37羽:城壁前の暗雲
第64話:城壁前の暗雲
【本文】
皆さんこんにちは“城壁 大好き”こと《魔獣喰い》です。
“石造りの城壁”という単語に、皆さんどんな印象があるでしょうか?
……では、そこの方……はい、正解です!
そう『男の浪漫と夢が積み重ねられた気高い建造物』で正解ですね。千キバーを差し上げます。
莫大な予算と労役をかけて築かれた、人類が住まう街を守る最強の防壁。分厚く堅牢であり、か弱い人類では当店太刀打ちできない圧倒的な存在……それが“ザ・城壁”なのです。
(やっぱり城壁といえば石造りだよね……)
前世では自分は東北の城下町で育った。確かにあの日本式の城も趣があり悪くない。だが中世風な異世界を夢見る者なら、誰もが石造りの城壁に憧れ恋をするであろう。
そんな夢にまで見た“城壁”が自分の目の前に徐々に迫ってきているのだ。
これを興奮にせずにどうしろというのだ!
おっと、《獅子姫》ちゃんが剣の柄に手を当て、浮かれているオレを睨んでいる。そして神官ちゃんも呆れて表情でジト目だ。
これはいけない。
では、少し落ち着いて本編へ戻ろうとする。
◇
「ようやく……戻って来ましたね、レオン様」
「ああ……既に懐かしくすら感じるな……この伯都の正門も……」
妄想の中で興奮するオレとは別に、グラニスの四人の騎士たちは懐かしの城壁を目にして安堵の表情を浮かべる。
彼らとて帰郷に浮かれている訳ではなく、その反応も無理もないであろう。
騎士たちは魔境とされる大森林に果敢に挑み、多くの仲間や部下を失っていた。また目的の為に誇りある騎士鎧を捨て、目的地である森の民の集落へ向かう。
ボロボロになりながらも探し求めていた“霊薬”を手に入れ、ようやく自分たちの故郷に戻って来たのだ。その表情には深い感情が詰まっていた。
「だが、ここからが正念場であるぞ……スザンナ」
「はい、レオン様……心得ています」
だが帰郷による安堵の表情も、すぐにまた厳しい顔つきへと変わる。正念場……この伯都の城の中では、現在はお家騒動による派閥争いがあると言っていた。
その新しい苦難を思うと浮かれている場合ではないのであろう。
「“獅子姫”さま、“魔獣喰い”殿。それに森の戦士に皆さんも、申し訳ありませんがここからはフードを深く被るようお願いいたします」
「うむ、分かった」
女騎士スザンナの指示で、オレたち森の民はフード付の長いコートで身体と顔を隠すことを再確認する。これは道中でグラニスの騎士たちが用意してくれた、隠ぺい用の旅用の衣類である。
何しろ自分たち森の民の格好は威圧的で目立ちすぎる。伯都に入るにあたり余計な騒動に巻き込まれないように、こうして変装する事にしたのである。
伯都はお家騒動の真っ最中であり、この先どんな事件に巻き込まれるか分ないからだ。
「皆さんありがとうございます。後はあそこに見えます正門から街の中へ入り城まで向かいまます」
それでも渦中のスザンナは明るい表情で自分たち森の民を先導してくれる。
“警戒ヲ継続セヨ”
グラニスの騎士たちの暗い心中を察し、《獅子姫》は同行する森の戦士たちへ手信号で合図を送る。いつ何時も油断をするな。
迫る堅牢な城壁を前に森の一団にも緊張感がはしる。手元の武具を確認して周囲を警戒し、あらゆる事態に対応できるように誰もが心構えをする。
「おお……間近で見る……ますます凄いな、この城壁は!」
だがそんな中、まるで緊張感がない感動の声が響く。
声の主は言うまでもなく《魔獣喰い》ことオレである。
何しろ夢にまで見た中世風な城壁の実物を目にしたのだ。驚きの声を出すな、という方が無理な注文である。
「壁の高さと分厚さが、先日の砦の比じゃないな……これは……」
口を開けながらその規模に驚く。
近づいて気がつくが壁の高さは自分の身長の数倍はある。そんな大小の石を組み上げられた城壁が街を囲むように左右遠くまで広がっていた。
「ほう、これは“良い”城の匂いがするな、スザンナよ。数多の戦に耐え抜いてきたいい香りがするのう」
城壁を目の前にして、先ほどまでつまらなそうにしていた《獅子姫》の口元に、嬉しそうな笑みが浮かぶ。
