167羽:教皇の午後
「猊下・・・マリオ猊下、ちゃんと聞いておられますか?」
人が気持ち良く大空を眺め想いに更けている中、聞きなれた声の連呼連打が耳に心地よく響く。
「ああ、エマ、ちゃんと聞いているよ」
マリオは隣で軍馬を進める最側近である秘書騎士エマに声だけで答える。
「猊下、それでしたらそんな馬の上ではなく、教皇専用のあちらの場所にお戻り下さい」
彼女が指さす先にはこの世の贅沢を四角形に詰め合わせた豪華過ぎる馬車が、本来の主を乗せていないまま数頭の馬に寂しく引かれている。更に現実に目を向けると広告軍の大軍団がその前後左右を重々しく警備しながら進軍している。
「エマ、何度も言うがオレはあの馬車という乗り物が・・・特にあの下品で成金趣味丸出しの教皇専用馬車に乗るのだけは真っ平御免なんだ。それより、こうやって知らない土地の風景と大空を眺めているだけで自由な渡り鳥の気分さ」
鳥はいい、その羽で自由に空を飛べるのだから。この異世界の文明レベルだと人間の力で自由に空を飛べる様になるは、あと何百年は掛かるだろう・・・いや、思い切って産業革命をマリオが強制的に起こしたなら、軽飛行機くらいなら自分が存命中には製造出来るかもしれない。
「マリオ猊下、あの馬車は歴史ある我が皇国で、その最高権力者である教皇が代々使用する事が許された特別な馬車で御座います。その様な事を申しますと歴代の教皇様に何と言ってお詫びしていいものか・・・」
「ああ、分かった、わかった、後でちゃんと乗るから・・・そんな小言ばかり言っているから、姉妹の中でエマだけ嫁に行き遅れるだぞ」
年々小言が年寄り染みてきたエマに、マリオはチクリと皮肉を返す。
「それについてもお伝えしたいことがあります。私は嫁に行き遅れた訳でありません、猊下が心配で行けないだけです」
エマの眼鏡がキラリと光る。本来は彼女の視力はかなり良いのでこの眼鏡は伊達メガネである・・・実はマリオの個人的な趣味であるが、それを断らないエマもエマである。
「それから先日は隣国の共和国の姫様との顔合わせの会を、私に相談もせずにお断りしたというではないですか。マリオ様の方こそ妹様に先を越されいいお歳なのですから、そろそろ年貢を納めて下さいませ」
「あれはどうせ共和国の奴らの時間稼ぎの作戦だろう。こっちの遠征から帰国して、準備が整ったら直ぐに共和国には攻め込むから問題は無い」
大国のイスラマ皇国といえども近隣に敵は多い。だが、これまで皇国の最大のライバルだったヴェルネア帝国とベール王国と三国同盟を結んでおり後方の憂いは少ない。仮初めの同盟かもしれないが、この期間を利用しマリオはこれまで放置していた隣国の敵対国を次々と平定し傘下に治めていた。
それは他国も同じで、帝国は南方南海に進出し、王国は森の民の女王を仲介役に北馬族と同盟を結び南東へ進出している。これにより三大国の国力は“魔穴”が閉じる前と比べて格段と増加しており軍事力も同様だ。更にマリオの推奨した農業改革の一部を意図的に他国にも技術贈呈をしていたので、農民や都市民たちの生活も以前より潤っていた。
「マリオ様・・・」
貫ける様な青空を眺めながらそんな事を考えていると、エマが馬を寄せ小声で話しかけてくる。
「マリオ様が妹君セリーナ様を“魔穴”から救い出した時の“アノ兵器”とやらを使えば、このように大規模な軍団を編成し遠征しなくても簡単に他国を落とせるのではないでしょうか・・・」
