143羽:帝国に縛られた二人(前篇)
西の地平線の彼方に黒々とした雷雲が見え午後の天気を示唆する
「この後は雨か・・・」
種火が消えない様に風向きを計算しながら火を掛けていたが、この分だと午後の仕事は無くなりそうだ
水源豊かなこの忌まわしき森の樹木は思っていた以上に内部に水気があり、全ての森を燃やす作業自体が思っていたよりも捗っていない
また一部の森の戦士達が抵抗勢力としてゲリラ的にこちらの任務の邪魔をし、それもまた作業が中々進まない原因の一つであった
(むしろその方が森を全焼するまで時間が稼げていいのかもしれない・・・)
“大森林を一刻も早く全て灰と化す”という嫌な任務を与えられていたこの男にとって、その想いは誰にも打ち明けられない本心であり葛藤でもあった
特に先日この帝国の陣地に突如として現れたアノ男と対峙してから、その想いはこの指揮官の心を一層深く蝕んでいる
(そういえば最近酒を飲む量が増えたな・・・)
前は安くても美味い料理と下級層の市民が飲む麦酒ですら美味く感じた毎日であったが、この森を燃やす任務に就いてからは最上級の蒸留酒ですら味気なく感じる
(今思うと、あの時帝都であいつ等と飲んだ酒は実に美味かったな・・・最後の夜には魔獣の群れが現れて戦いになり、ろくな挨拶も出来ずに逃げるように別れたが・・・あの時のあいつ等の顔は傑作だったな・・・)
その時の事を思い出すだけで口元が緩む
(こうやって自笑するのも久しぶりだな・・・)
「ネロ将軍、失礼致します。少しお耳に入れたい事があります」
そんな時、信頼する自分の部下が陣幕内に声をかけ入って来る
「アベルか・・・入って来い」
それに気付きまた直ぐに表情を引き締め、ヴェルネア帝国将軍ネロは冷徹な司令官の仮面を被る
・・・
「怪しい奴が森への“例の入口”近辺にいるだと?」
報告に来たアベルの口からそんな報告がありネロは耳を疑う
この『弓公子』アベルは我が帝国内において並ぶ者がいないほど文武に優れた司令官であり、またその知略は戦場だけに留まらず宮中においてもその情報網と影響力は大きい
実力主義の帝国で有数の勢力を誇る公爵家の跡取りでもあり、その地位を最大限に生かした陰の力は、現皇帝の実子で将軍でもある自分ですら軽んじる事は出来ない
特に策謀と知略を張り巡らせるその頭脳はこの大陸屈指とも言え、そんな賢すぎる男が“怪しい奴”如きでこの自分に報告をしてくるはずは無かった
つまりその“怪しい奴”は只者ではないという事だ
「捕らえてここに連れて来る事は出来なかったのか?」
その事を瞬時に理解したネロは言葉少なくアベルに問い掛ける
「はっ、巡回中の一個小隊、応援に向かった歩兵中隊がその“たった一人”によって無力化されました・・・今は包囲陣を敷きながら見張らせております」
そんな英雄夢物語の様な報告するアベルであったが、その顔はいつもの冷静沈着な表情であり冗談を言っている様には見えない
だがその表情には若干の戸惑いと迷いが読み取れる
むしろこのアベルという男が冗談を言っているのを聞いた者が果たしているだろうか
(ああ、そういえばあの時帝都で一度だけ聞いたな・・・確かあれは・・・)
ネロはその事を思い出し心の中で苦笑する
「今日はやけにアノ男の事ばかり思い出すな・・・これも啓示か。アベル馬を出せ、その男の所に行くぞ!」
「ハッ、既に表に用意してございます」
アベルはそう言い陣幕のテントの扉を開ける
「相変わらず抜け目ない男だ・・・それともお前自身もこの閉塞感と終局的な状況を打開してくれる事に期待しているのか?」
ネロはそう問いかけながらテントを出て騎乗するが、アベルの返事は無かった
(アベルの情報網によると皇都や王都にもそれらしい人物が現れたという話もあった・・・『魔獣喰い』・・・マジウス、最後にここに戻って来たか・・・)
ヴェルネア帝国随一の武勇を誇る将軍ネロは愛用の槍を携え馬を走らせるのであった
☆
「これは酷いな・・・いや見事というべきか・・・」
僅かな近衛騎兵と将軍ネロと共にその現場に辿り着き、『弓公子』アベルの口から洩れたのはそんな言葉であった
“その男”を中心に取り囲む陣には槍と弓を構え警戒する兵士達が、自分たちの到着を待ち待機していた
また“その男”に無力化された帝国兵が到る所で応急処置の治療を受けている
ある者を腕や足の骨を折られ、またある者は当て身により気絶・昏睡させられていた
その数二個中隊弱・・・その数の訓練された屈強な帝国兵が、ただ一人の死者も出さずに向こうで仁王立ちする“たった一人の男”に無力化されたのである
(アイツならたった一人でここまでやれるか?・・・いやアイツなら生き残る術と戦場の喜びを両立させるからこんな無謀な事はしないか・・・)
アベルはかつての友であった男の事を、いつのもクセで思い出し比較してしまう
「『弓公子』アベルよ、あの男をここから射殺す事は出来るか?」
そんな想いに一瞬思いふけていると、今の自分の主である将軍ネロがそんな風に自分に問いてくる
「この距離ですか・・・矢を辛うじて届かせる事は出来るかもしれませんが、精度や威力に関してはあまりにも遠すぎて無理でございます」
アベルは正直にそう答えネロの反応を見る
そもそも弓の達人である“あの男”を警戒して包囲しているこの陣地の距離なのである
普通の視力なら豆粒程にしか見えないこの遠距離で弓矢の出番はまだない
「アベル・・・来るぞ、構えろ!」
そんな事を冷静に分析しているとネロからそんな警告が突然告げられる
(まさか!?・・・くっ!)