「このグラニスの街は古来から多くの戦乱を経て、改修に改修を加えて今の形になったと伝わっています」
騎士とし教養が深いスザンナが、自分たちも分かりやすく伯都の歴史を説明してくれる。昔からあった城や街に増築を繰り返し、ここまで発展してきたのだという。
そう言われてみると城壁の至る所には修復された跡がある。まるで歴戦の戦士のように。その傷跡が悠遠の歴史を語っているようであった。
「班長、上を見てみろ……」
「ん?この街の守備兵かな……」
後ろのイケメン剣士の声に視線を城壁の上に向ける。
城壁の上には等間隔で見張り塔が置かれ、長弓を持った兵士の姿が見える。その顔には暇な見張りの任務による油断の色はなく、このグラニスの兵士たちの錬度と士気の高さが伺える。
「あれ……城壁の外にも街があるのかな……」
周囲を観察していると、自分たちが向かっている正門の前に小さな集落があることに気が付く。
「はい、税を払わない者たちが住み付き自然と形成された外の街です……貧民街と呼ばれておりますが、特に害はないのでご安心下さい」
城壁の正門の左右には街道に沿うように小さな街が形成されていた。
見た感じは粗末な材木や塗り土で建てられた家屋が多く、お世辞にも綺麗な集落ではなかった。それでも小さな商店や露店が立ち並び、客引きたちの活気の良い声で賑わっていた。
「城壁の中は税が掛かるので、あのように外で商売をする者も多いです」
「本当だ……いろんな店があるんだね……」
彼女の説明によると外の集落には安い宿や酒場、闇市に女郎街などもあるという。短期間の滞在のつもりが、そのまま長く住み付く者も多いのだとも。
もしかしたら意外と住み心地がいい環境なのかもしれない。
「これ……美味しそう……」
神官の少女は屋台の前に立ち止まり、小さく呟く。
「あっ、本当だね、神官ちゃん」
出来立ての食べ物を販売する露店に差し掛かる。
肉や魚を直火で焼き、煙と供に香ばしい匂い立ち昇り食欲をそそる。大森林の大村でも見たこともない様々な食材や料理が立ち並び、通行人の胃袋を刺激していた。
更に通りを進む。
「ん?この行列は何だろう……城門の方に伸びているけど……」
露店と貧民街を過ぎると長い行列に差し掛かる。徒歩や荷馬車など荷物を持った者たちが立ち並ぶ。
「彼らは街の中へ入るための順番待ちをしています。通行料を支払い、簡単な荷物の検査を受ければ誰でも街の中へ入れます」
「へえ……城門に兵士の人たちがいるのもそれか……」
スザンナの説明に列の前方に目を向ける。
そこでは武装した兵士たちが通行人の通行証を確認し、証を持たない者からは入場料を徴収しているのが見えていた。
今はちょうど忙しい時間帯なのだろう。さまざまな職種の者の姿が目に入る。
荷馬車を引き連れた行商人や信仰心の深い巡礼者。また農作物を積んだ荷馬車の農民に、毛皮の束を担いだ猟師など多種多様である。
「でも、けっこうすんなり中に入って行くね、みんな」
「街に入る税もそれほど高くはありません。それに荷物の検査もそこまで厳密ではありません。あくまでも形式的検査となります」
雰囲気的に城門での検査も簡単であった。細部まで全て真面目に調べていたら、それだけで日が暮れてしまうのであろう。よほどの危険物や指名手配で中に入れ持ち込みが出来るという。
「騎士である我々と同伴者は、あちらの別口からすぐに入れます。入れるのでこちらへどうぞ」
「おお、列に並ばなくても大丈夫なんだね……」
よく考えたらそうであろう。
下位ではあるが貴族でもある騎士は、顔パスで街に中に入れるのだという。スザンナの先導で行列を追い越して特別待遇で城門へと向かう。とても気分がいい。
(これは街の中に入ってからも特別待遇が期待できるな……もしかしたら、何でも食べ放題とか……)
何しろ自分たちは、森狼の群れに襲われて死にそうになっていた領主の息子レオンハルトを助けたのだ。きっと夢のような褒美が与えられるかもしれない。
(その褒美で、いきなり騎士に任命されちゃったりして……えへへ……)
素晴らしい待遇を受け妄想はますます広がる。これからは少年騎士くんをたまには褒め称えておこう。
(ん……?前方が騒がしいぞ……?)
