166羽:ベール王都の夜
豪華絢爛な大広間に煌びやかに着飾った王侯貴族たちが立ち並び、宮廷音楽隊による生演奏の中みな談笑に更けている。大陸の中で古い歴史を持ち伝統を重んじるベール王国の王城の大広間は、最も格式高く形式を重んじる場所だ。
この場所では先ほどまで即位した新ベール王の戴冠式が行われ、今は懇親を深める為に開かれた晩餐会が行われている。国内の貴族たちは新王体制での人事や政策について、この場で根回しや争奪戦を水面下で繰り広げており、人の輪が大広間の各場所で作られていた。
そんな中、一人の騎士の周りにひと際大きな人だかりが出来ていた。その騎士は儀礼鎧を身にまとい挨拶をする為に行列を成す貴族たちに丁寧に対応している。彼こそは新ベール王が最も信頼を置く騎士であり、今やこの王国の騎士団の頂点に立つ『聖騎士』ヘルマン・フォン・ゼルツその人である。
病気療養の為につい先日退位した前王からも信頼はもちろん、新王の護衛騎士を長く勤めていた彼はこのベール宮廷の中でも今や時の人であった。家柄も良く清廉潔白な人物で知られる騎士ヘルマンに賄賂や買収は通じない事は誰もが知っていた。貴族たちは誠心誠意を持って自分自信を売り込んでいた。
そんな貴族たちの対応を無難にこなし終えたヘルマンは、会場の端によく知った顔を見つけそちらに近づいて行く。
「レオンハルト・グラニス卿、ご無沙汰しております。本日はお忙しい中での戴冠式ご出席、誠にありがとうございます」
ヘルマンが声を掛けたのは、先ほどまで彼と同じ位の人数の貴族たちに取り囲まれ、猛烈な挨拶攻撃を受けていたグラニス公爵家の当主レオンハルト・グラニスであった。
新王体制で最も注目される二人騎士貴族が歩み寄り、他の貴族たち少し距離を取り、耳を澄ましながら動向を伺う。
「グラニス卿って・・・ヘルマンさん、その言い方は背中が痒くなるので、いつも通りの話し方で大丈夫です」
ヘルマンのお蔭で鬱陶しい他の貴族たちから解放され、レオンハルトは笑顔を取り戻す。
「ふっふっ、冗談ですよ・・・レオンハルト本当に久しぶりです。相変わらず元気そうでなによりです」
一回り近く年上であるヘルマンは弟の様に可愛がっていたレオンハルトに久しぶりに会え、先ほどまでの礼式的な笑顔では無く本当に心の底からの笑顔で再会を喜ぶ。
「本当はもっと頻繁にこの王都に顔を出したかったんですが、グラニス家の領地も“魔穴”が閉じる前までの数年間で大分被害を受けて、その復興に毎日追われていました」
彼が父親の後を継ぎ受け継いだグラニス家は大森林に最も接する領地を持ち、その分被害も大きく受けていた。更に“魔穴”が閉じた後も弱体化していた所を狙われ、近隣の都市国家群の侵攻を受けていた。
だが彼はその全てを撃退し、逆に相手側を占領し莫大賠償金を得ていた。更に数年前の大焼却による大森林の焼け跡を森の民との交渉により農地として開墾し、新たに広大な農地を手に入れていた。そこで収穫された穀物の一部は無償で森の民に贈られるが、それを差し引いてもグラニス家のこのベール王国で随一の生産力と公爵の地位を得ていたのだ。
そして未婚という事もあり、先ほどの貴族たちの多くはレオンハルトの正室に自分の娘を何としても輿入れしようとする者たちであった。
「復興だけではなく領土拡大も押し進め、領主としての手腕もかなりもモノだと聞いています。それに・・・レオンハルト、かなり腕を上げましたね」
レオンハルトの全身を値踏みする様に観察し、ヘルマンは腰の帯剣に自然と手を当てる。そしてその口元には、極上の獲物を目の前にした猛禽類の笑みが浮かんでいた。清廉潔白で騎士道の鏡とも言われている『聖騎士』ヘルマンだが、その本質は貪欲なまでに自己の強さの限界を極めようとする剣の求道者であった。
