10.婚約者となったようです
ルペリオ暦629年7月7日
ディートハルトの婚約者となったロゼリアは、少しずつ彼と会話をするようになった。
「好きなケーキは?」
「⋯⋯ケーキ、ですか。⋯⋯⋯⋯ええと、⋯⋯⋯⋯⋯⋯いちご⋯⋯いちごの乗ったケーキが好きです⋯⋯」
「そうか」
「はい⋯⋯」
決して弾んでいるとは言えない会話だが、彼は緊張でまごまご話す自分の言葉に耳を傾けてくれる。言いたいことが素早く纏まらなくても、急かしたりせずに待ってくれる。
このぽつぽつの会話も心地よいと感じるようになってきた。
そしてこの会話の翌日にはいちごのたくさん乗ったケーキを持ってきてくれた。
(やっぱり、すごく優しい人⋯⋯)
姉の代わりの婚約者。ディートハルトがコリンナを忘れられないが故の代替品。
だと言うのにディートハルトはとても優しくしてくれる。気遣ってくれる。
表情はあまり変わらないし、言葉数も少ないからよく分からないが、ディートハルトがロゼリアを知ろうとしてくれているのは伝わる。コリンナではなく、ロゼリアを見ようとしてくれているのが伝わる。
まるで自分が望まれているみたいで、それがたまらなく嬉しかった。
どうせ自分なんかは姉の代わりでもないと誰にも望まれないのだからと、こんな自分でもディートハルトの役に立つのならと受けた婚約。
なのに、こんなに大切にしてもらえるなんて思ってもいなかった。
(こんなに優しくされると⋯⋯好きになってしまいそうです⋯⋯)
姉に想いを向ける人を好きになっても虚しいだけ。だから、好きにならないようにしようと、求婚を受けた時に決めたのだが。
一方で、ロゼリアの受ける嘲笑は少し酷くなったように思う。
誰もが狙っていたディートハルトの婚約者という立場に、姉のお陰で棚ぼたのように座ったロゼリアは、嫉妬や嘲りの視線を向けられることが増えた。
『コリンナ様ならともかく、どうしてあんな冴えない子が』
『殿下の優しさに甘えて婚約者になるなんて、図々しい』
『自分が求められているとでも勘違いしているのかしら』
直接何かを言われることはないが、小さく聞こえてくる悪口と不快な視線に、心が塞ぎ込みそうになる。
コリンナには「勝手に鳴いている虫なんて放っておきなさい。殿下がどれだけロゼリア大好きか知らないだけよ」と慰めてくれたが、それこそありえないとロゼリアは思う。
ディートハルトはロゼリアの前ではっきりとコリンナへの想いを口にしていた。しかし、それを伝えて、想い人との婚約が決まり幸せそうな姉を悩ませてはいけないと思い、口をつぐんだ。
何より、自分はいつもコリンナのおまけで、いらないもので。コリンナのように愛らしい笑顔も、要領のいい頭も、明るい社交性も持ち合わせていないのだから、誰かに望まれるなどありえないのだから。
◇◇◇
ルペリオ暦629年7月8日
婚約者というのはすごいとディートハルトは思う。
特別用事がなくとも話しかけることが出来、隠れなくとも堂々隣にいることが出来る。遠くから観察するのではなくて、目の前でロゼリアの表情の変化を見ていられる。
ただ、ロゼリアからも見つめられるので、緊張していつも以上に言葉数が少なくなり、表情筋も固まるのだが。
(そのうち私にも笑ってくれるだろうか⋯⋯)
ロゼリアもまた緊張しているのだろう。戸惑っていたり、いつも以上に返事に時間がかかる時がある。コリンナに見せるようなふんわりとした笑顔はまだディートハルトに向けてくれてはいなかった。
(⋯⋯ああ、でもあの天使の笑顔を向けられたら私の心臓が破裂するかもしれん。もう少し慣れてからでもいいのかもしれない。⋯⋯緊張しているロゼリアも可愛いし。うむ)
「イシス。この前のケーキは良かった。助かった」
「いえ。しかし別に自ら店に出向かなくても、侍従に買いに行ってもらえばよかったのでは?」
「⋯⋯私が選びたかった」
ロゼリアからいちごのケーキが好きだと聞いたディートハルトは、菓子好きの妹がいるイシスに美味しい店を聞いて自ら買いに出向いた。