妄想していたら少し遅れてしまっていた。我に返りその異変に気づく。
先行していた少年騎士やグラニスの騎士が、城門の兵士たちと何か口論になっていたのだ。
「お前たちなぜそこをどかぬ!この方はグラニス伯爵家の嫡男であるレオンハルト様であるぞ。無礼者め!」
少年騎士のお付きの騎士が顔を真っ赤にして兵士たちに吠えていた。何か不適際でもあったのであろうか。
(もしかしたら、“騎士の鎧”を着ていないから怪しまれたのかな、少年騎士くんたちは……)
こちらの四人のグラニスの騎士は、自分たち森の民から借りた革鎧を着込んでいた。それは過酷な大森林を往復するための応急的な処置であった。
ぱっと見の騎士たちは貧相な傭兵にも見える。だが高価な軍馬にまたがりグラニスの紋章が入った騎士の盾を持っていた事が、門番たちに誤解を与えていたのかもしれない。
「はい、存じております……ですが、だから通すことは出来ません……」
「な、何だと貴様ぁ!」
だが、なにやら様子がおかしい。
少年騎士くんの素性を知りつつも、兵士たちは通行止めにしているのだ。
グラニスの騎士たちと城門を守る警備兵たちの間に不穏な空気が流れる。お互いに武器の柄の感触を確かめ一触即発の危険な状態である。
順番を待つ通行人や貧民街の住人もその雰囲気に気づきザワツキはじめる。巻き込まれないように騒動から離れ遠巻きに見守る。
「おやおや……」
だがそんな声と共に、危険であるはずのこの場に誰かが近づいて来る。
その声の主は武装した騎兵の集団の先頭にいた。城門の中から出てきたところを見るとこの伯都の騎士であろう。
その姿を見た途端に警備兵たちの表情が変わり、更なる緊迫感が周囲を被う。
「連絡を受けて見に来たら、これは奇怪な……」
その騎士は趣味の悪い豪華な貴族服に身を包み、軍馬の上からこちらを見下していた。
(大きな……)
かなりの巨躯である。
頭は少し禿げ上がっているが、鍛えられた肉体が貴族服の上からでもよくわかる。それは戦士の身体である。
左頬の戦傷と、隙の無い目つきが印象的な大男だ。
「これは、これは……可愛い甥っ子であるレオンハルトによく似た不審者ではありませんか」
貴族服の男は軍馬の上からこちらを見下し軽蔑するような言葉を吐き出してくる。
「伯父……殿……これはどういうことか?」
声を震わせ感情的な声で少年騎士レオンハルトが言葉を発する。侮蔑を受け今にも斬りかかっていかんばかりの危険な表情である。
「伯父さん……?」
「はい……この方はレオン様の父上の兄に当たる方であります……今は代理で領主の座についていますワルター・グラニス副伯爵……様であります」
オレの呟きに隣にいたスザンナが答えてくれる、その声も主君を侮辱され怒りに震えていた。
「コイツが……お家騒動を引き起こしている……例の奴か……」
ワルター・グラニス副伯爵――――レオンハルトたちと敵対する総大将が自ら現れたのである。
◇ ◇ ◇
グラニス伯爵領の中心都市“伯都”の正門前に緊張感がはしる。
その原因は二人の貴族騎士のにらみ合いにあった。
一人はまだ成人前ではあるが、この伯爵家の嫡男であるレオンハルト・グラニス少年。
そしてもう一人はそのレオンハルトの実伯父にあたる、ワルター・グラニス副伯爵であった。
グラニス領の中でも最高位の貴族にあたる二人のにらみ合いに、周囲の空気は凍り付く。それどころか一触即発で爆発する雰囲気に、城門前にいた誰もが固唾を飲んでその光景を遠巻きに眺めていた。
二人の付添いの騎士たちは槍や剣に柄の感触を確かめながら、いつでも抜ける準備をしている。二人は血の繋がった肉親同士である。だが今やこの二人の貴族が、グラニスのお家騒動の中心となっているのは誰もが知る周知の事実なのである。
「叔父上どの……これはどういうことか?」
緊張感が破られる。