出会った頃はまだ頼りない少年剣士だったレオンハルトが、今やこの大陸屈指の剣士に成長した事はヘルマンにとって嬉しい誤算であった。だが考えてみると何しろ素質は十分だ。非公式だが彼の“実の父”は大森林で最強位と言われた戦士であり、レオンハルトには屈強な身体能力を誇る森の民の血が半分混じっている。
更にはヘルマンを始め『剣匠』や『赤髪』など多くの歴戦の剣士に師事を受け、貪欲なまでにその技を吸収していた。そしてベール王国の最前線の火薬庫に領地を構えるレオンハルト卿は日々戦いの場に身を置いており、彼をはじめグラニス公爵軍の錬度は今やこの大陸に随一とも言われる精鋭揃いである。
そんなレオンハルトもヘルマンからの微かな殺気を感じ取り腰の剣に手を置く。そして彼の口元にも自然と戦士の笑みが浮かぶ。
レオンハルトにとって『聖騎士』と呼ばれるヘルマンは、これまでは絶対に越えられない高い壁であった。だが、経験を積み成長し、多くの死地と戦場を潜り抜けて来た自分にとって、もはや手の届く存在になっているのかもしれない。少なくともヘルマンを倒さない限りはアノ男に勝つ事など到底無理な話だ。
お互いに儀式用の儀礼剣ではあるが、二人の剣の腕があれば必殺の剣となる。
周りの貴族たちからは有力貴族同士の他愛のない話の場に見えるが、当人同士は見えない殺気を飛ばし合う一触即発の状態である。
「あなた、ここにいたんですね・・・レオンハルト様もご無沙汰しております」
そんな抜刀寸前の二人に声を掛けてきたのは長身の女性騎士である。騎士礼服を着こみ引き締まった身体をした金髪碧眼の美しい女性だ。
「スザンナ久しぶりだな!」
半ば臨戦態勢に入っていたレオンハルトであったが、懐かしの自分の教育係りの姿を見てその姿勢を解く。
「スザンナ、貴女は今日の晩餐会は欠席の予定だったのに、どうしてここへ・・・それにまだ幼いエリザベスまで連れて来て・・・」
ヘルマンも突然現れた自分の妻が、幼い我が娘をこの晩餐会に連れて来た事に驚く。
「あら、どこかの誰かさん達が大人げも無く自分の強さを比べ合っていたから、それを感じたエリザベスが泣いてしまったのです。あなたも一児の父親になったのですから、もう少し自覚をお持ちください。それにレオンハルト様も今やこの王国を支える有力貴族の一人であられます。昔の様に猪突猛進のままでは、父上である前グラニス卿や母上様に笑われてしまいますよ」
自分の愛する妻にそう諭され、また幼少の頃からの教育係りに言われ、それまで臨戦態勢で向き合っていたヘルマンとレオンハルトは毒を抜かれ苦笑する。
「ああ、そうですね・・・レオンハルト、この続きは日を改めて・・・」
「ヘルマンさん、今度こそ貴方を越えさせていただきます・・・」
まるで懲りない二人であるが、突如現れた仲介者の顔を立たせて二人の騎士は握手しその場を収める。
そんな中、会場の前方から今日一番の歓声が上がり、周りの貴族たちは今日の主賓である“新王”に向かって礼の姿勢を取る。その歓声と人だかりは徐々にこちらに近づき、やがてヘルマンとレオンハルトたちの前まで近づいて来る。ヘルマンは新王に向かいサッと礼の姿勢をとり、レオンハルトはそれに倣い慌てて姿勢を直す。
「皆の者、この場は誰もが平等な祝いの場であります。姿勢を崩し歓談を続けて下さって結構です。私がこういうお堅いのを一番苦手だったのを皆様ご存じですよね」
「ハッハッハ、それはそうでしたな」
新王をよく知る腹心の誰かがそう声を上げる。その一声で音楽が再開され、会場にはまた賑わいが戻る。新王は護衛騎士たちを手で制し、単身でヘルマンたちにゆっくりと近づいて行く。
「改めましてこの度はベール王に即位誠におめでとうございます。グラニス公爵家を代表しましてお祝い申し上げます、マデレーン女王陛下」
