第9話 無能って呼ぶの、やめてくれよ
ダグロに連れて行かれたのは、ギルドの裏の、人気のない路地だった。
直人は内心、ちょっとだけ身構えた。体格差は、大人と子どもくらいある。殴られたら、たぶん、ただでは済まない。
(スマホの光る棒、使うか? いや、町中で人に向けるのは、さすがにまずい)
しかし、ダグロはいつまで経っても、殴りかかってこなかった。
壁にもたれて腕を組んだまま、何やら難しい顔で黙り込んでいる。
「……あの、用件は?」
「…………」
「ダグロさん?」
「お前、本当にあのオークを、一人で倒したのか」
ようやく、ダグロが口を開いた。
「あ、はい。一応」
「魔法も使えねえのにか」
「そこは、変わらないですけど」
「どうやって」
「えーと……運と、実家の魔道具と、あと、勘とか」
ダグロが、ぎろりと睨んだ。
「ふざけんな」
「ふざけてないです」
「俺はな、三ヶ月間、お前を笑ってきた。魔力だけある役立たず、ってな」
ダグロは、大きな拳を、ぐっと握りしめた。
「それが、今さら、オークを一人で倒しただの、狼の群れをやっつけただの。素直に信じられるかよ。何かの間違いだ。運が良かっただけだ。そうじゃなきゃ、俺が三ヶ月間やってきたことが……」
そこで、ダグロは言葉を切った。
直人は、なんとなく、わかった気がした。
(この人、意地悪で笑ってたっていうより、本気で、そう思ってたんだな)
魔力があるのに魔法が使えない。そんな人間は、この世界では、ありえない存在だ。ダグロにとって、直人は「ありえないもの」だったのだ。
「……わかりました」
「あ?」
「じゃあ、証明しますよ。ダグロさんの前で」
ダグロが、目を丸くした。
「ほう。言うじゃねえか」
「ただし、一つ条件があります」
「何だ」
「見てもらって、納得したら、今後は、無能って呼ぶの、やめてくださいね」
ダグロは、しばらく直人を見つめていた。それから、にやりと笑った。
「いいぜ。もしお前が本物なら、な」
翌朝、ギルドの掲示板の前に、昨日の話を聞きつけた連中が、ぞろぞろと集まっていた。
好奇心の強い冒険者たち。暇そうな職員。それから、にこにこ顔のギルド長ヴァスコ。
「ほう、面白い話になっているな。ダグロが、直人の実力を直接見たい、と」
「はい。ギルド長、俺が立会人になります」
ダグロが、胸を張った。
「依頼は、こいつでどうだ」
ダグロが、掲示板の隅の、古い依頼書をはがして、直人に見せた。
『【Dランク推奨】森の岩場にて、イワセグマの討伐。報酬:銀貨二枚』
「イワセグマ……」
「背中が岩みてえに硬い熊だ。俺たちのパーティも、先週挑んで、逃げ帰った。刃が、まるで通らなかったんだ」
ダグロは、悔しそうに言った。
「Eランクの新人が受ける依頼じゃねえ。断るなら、今だぜ」
「いえ、受けます」
直人は、あっさり答えた。
周りが、ざわついた。
「おい、本気か?」
「死ぬぞ、あいつ」
「でも、昨日のオークの話が本当なら……」
ティルフィが、心配そうに直人を見ていた。
「直人さん、無理はしないでくださいね」
「はい。危なくなったら、ちゃんと逃げます。ダグロさんもいますし」
「あ? 俺は逃げ道じゃねえぞ!」
ダグロが吠えた。周りが、どっと笑った。
笑いの輪の中で、直人は、ちょっとだけ、居心地がよかった。
森の岩場は、直人が昨日、狼の群れから三人を助けた場所の、さらに東にあった。
ごつごつした灰色の岩が、あちこちに転がっている。その岩の間を、ダグロと、ダグロのパーティの仲間二人、それから直人の四人で歩いていく。
「ここから先は、イワセグマの縄張りだ」
ダグロが、声を潜めた。
「いつ出てきてもおかしくねえ。お前、本当に一人でやるんだな?」
「はい。皆さんは、後ろで見ていてください」
直人は、胸ポケットのスマホを取り出して、こっそりマップを確認した。
赤い点が、一つ。大きな岩の向こう側で、じっとしている。
『イワセグマ(危険度:中)』
タップすると、さらに詳細が出た。
『背中:硬質化(刃を通しにくい) 腹部:通常』
「へえ。そこまで教えてくれるのか」
「ん? 今、何か言ったか?」
「い、いえ! 独り言です!」
直人は、スマホをそっとポケットに戻した。
背中が硬い。でも、腹は柔らかい。ということは、狙うのは正面、もしくは下からだ。
(さっきのオークのときと、同じ要領でいけるかな)
大きな岩を、ぐるりと回り込む。
いた。
体長は、直人の背丈の倍ほど。背中が、本当に岩のようにごつごつしている。灰色の毛皮が、岩肌と同化して、一見すると、ただの大きな石に見えた。
熊は、のそりと顔を上げて、直人を見た。
「グルルル……」
「こんにちは」
「グオオオオオ!」
もはや、お約束だった。
イワセグマが、猛然と突進してくる。
直人は、地図の扇形を見て、左に跳んだ。熊の巨体が、さっきまでいた場所を、すさまじい勢いで通過していく。
「おい、危ねえ! ちゃんと避けろ!」
後ろから、ダグロの叫び声が聞こえた。
「避けてますよー!」
直人は、スマホを握りしめた。
ブゥン。
光の刃が、まっすぐに伸びる。
「なっ……!? あれは、何だ!」
ダグロが、息を呑む音が聞こえた。
熊が、振り返って、再び突進してくる。今度は、前足を大きく振りかぶって、爪を振り下ろしてきた。
扇形が、前方に集まる。
(今だ!)