再びレオンハルト少年が言葉を発したからだ。懐からグラニスの家紋入り短剣を出し見せ、自らの身を証明しつつだ。
「それは確かにレオンハルト・グラニスの身の証。貴族にあるまじき薄汚れた格好で疑って悪かった。はっはっは……許せ、我が可愛い甥っ子よ」
その証を遠目で確認しならが、騎上の伯父ワルターは笑いながら謝罪する。だがその声には感情はこもっておらず、眼は全く笑っていなかった。隙のない鋭い目つきでレオンハルトの反応を観察している。
「我が母上の難病を治す霊薬を探す旅でこうなったのだ。僕は今は急いでいる。そこを通してもうらうぞ、叔父上」
遥かに年上である武人ワルターを相手に、レオンハルトは威厳ある声で命じる。そこには先日までの幼い少年騎士君の面影はない。ベール王国でも屈指の領土を持つグラニス伯爵領、それを総べる者の嫡男としての勇ましい横顔を見せる。
「ほう……先日までの稚児の面影がなくなっている……まさに漢の顔だ……」
その猛き少年の変わりぶりに、騎上の伯父ワルターは感嘆の声を漏らす。
つい先日に会った時は、気の強いだけの取るに足らない少年騎士であった。その甥っ子がまさか戦士の顔となり帰郷してきたのである。
自分の政敵の成長に驚きつつも、武人を排出してきたグラニスの騎士として、血の繋がった身内の急成長に喜べる余裕すらもあった。
「もちろん、通さない訳はないであろう、レオンハルト・グラニスよ。だが……」
政敵ワルター・グラニスは言葉を続ける。
◇
その身の証を信じてもらったグラニスの四人の騎士は、正門をくぐり抜けて伯都の街の中へと進んで行った。
とこの後は城や自ら屋敷に戻り、旅の汚れを落とし疲れを癒すのであろう。
「みんな行っちゃったね……オレたちも……」
「班長、諦めろ。門番たちが睨んでいるぞ」
夕暮れ時となり固く閉ざされた城門が目の前にそびえている。
それを間近に眺めながら《魔獣喰い》ことオレは悲しく呟く。仲間であるイケメン剣士の慰めがなければ、この寂しさに打ちひしがれていたであろう。
仕方がなく本日の寝床へと向かうのであった。
寝床…………そう、この伯都を一緒に目指した一行の中で、街の入る事が出来たのはグラニスの四人の騎士だけであったのだ。
(でも……冷静になって考えれば仕方がないか……)
何しろオレたち森の民の全員が怪しすぎる。
イカした蛮族格好を隠す為に、今は全身を長めのマントで頭の上から足元まで隠していたからだ。
戦化粧は落としていたが、そのフードの奥には鋭い眼光が光り輝き、明らかに怪しさ満点の武装集団である。こいつらは狂気の戦士団か?
「詳しくは言えないが、彼らは我々の命の恩人だ」とレオンハルト少年が説明していた。だが、先ほどの領主代行であるワルターは、オレたちの入場を決して許可してくれなかかった。
恐らく政敵レオンハルトに組する戦力を、裂く考えもあったのであろう。だが、今回は自分たち森の民の変装が怪し過ぎたので仕方がない事である。
「申し訳ありません、“獅子姫”様、“魔獣喰い”殿。これから城の中で根回し工作を行うので、明日には街の中へ入られると思います。それまでここでご辛抱くださ」
女騎士スザンナが申し訳なさそうに説明してくれる。彼女にとってもまさかの事態であったのであろう。
そんな訳でオレたち森の民は今宵、城壁の外の街で一夜を過ごす事となったである。
「随分と“訳あり”みたいだが、金さえ貰えたら詮索はしないよ。それがこの外の街のしきたりだい」
自分たち森の民は城門の外にある貧民街の安宿に、今宵は皆で泊まる事となった。
宿屋と食事代は謝礼金の一部として女騎士ちゃんから預かっていた。
下界での金銭感覚は分からないが、安宿に数泊し食事を出されるには十分過ぎるほどの金額だったらしい。女将も貸し切りにできると喜んでいた。
宿の大部屋に入り夕食の時間となる。