レオンハルトはかつての仲間マデレーンにそう祝いの言葉を述べる。
・・・・・・・
「ここなら他の煩い貴族たちもいないから、気楽にしてちょうだい」
マデレーンは重い女王の衣を少し煩わしそうにしながら、晩餐会場から少し離れたバルコニーでそうかつての仲間に声を掛ける。
「そうは言っても相手はこの大陸で一番格式高いベール王国の女王様ですからね・・・ねえ、ヘルマンさん」
そんなレオンハルトも今や有力貴族の一人であるが、兄貴分であるヘルマンに助けを求める。
「レオンハルトの言う通りです、マデレーン様。貴女様はもう少し気品と落ち着きと自覚を持っていただかないと困ります」
マデレーンのかつての教育係りであるヘルマンは、いつもと変わらぬ言葉で新女王に苦言する。
「気楽にって言っても、相変わらずヘルマンは口うるさいのね・・・これでも私だって一生懸命に頑張っているんだから。何しろ第一継承権の兄上ではなく、私がこのベールの新しい王になったのだから・・・」
本来ならマデレーンの長兄である王子がこのベールの次世代の王となるべく、小さい頃から育てられてきた。しかし、数年前の“魔穴”の魔素の影響で王都を襲った魔獣の群れから民を守る為に、王子は果敢にも騎士団の先頭に立ち奮戦、だがその時の爪傷が原因で亡くなってしまったのだ。他にも男兄弟候補の王子は何人かいた。
だが、この大陸を救った聖女の一人でもあり、古きベールの王家の血の力に目覚めたマデレーン王女に人々は期待し新王に推したのだった。
断る事も出来たかもしれない・・・だがマデレーンは誰も経験した事がない大義を成し遂げ、人として王家の人間として成長していた。その推す声を全身全霊で受け止めてマデレーンは新王に即位したのだった。
「ヘルマン様は昔から変わらない方ですからね。もう少し融通きかないか私も困惑していました。そう言えばマデレーン様の・・・例の“お子様”はお元気でしたか?確かうちのエリザベスと同じ歳だったと思いましたが・・・」
スザンナは周りに他に人がいない事を確認し、マデレーンにこっそり問い掛ける。
「テシウスの事?そうね、あの子も数えで三歳を過ぎたから大きくなってきたわ。誰に似たのか、毎日侍女たちの尻や胸ばかり追いかけて・・・この先思いやられるわ」
そう言いながらも、マデレーンは自分が腹を痛めて産んだ我が子の顔を思い出し柔らかい笑みを浮かべる。形式上はその子テシウスはマデレーン女王の養子である。戦乱が続いていたベール王国において女王が即位したのは歴史上今回が初めてではない。だが、慣例として第一継承権のあった兄王子の第一子が成人し、女王からその王冠を引き継ぐまでマデレーンは“未婚”である必要があるのだ。
だが、その子テシウスがマデレーンの実子である事は多くの者が知っていた。本来なら未婚であるはずの新女王に子などいてはならないのだが、そのお相手がこの大陸を救った一番の大英雄であったとなれば誰も文句は言えない。その存在自体が他国に対して強力な外交カードに成るのだ。
「そう言えばアノ方は・・・今は何処でどうしているのでしょうか・・・」
スザンナはかつて密かに心惹かれていた英雄その姿を思い浮かべる。
「よく分からないけど、大森林の復興に駆けずり回っていたり、三カ国同盟提携の時も各国を奔走していたみたいね・・・でも約束通りに一年に一度は私の所にも必ず会いに来てくれているから心配はないわ・・・そうね、落ち着いたら二人目も欲しいわね・・・」
マデレーンは最後の方は独り言の様にそう呟きながら自分の下腹部を優しく触り、最愛の夫に次に会える日を夢見る。
「そうですね・・・あの方・・・『魔獣喰い』は相変わらず変わらない方ですね・・・」
スザンナはバルコニーから見える満天の星空を眺めながらそう呟くのであった。