本来ならば侍従にでも買いに行ってもらえばよかったのだが、ロゼリアが口にするものは自分で選びたかったのだ。
その分、彼女が幸せそうに目を細めて食べていた姿に多くの幸せを感じた。
「⋯⋯殿下は本当にロゼリア嬢を慕っているのですね」
「当然だ」
イシスはコリンナに指摘されるまで、ディートハルトはコリンナを慕っていると思っていたらしい。
なんでも、他の女性には淡々とした対応ばかりなのに、コリンナに対しては優しく、話す時は柔らかい表情をしていたのだとか。
ディートハルトとしてはロゼリアの話を聞けて顔が緩み、愛しのロゼリアの姉だから他の女性と違った対応だったのだが、周囲から見えていた姿に驚いた。
コリンナの婚約者となったイシスには「ありえないから安心しろ」と言っておいたが、最近じわじわと実感しているらしい。
(⋯⋯ロゼリアの話をする時は緩んだ顔をしていると言われるが、そんなにだらしない顔をしているのだろうか⋯⋯気をつけよう)
ロゼリアに鼻の下を伸ばした顔を見られて幻滅でもされたらショックで立ち直れない。
気を引き締めて頷いていると、ノックの音が響いた。どうやらコリンナがお茶を淹れて持ってきてくれたようだ。
「わたくし、殿下はロゼリアと距離を縮めるべきだと思うのです」
「?」
三人でお茶を飲んでいると、唐突にコリンナが言った。よく分からないディートハルトがイシスと顔を見合わせると、ムスッとしたコリンナは続けた。
「お二人は婚約者となってしばらく経つのに、いまだに距離が遠いように見えます」
「そうか?」
話しかけることすら出来ずにひたすら見守っていた時に比べると、会えば挨拶をして、会話をして、贈り物をして、かなり近づいていると思う。むしろ成長具合が凄まじいとさえ思う。
そう考えているのが伝わったのか、コリンナは眉間に皺を寄せた。
「ぜんっぜん、足りません! まずもって距離が遠いです。二人で歩く時はエスコートしましょうよ。なんですかあの微妙な距離は!」
「うぐっ」
確かに、ロゼリアと二人で歩く時は彼女が三歩程後ろを歩くという微妙な距離があいている。会話は出来るが、主人と侍従のような距離感だ。
「イシス様は必ずエスコートしてくださいます。言葉が足りなくても、その気遣いに女性はときめくものなのです」
イシスはもともと紳士的なヤツだが、何年も慕っていたらしい婚約者をこれでもかと言うくらい甘々に大切にしている。
「イシス様は一緒に歩いていても、ペースが早くないかとか、疲れていないかとか、靴擦れをおこしていないかとか、いろいろと、それはもういろいろと気遣ってくださります。優しく微笑んでくださるのです! わたくしはイシス様が隣にいるだけで幸せなのに、わたくしを気遣ってくださるとか優しすぎます。更に更に好きになってしまうのです!」
「コ、コリンナ⋯⋯俺の話は⋯⋯」
「イシス様、大好きです」
「あ、ありがとう⋯⋯」
イシスはどうやらコリンナには勝てないらしい。いつものハッキリとした冷たい物言いが完全になりを潜めている。
「なので、もっと分かりやすく『好き』を表現しましょう?」
ディートハルト的には頑張っているのだが、まだ足りないと言う。
「⋯⋯エスコートならば、一度だけしたことがある」
「婚約披露パーティーの時だけ――――なんて言いませんよね?」
「⋯⋯」
そっと目を逸らすと、呆れたようにため息をつかれた。
だって緊張するのだと、心の中で言い訳をする。
ディートハルトも健全な男なので、好きな人に触れたいという欲はある。ただ、ロゼリアの美しさにそれよりも緊張が勝ってしまうのだ。
婚約披露パーティーでエスコートした時もずっとソワソワするし、緊張で少し手が震えていたのではないかと思う。⋯⋯ロゼリアに気づかれていないといいが。
「とにかく、殿下はもう少し『好き』を前面に出すことをおすすめいたします」
「⋯⋯善処する」