「うん、この料理は美味しいね!あっ、こっちの麺料理もいい!」
貸し切りの宿の食堂に運びこまれた夕食に、舌づつみを打ちならオレは素直に感動の声を上げる。本当に美味いです、女将さん
「嬉しいことを言ってくれるね、このお兄ちゃんは。金さえ払ってくれたら、どんな食材や料理だって用意してやるわ」
せわしくなく料理を運んでくれる宿の女将が、顔をほころばせている。
何でも料理を作る寡黙な旦那さんは、大陸各地の調理に精通した料理人だという。
そんな経歴の人が貧民街の安宿を営んでいるか気になったが気にしてはいけなそうだった。とにかく料理の腕は本物で最高だった。
「おお!この煮込み料理も美味しいね、みんな!」
感度の嵐である。
何しろオレはここまで下界の料理をまともに味わう事は無かったからだ。せっかく文明ある街道を旅していても、寝床は宿場町沿いの野原であり林の中であった。
「グラニスの騎士たちはここを“貧民街”って呼んでいたけど天国だね、ここは!」
次々と運び込まれてくる極旨の料理に感動しながら、素晴らしい文明に感謝する。
よく見ると壁も薄く清潔感もない最下層の安い宿であった。大部屋もベッドもなく木の床に雑魚寝である。
だが森の民に転生したオレには天国にも思えた。何しろ生まれた時から。これよりももっと過酷な森の中で暮らしていた。
本当に素晴らしい宿である。オレは今、猛烈に感動していた。
「確かに奇怪な料理ばかり。だが味は悪くないな、班長。それに下界の酒も悪くない」
イケメン剣士は果物から作られた葡萄酒を飲みながら同感してくれる。
コイツは自分と違い森の中の生活でも酒を好んでいた。それだけに大森林にはない葡萄酒の味に満足しているのであろう。
「それにしても班長、これからどうする?さっきの様子だと、街の中にはしばらくの間は入れないかもだな」
直火焼された鳥肉モモ肉を頬張りながら尋ねられる。この“獅子姫隊”の副官である自分の見解を聞きたいのであろう。
「うーん、そうだな……長である《獅子姫》ちゃんも大人しくしているから、明日まで待機かな。まあ、オレとしてはずっとここに滞在していてもいいけど……」
オレは大盛りの麺料理を頬張りながら答える。
「相変わらず、班長は大物だな……」
「ケッケッケ……だな」
仲間たちは何故か口元を緩めている。
だが先ほどの城門前のやり取りでは妙な雰囲気であった。レオンハルトたちの派閥はこのグラニスの中でも劣勢なのかもしれない。
立場的には現伯爵の実子であるレオンハルト少年が一番偉いのであろう。だがそこは難しい貴族の世界である。自分の知らない世界があるのであろう。
その辺についてはここまでの道中で、《獅子姫》が女騎士スザンナから色々と説明を聞いていた。
彼女の副官であるオレも一応は聞いていたけど、難しすぎて途中で断念した。貴族の階級や歴史、役職に派閥が出てきて横文字も多すぎてパンクしまった。
(何かあったら《獅子姫》ちゃんにそのつど聞いてみよう……)
頭の回転が鋭い彼女は全部理解していたみたいだから、何かあったらこっそりと教えてもらう事にしていた。たぶん多少は怒られるだろうけども。
とにかく今日は特別な夜である。
何しろこの異世界に来て、はじめて体験する文明ある“宿屋”である。そんな訳で相変わらずオレだけ浮かれていた。こうなったら浮かれて食べたもん勝ちである。
「これ美味しい……これも……」
気が付くと神官の少女がまたお替わりをしていた。
前々から思っていた事だが彼女も食べるのが大好きなのであろう。相変わらず無表情ながらもホッペに料理のソースが付いているのが可愛らしい。
(よし、オレも負けずにもっと食べよう!)
そう決意しながら視線を自分の目の前に向ける。だが、そこにあるのは食べ尽されて空になった皿の山であった。いったい何の事件が起きたというのだ……兵糧攻めか何かか?
