには発車時刻があるので、その時間までにどうしてもバス停につかなければいけません。もしも、バスに乗り遅れたら、ハラハラドキドキしなくてはいけないんですよ!!」
「田舎路線ならいざ知らず、八反田には周遊バスがあるから、10分に1本バスが出ているだろ!!」
「それはそうですね」
「40分も歩く時間があるのなら、1本や2本バスに乗り遅れても大丈夫なんだよ!!」
トッシー先輩に正論を振りかざされるなんて思いもしなかったよ。
「確かに、トッシー先輩の言う通りです。ですが、バスよりも40分歩いたほうが健康に良いのです」
「そう言えば金子、高校時代から健康オタクだったな」
「健康オタクは心外です。少しだけ健康に詳しいだけですから」
「あー、はいはい、そうですね。健康にいいですね」
トッシー先輩は私の話を流そうとする。
「同意してくれるなら、トッシー先輩も歩きましょうよ」
「イヤだよ。メリットないもん……いや、待てよ」
トッシー先輩は急に悪い顔をし始めた。
「会社にはバスで通勤していると報告して、実際は歩いて通勤すれば、通勤費がまるまるポケットマネーになるな」
なんでこういう悪知恵だけは働くんだろう??
普段はめちゃくちゃ頭悪いのに。
「先輩、それ普通に犯罪ですよ」
「硬いことを言うなよ。お前もそうしているんだろ??」
同意を求められても困る。
「通勤手当はいただかないことになっています」
「ウソだろ??」
目を白黒させるトッシー先輩。
「ウソじゃないです。本当です」
「歩いて40分だぞ!! お金をもらっていないということは、1日は24時間なのに、往復で80分浪費しているだけなんだぞ。分かっているのか??」
「分かっていますよ」
「もったいない」
「もったいない以前に犯罪ですからね」
「会社にバレなきゃ犯罪じゃないんだよ」
「いやいや、会社にバレようがバレまいが犯罪は犯罪です」
「相変わらず頭固いな、金子は」
「潔白でありたいだけです。潔白であれば嫌われる心配も少ないですから」
「潔白だって!?」
驚くトッシー先輩。
「何をそんなに驚いているんですか??」
「俺にはお前がグレーにみえるからな」
「グレー?? どういうことですか??」
「お前が会社まで歩くことによって、通勤費のいらない距離だと判断したらどうするんだよ??」
「通勤費は会社が自由に決められると知っていて話しているんですか??」
「え?? 通勤費って、法律で決まっているんじゃなくて、会社で決められるの??」
そうですよね。
先輩が労働基準法のことを知っているわけがないですよね。
「そうですよ、会社の独自判断です」
「おい、金子、お前はグレーじゃない。お前は真っ黒くろ助だ。もしも本当に会社が通勤費のいらない距離だと判断したら、他の社員が迷惑するじゃないか!!」
「確かに。歩いて40分なんてすぐですから、通勤費はなくなるかもしれまんね」
「すぐじゃないだろ。40分だぞ、40分!!」
「40分と言っても、信号が多いので実際に歩く距離は30分くらいです」
「多いだろ、30分は!! 一体何キロ歩くんだよ??」
「時速5キロ換算で、約2.5キロですね」
「聞いただけで疲れる距離だ」
呆れかえるトッシー先輩。
「そうですか?? もしも、社宅から会社まで川が繋がっていたら、バタフライで着衣水泳する程度の距離だと思うのですが」
「良かった!! 川がなくて。川があったら、川を泳ぎで出社してくる妖怪と会社で働くところだった!!」
「妖怪?? 川泳ぎして出社する美人秘書の間違いですよね??」
「間違いなくターボババアとか、八尺様とか、妖怪の類だよ!! 全国の小学生が恐れおののくよ!!」
「悪目立ちすることは会社の損失。おとなしく、早歩きだけにしておきます」
都会に出てくるときに、悪目立ちをしてはいけないと上司にくぎを刺されたばかりだ。
「そうしろ。そして、会社の階段は使うな!!」
「えー、階段使いましょうよ!! 『高く登ろうと思うのなら、自分の脚を使うことだ』っていう名セリフがあるじゃないですか」
エレベーターが到着し、扉が左右に開くと『1階です。上に参ります』という機械の音声。
「そんな名セリフ、知らない!!」
「ニーチェを知らないんですか??」
「ニーチェだか、ドルチェだか知らないが、ごちゃごちゃ言わずにエレベーターに乗れ!!」
「エレベーター使えば電気代がかかるじゃないですか!! 会社負担なんですよ!!」
「必要経費だよ!! ごねていないで、さっさとエレベーターに乗れ」
トッシー先輩は私を無理やりぎゅうぎゅう詰めのエレベーターに押し込んだ。
まったく、強引だな。
トッシー先輩は。
まとめ
加奈、エレベーターに押しこまれる。