直人は、熊の懐に飛び込んだ。
前足の下をくぐり、無防備な腹へ、光の刃を横一文字に走らせる。
すぱん。
熊の動きが、ぴたりと止まった。
ずしん、と巨体が、地面に崩れ落ちる。
岩場に、静寂が戻った。
直人は、光の刃を消して、スマホをポケットにしまい、振り返った。
「終わりました」
ダグロたち三人が、完全に固まっていた。
目も口も、大きく開いたまま、微動だにしない。
「…………」
「…………」
「…………」
「あの、ダグロさん?」
「…………一撃、かよ」
ダグロが、かすれた声で言った。
「俺のパーティが、二週間かけても、傷一つつけられなかった熊を。腹とはいえ、一撃で」
「あ、はい。まあ、腹は柔らかいので」
「そういう問題じゃねえ!」
ダグロが叫んだ。それから、がくりと膝をついた。
「…………完敗だ」
ダグロは、うつむいたまま、小さな声で言った。
「俺は、お前を笑ってた。魔法が使えねえ、ただの役立たずだと思ってた。でも、違った」
顔を上げたダグロの目には、笑いも、侮りも、もうなかった。
「お前は、俺より、ずっと強え。それを認める」
「ダグロさん……」
「すまなかった。今まで、無能とか、お飾りとか、散々言って」
ダグロが、深々と頭を下げた。
直人は、慌てて手を振った。
「いやいや、頭を上げてください! 別に、怒ってなかったですし」
「だが」
「それより、一つだけ、お願いしてもいいですか?」
「何でも言え」
「今度から、俺のこと、無能って呼ぶの、やめてくれませんか?」
ダグロが、きょとんとした顔をした。
それから、ぷっと吹き出した。
「ははは! わかった、わかった! 約束する。もう二度と、言わねえ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、これからは、何て呼べばいい?」
「普通に、直人でお願いします」
「そうか。わかった、直人」
ダグロが、にやりと笑って、手を差し出した。
直人は、その大きな手を、しっかりと握り返した。
その夜、ギルドの酒場は、大騒ぎだった。
「イワセグマを、一撃で!」
「腹を、スパッとだぜ、スパッと!」
「あの直人が、だぞ!?」
ダグロが、ジョッキを掲げて、でかい声で語っている。いつの間にか、直人の武勇伝の語り部になっていた。
「おい、直人! お前も飲め! 今夜は、俺のおごりだ!」
「あ、はい。ありがとうございます。でも、お酒は、あんまり」
「じゃあ、ジュースだ! おい、ジュース持ってこい!」
直人は、苦笑いしながら、周りの冒険者たちに囲まれた。
三ヶ月間、誰にも相手にされなかったこの場所で、今、自分の名前が呼ばれている。
ちょっとだけ、鼻の奥がつんとした。
(……悪くないな、こういうの)
隅の席で、ティルフィが、にこにこ笑いながら、こちらを見ていた。
直人は、小さく手を振った。
ティルフィも、ひらひらと手を振り返した。
そのとき、直人の胸ポケットで、スマホが、ぶるっと震えた。
直人は、こっそり画面を覗き込んだ。
見慣れた、小さな文字が、光っている。
【Lv.4】
「……お」
にやり、と口元が緩む。
(明日は、何が出てくるのかな)
賑やかな酒場の片隅で、直人はこっそり、胸を躍らせた。