「お兄さん、申し訳ないけど、食材が尽きたんで、料理はお終いだ……近所からも材料を借りに行って作ったんだけどね……」
女将が申し訳なさそうに、そして呆れた顔でオレに謝罪していた。
どうやら調子にのったオレが、出された料理を全て平らげてしまっていたらしい。
「これはダメ……」
自分の料理を大事そうに守りながら神官ちゃんからもそう宣言された。
オレの豪華なはずの夕食はこうして幕を閉じたのである。
◇
夕食の時間が終わり、後は寝るだけになった。
下界には火を灯すランプがあった。だが明かりが薄暗い上に油も高級品らしい。夜の歓楽街や飲み屋を除き、日が暮れると就寝するのは森の中と同じ生活のリズムであった。早寝早起きである。
「ん……?」
毛皮を敷いて大部屋で寝る準備をしていると、外にいる“その人影”気がつく。
森の民が雑魚寝するこの部屋から出ていく人影があったのである。いったいいつの間に……
何となく気になりそっと部屋の外に出てその影を追う。
(あれは確か……《獅子姫》ちゃんの護衛のオジサン……)
追い付くとそこにいたのは見覚えのある黒装束の戦士であった。森の民の姫君である《獅子姫》の護衛であり、隠密の達人である例の凄腕の男であった。
「ん?」
そっと近づこうとすると相手に察せられる。
「お前は……この隠密術に気づいたのか……」
「えっと……何となくかな……」
黒装束で顔を隠していたが驚いた声色である。まさか自分が出て行った事に、気付かれると思っていなかったのであろう。
そう言われてみれば自分以外の者は、このオジサンの退出に気づいていなかった。五感の優れた森の戦士たちです勘付かせないとは、この黒装束の気配を消す技術の凄さはもはや別次元である。
「どこかに外出するんですか?《獅子姫》ちゃんは外出禁止でこの宿で待機って言っていたけど……」
気まずくなり話題を変える。でも本当にこんな時間にどこに出かけるであろうか。
本当はオレだって宿の外に出て街を散策したかった。貧民街とはいえ見た事もないような文化が立ち並んでいるのだから。
「その姫様の命により壁の中の城へ潜入してくる」
空気を読めないオレに騒がれたらマズイのであろう。《獅子姫》の名を出しその密命を答える。
「城の中ってあの城壁を越えて……それに知らない下界の城に侵入って……」
意外な言葉に思わず言葉に詰まる。
「この程度の石壁は城壁とは呼ばぬ。それにこのグラニス城の構造は覚えている」
「覚えている……って、護衛のオジサンはこのグラニスに来た事があるの?」
更に思わぬ返事である。だが“覚えている”という事は下界に……このグラニスの街に来た経験があるのだ。
「時間が惜しいので行くぞ。それから、肝に命じておけ……下界の民を侮るな……」
そう呟きながら暗闇の奥へと男は消えていった。視界をそらしたほんの一瞬で出来ごとである。隠密の技術に関して相変わらずな人外なオジサンだ。
それよりも《獅子姫》ちゃんの命で潜入とはどういう事なのであろう。それに“下界の人を侮るな”の意味も。
(まいっか……難しい事は《獅子姫》ちゃんたちに任せて寝るとするか……なんか急に眠くなってきたし……)
急に眠気が襲ってきた。
それに負けるように、オレは仲間が雑魚寝する大広間へと戻るのであった。
◇
貧民街を闇に紛れて武装した集団が進む。
その数は数十名に及び、各々が槍や弓を持ち無言で目的の場所へと向かっていた。
「女将、命令通りにあの薬を混入したか?」
武装集団の隊長らしき男は貧民街の安宿の女将に問いただす。
「は、はい……命令通りに出した料理に全部入れて出しました。全員が残さずに食べたのをこの目で確認しました」
声を震わせながら女将はそう答える。料理を運びながら出しながらそれは確認していた。そういう命令だったからである。
「よし……念の為に裏口を固めろ。それから火だ」
「はっ!」
静かな号令と共に武装集団は一斉に動き始める。その女将の経営する宿の周りを包囲し逃げ道をなくした。
彼らの手に持たれた松明に火が点けられる。恐らくはこの建物に火をかけ中にいる宿泊客を殺害するのが目的だろう。
「き、騎士さま……話が違います!この薬を入れるだけで、後は娘を返してくれるはずの約束では?」
「ふん、邪魔だ、無礼者め!」
事前の約束と違うことに宿屋の夫妻は騎士に詰め寄る。だが周りの兵士たちは持っていた金属製の盾で彼らを吹き飛ばし黙らせる。
「ほんの数滴垂らしただけでも、百を超える者に効果がある遅効性の猛毒だ……今ごろは覚める事のない夢の世界で息絶えているであろう。よし、念の為に火を付けて燃やし尽くせ」
「はっ!」
グラニスの城壁の外にある貧民街の安宿――――オレたち森の民が寝泊まりする宿が、今まさに燃やされてようとしていた。
猛毒を食事に盛られ、部屋に閉じ込めたままで。