突如として現れたその殺気に・・・戦場に身を置く自分の直感を信じ、アベルは腰の帯剣を瞬時に抜き自分に飛来して来た剛矢を斬り払う
反射的に辛うじてその矢を弾き返すが、そのあまりの威力に右腕が痺れしばらく使い物にならない
見ると将軍ネロも自分の愛槍で飛来した矢を払い落としていた
(この威力の矢を同時に二矢打ちしたのか!?それどころかこの距離で正確に自分とネロを狙って狙撃してきたか!)
その状況を理解しアベルの前身に寒気が走る
二個中隊を“たった一人”で無力化したという報告を聞いた時点で分かってはいたが、まさかここまで常識外の力を身に着けていたとは予測が出来ていなかった
(弓矢の技術においてなら“この男”に比類していたと信じていた過去の自分が恥ずかしく感じる・・・これが人外の獣をたった一人で駆逐し続けた『魔獣喰い』の力か・・・)
近衛兵団の防御大盾に囲まれながらアベルの心はそんな恐怖感と畏敬の念に染められる
「相変わらず可愛げのない矢を放つものだな・・・アベル、まさか今ので臆した訳ではあるまい?あの近くまで行くぞ・・・」
ネロはその身を持って矢を放った“あの男”の力を再認識しつつ、敢えてその近くまで行こうと声を掛けてくる
(ああ、人外の戦士ならここにもう一人いたな・・・“血の皇子”ネロ)
アベルはネロのかつての異名を心の中でそう呟きその将軍の後を急いで追う
・・・・・・
「ネロさんに・・・アベルさん・・・来てしまったんですね・・・」
矢を射かけてきた張本人は自分とネロが近付くまで一度も矢を射る事無く接近を許し、そんな声を掛けて来た
「あんな挑発的な矢を射られたら、来ない訳にはいかないだろう」
ネロはその男にそう答える
「“近付くな”の警告のつもりだっただけど・・・すみませんがもう少しオレがここで待っているのを見逃してください」
“その男”『魔獣喰い』マジウスは丁寧な口調でそう頼んでくる
「“待つ”という事は誰かがここに集まるのか・・・まあ、誰かは検討ついてはいるが“大森林に誰も近付かせるな”という命令も皇帝陛下に受けているので見逃すわけにはいかんな」
そう言いながらもネロは愛用の槍先を『魔獣喰い』マジウスに向け挑発する
武勇に優れたネロがその瞬足で踏み込んだなら攻撃の間合いに入る距離だ
「“皇帝陛下の命令”って・・・ネロさん、前はあんなにも自由気ままに生きて、時には下町で市民に紛れ込んで飲み明かしていたのに・・・何があったんですか・・・」
『魔獣喰い』マジウスはそう問い掛けるもネロの返事は無く、その槍の構えが返事となる
「分かりました・・・ネロさんはネロさんで何か背負っているモノがあるんですね。だけどもここだけはオレも譲る訳にはいかない!」
そう声を高く上げると『魔獣喰い』マジウスも戦いの構えをとる
「ようやくその気になったか・・・他の奴等はどうだったか知らないが、オレは馴れ合いで貴様と刃を交えるつもりはないぞ」
ネロはそう低い声で『魔獣喰い』に呟く
「ええ、オレの今の拳骨は半端なく強烈なんで覚悟してください!」
そう叫び『魔獣喰い』マジウスは大地を蹴る
将軍ネロ「随分とオレも敵役っぽくになったな・・・」
『魔獣喰い』マジウス「す、すみまん・・・〝帝国”ってやっぱ最終的に敵国のイメージがありますからね」
ネロ「何だと・・・たったそれだけの理由か・・・(涙)」