エマは周りの近衛騎士団に聞かれない様にマリオにそっと進言する。エマが言っているのは数年前の“魔穴決戦”時に、結界が張られていた大森林に突入穴を空ける為にマリオが開発し使用しけた次元湾曲装置や、道中の魔獣の群れをせん滅し追い払った結晶砲の事だろう。
「アレか・・・アレはあの後に全て完全に破棄した」
「全て破棄したとは・・・あれらの“兵器”を実用化し量産化したならば、それこそベールやヴェルネアさえも打ち滅ぼしこの大陸を統一するのも可能ではありませんか!」
普段は冷静な秘書騎士エマにしては珍しく、周りに声が漏れるのを忘れ声を上げる。
「アレはね、この時代に・・・この世界にあってはいけないオーパーツ技術なんだよ。あの時はセリーナを救うための緊急事態だったから仕方がなかったのさ・・・確かにあの技術を駆使したならこの大陸を統一する事も可能かもしれない・・・だが、それはスマートではないしナンセンスだ」
マリオは興奮するエマと対照的に静かに語る。
「剣と鎧、弓と槍、軍略と知略を張り巡らせ、人と人の命が戦場で本気でぶつかり合い多くの血を流し手に入れた平和こそが、この世界には向いているのだ。ボタンひとつで簡単に国が滅んでしまう世界には無い、男のロマンだ」
現代日本からこの異世界に転生したマリオは、この世界に無い多くの知識を保有していた。彼は現代では世界屈指の科学者であり技術者で、その天才的な頭脳は多芸に秀でていた。しかも転生先は異世界の大国イスラマ皇国の皇子という破格の地位。その権力と現代知識を総動員し戦場兵器を開発し量産したなら、あっと言う間にこの大陸を呑み込んでいたかもしれない。だが、マリオにとってそれは非スマートでありナンセンスな事であった。
「それに昔から調査研究して分かった事だけども、この世界には“爆発物”の原料と成り得る鉱石や原子がどうやら全く存在しないようだ。理論的には有り得ない事だけども、もしかしたらこの世界の“神様”とやらはこの地に銃火器爆薬類を誕生させたくないのかもしれない・・・」
マリオのこうした独り言の内容は、知性溢れるエマをもってしても殆ど理解出来ないものだ。これが原因で幼い頃は皇都の宮廷では変人扱いされていたマリオであったが、その才能は凡人の理解の範疇を軽く超えている。
「ああ、エマ、そんな顔をしないでおくれ。心配はいらない・・・あんな兵器が無くてもオレのこの頭脳だけで大陸を平定してみせるさ・・・その行く手に立ちはだかるは、ヴェルネア帝国の“天槍無二のネロ皇子”に“臥龍将軍アベル公爵”、北馬族の大族長“雷王テムジン”、ベール王国の“狂聖騎士ヘルマン”にグラニス家の“暴風レオンハルト公爵”と手強い相手ばかりだ・・・」
マリオはかつて、この大陸を魔から救うために轡を並べた各国の戦士たちの名を上げ、その懐かしい顔を思い浮かべる。人外の戦闘力で単騎にて戦況を覆す将軍たちに、軍略では自分と肩を並べる軍師たち、どんな屈強にも決して折れない心と強靭な身体を持つ騎士たち・・・彼らは仲間としては最高の味方であり、また敵としてこれ以上はいない好敵手でもある。
「それに、そうなったら彼らも必ず立ちはだかるだろう・・・勇猛果敢で無敵の身体能力を持ち生まれながらの戦闘部族“大森林の戦士団”・・彼らとはあの時の決着もつけないとな」
マリオがその名を上げた各国の英雄たちの恐るべき力量は、聡明なエマですら推し量れない。だが、大胆不敵で天に愛されたこの主なら、必ずはその大義を成し遂げるとエマは心の底から信じられる。
「そして、『魔獣喰い』マジウス君・・・大事な妹セリーナをオレから奪っていった君は必ず倒してみせる・・・」
そう呟くマリオの口元には清々しい笑みが浮かんでいた。




