11.会いたかったようです
ルペリオ暦629年7月29日
学園は一ヶ月程の夏季休暇に入ったので、ロゼリアは自宅でゆったりと本を読んでいる。
「⋯⋯ほぅ。素敵でした⋯⋯」
本を閉じ、今しがた読んでいた物語を思い返すとほぅっと息を吐いた。
今読んでいたのは、ディートハルトから勧められた推理小説だ。
本ならロマンス小説から伝記、自伝まで様々なジャンルを嗜むロゼリア。様々な本を嗜み、自分の好みの本に出会えた時はそれはもう幸福な気持ちになれるものだ。
特にディートハルトの勧めてくれる本はロゼリアの好みを押さえたものばかりで、はずれがない。
(今度ディートハルト様にお会いしたら本のお礼と感想を申し上げましょう)
また一つ彼に話したいことが出来たと思うと、何故か顔が緩んだ。
ディートハルトと話すのは緊張もするのだが、それと同時に楽しみなのは自分でも不思議に思っている。
「⋯⋯そんなに面白い本だったのですか、ロゼリアお嬢様?」
「はわっ?!」
意識外から声をかけられたので、変な声が出てしまった。
「⋯⋯ナギですか。驚きました」
「ははっ。慌てるお嬢様も可愛らしいですね」
ナギはシュタッフェル侯爵家の使用人の一人で、明るく人懐っこい性格をしている。男爵家の四男だが、家督は兄が継いでいるので、数年前から侯爵家で働いている。
「そんなに緩んだお顔をされているということは、ロマンス小説でしょうか?」
「いいえ」
首を横に振って、表紙を見せる。
「⋯⋯『ボルティガ探偵社』。推理小説ですか?」
「はい。個性溢れる探偵たちが力を合わせて事件解決に導くのです。ディートハルト様がお勧めしてくださったのですが、最後の犯人を自白させるシーンは泣きそうになりました⋯⋯」
「そうなんですね」
一瞬ナギの目が鋭く細められたが、本を紹介するのに夢中なロゼリアは気づかない。
「――――この無口な探偵員がまるでディートハルト様みたいで――――って、⋯⋯ナギ? どうかしましたか?」
「え? 何がでしょうか?」
相槌が聞こえなくなり、ナギの顔を覗き込む。しかし彼はいつものにこやかな笑顔を浮かべていた。
「それにしても⋯⋯巷ではいろいろと言われていますけど、殿下とは仲が良いようで安心しました」
「仲⋯⋯良いかしら⋯⋯?」
うーん、と首を傾げる。
ディートハルトとは決して険悪な仲でも、お互いを空気と思うような冷えきった仲でもないが、これは良いと言えるのだろうか。
ロゼリアの中での『仲が良い婚約者』は、ロマンス小説のように愛を囁き合ったり、コリンナやイシスのようにデートを重ねて、お互いに想い合っていることを言うのだと思っている。
ディートハルトとロゼリアは、愛を囁くなんてもちろん、デートも無いし、お互いが想い合うことなどこれからも無いだろう。
「仲が良いかは分からないけれど⋯⋯ディートハルト様をもっと知りたい⋯⋯とは思いますね⋯⋯」
ディートハルトがロゼリアを知ろうとしてくれているように、ロゼリアもまたディートハルトを知りたいと思う。
「愛されなくても⋯⋯ですか?」
「愛されなくても⋯⋯です」
たとえこの婚約に愛がなくても、信頼関係を築いていくことはできると思うから。愛し愛されの婚約でなくとも、十分に幸せだと思う。
「お嬢様は健気ですね。そんなお嬢様に朗報です。そのディートハルト殿下が一時間後にいらっしゃっるそうですよ」
「――――っ! もっと早く言ってくださいっ」
(今日はお約束はなかったはずだけれど、どうされたのかしら⋯⋯。というか、何もない休日に会うのは初めてではないかしら⋯⋯)
ロゼリアは慌ててドレスを着替え、髪を緩くまとめて、薄く化粧もほどこす。
(少し気合いが入りすぎ⋯⋯? でも、せっかく会えるのだから綺麗にしたいし⋯⋯)
鏡に映る自分は頬が紅潮していて、いつもより明るい表情をしているように見える。
せっかく会えるのだから、先程読んだ本のお礼と感想も伝えようと、本を持って部屋を出た。
ディートハルトが待つ応接室に向かうと、男女の話し声が聞こえてきた。
(ディートハルト様と⋯⋯お姉様?)
向かい合ったソファーで会話を交わす二人。
普段から同じ生徒会で仕事をしているからか、その態度はお互いに気安い。
開かれた扉の隙間から覗けば、ふわりとディートハルトが微笑む姿が見えた。
(――――っ。⋯⋯わたくし、何を勘違いしていたのでしょう)
ディートハルトはロゼリアに会いに来たわけではないのだ。
ロゼリアを言い訳にコリンナに会いに来たのだろう。
それなのにわざわざ着飾って、綺麗に見られたいだなんて思って。
最初から――――見てもらえるはずがなかったのに。
(ディートハルト様はお姉様が好き⋯⋯。知っていたはずなのに⋯⋯どうしてこんなに胸が痛むのでしょう⋯⋯)
もう少しだけ二人にしてあげようと、ロゼリアは踵を返そうとして⋯⋯
ゴトッ
「あっ⋯⋯」
「⋯⋯ロゼリア!」
持っていた本を落としてしまい、ディートハルトに見つかった。
「ディートハルト様⋯⋯いらっしゃいませ」
「ああ。急に押しかけてすまない」
「いえ⋯⋯」
(ディートハルト様⋯⋯見て見ぬふりをしてくだされば、もう少しお姉様との時間がありましたのに⋯⋯わたくしが物音を出してしまった為に、申し訳ないです⋯⋯)
「⋯⋯? 体調が悪いのか?」
落ち込んだ顔をしたからだろうか、ディートハルトが眉根を寄せた。
「いいえっ! あっ、いえ⋯⋯はいっ!」
答えてから、体調が悪いことにしてこの場を退席すればいいと気づき慌てて言い直したが、さらにディートハルトの眉間に皺を増やす結果となった。
じっと美しい金色の瞳に正面から見つめられ、ロゼリアの心臓はうるさく鳴るが、その瞳から目が離せなかった。
「⋯⋯触れても?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯えっ」
驚きで目を見開くと同時に、大きな手が額に触れた。
(えっ、⋯⋯ええっ?)
ディートハルトの手は、剣術もするからか皮が厚くて、でもなめらかで温かくて。こちらを見つめる真剣な瞳にドキドキと心臓が鳴った。
「⋯⋯熱はなさそうだな」
ロゼリアの額よりディートハルトの手の方が熱いと感じたのは気のせいだろうか。
「は、はい⋯⋯」
手は離れたのだが、未だに心臓の鼓動は早いままだ。
(ディートハルト様の手⋯⋯温かくて優しかった⋯⋯)
もっと触れていて欲しかった⋯⋯なんてまた欲が湧いた自分に驚く。
いつの間にかコリンナは応接室からいなくなっていた。




