第10話 旅立ちの朝は、まず着替えから
翌朝。
直人は、宿の屋根裏部屋のベッドの上で、スマホを両手で持って、かたまっていた。
画面には、見慣れたマップとショッピングのアイコン。その隣に、新しいアイコンが二つ、増えている。
丸いレンズのマーク。それから、きらきらした星のマーク。
【カメラ】
【AI加工】
「……カメラと、加工」
直人は、ごくりと唾を飲んだ。
「これ、ついにスマホっぽくなってきたな」
まず、カメラを起動する。
画面いっぱいに、屋根裏部屋の天井が映った。
ぱしゃ、と軽い音がして、画面の隅に、小さな写真が保存される。
「撮れた。普通に撮れた」
窓の外の風景を撮ってみる。机の上のコップを撮ってみる。ベッドの上でごろごろしている、宿の猫を撮ってみる。猫が、迷惑そうな顔でにゃーと鳴いた。
「おお、写真うま。これ、すごいな。異世界の風景を、ずっと残せるじゃん」
ひとしきり撮影を楽しんだあと、直人は、もう一つのアイコンを見つめた。
【AI加工】
恐る恐る、タップする。
画面が切り替わって、写真の一覧が表示された。さっき撮った、猫と、コップと、窓の外の写真。
その下に、小さな文字。
『写真を選んで、加工内容を入力してください』
「入力……?」
画面の下に、見慣れた文字入力のキーボードが現れた。
「あ、ここは普通なんだ」
直人は、試しに猫の写真を選んで、入力欄に打ち込んでみる。
『猫に帽子をかぶせて』
送信。
画面が、ふわりと光った。次の瞬間、写真の中の猫が、小さな赤い帽子をかぶっていた。
「うわ、本当に加工された」
直人は、ベッドの上の本物の猫を見た。
猫は、帽子をかぶっていなかった。
「……あ、普通の写真加工だな、これ」
少しだけ、がっかりした。
でも、昨日からの流れを考えれば、そんなはずがない。
直人は、少し考えてから、あることを思いついた。
「……自分を撮ったら、どうなるんだ?」
カメラを内側に向けて、自分の顔を映す。
写ったのは、寝癖だらけで、継ぎはぎだらけの上着を着た、冴えない二十九歳の男だった。
「……うわ、ひどい。三ヶ月前から、全然変わってない」
ぱしゃ。
撮影した写真を、AI加工のアプリで選ぶ。
入力欄に、少し悩んでから、こう打ち込んだ。
『冒険者らしい、動きやすくて丈夫な旅装』
深呼吸をして、送信ボタンを押す。
画面が、きらりと光った。
写真の中の直人が、みるみるうちに姿を変えていく。継ぎはぎの上着が、丈夫そうな革の上着に。泥だらけのズボンが、動きやすそうな濃い色のパンツに。足元には、しっかりした革のブーツ。肩には、深い緑色の外套。
「おお……」
写真の中の自分は、まるで一人前の冒険者のようだった。
「いや、すごいけど、これは画面の中だけの話で……」
そう言いかけた時。
ぱああああっ!
直人の体が、まばゆい光に包まれた。
「うわっ、まぶしっ!?」
目を閉じる。体のあちこちが、ふわっと温かくなる感覚。
光が収まって、直人は恐る恐る、目を開けた。
「…………え」
自分の体を見下ろす。
革の上着。濃い色のパンツ。革のブーツ。肩には、緑色の外套。
写真の中と、まったく同じ格好をしていた。
「…………えええええ!?」
直人の絶叫が、屋根裏部屋に響いた。
ベッドの上の猫が、びくっと飛び上がって、棚の上に逃げた。
「え、ちょっと待って。着替えた? いつ? 俺、何もしてないのに?」
上着の袖をつまんで、裏返してみる。縫い目まで、きちんとある。革の質感も、本物だ。ブーツも、ちゃんと足にフィットしている。
「これ、本物の服だ……」
直人は、ごくりと唾を飲んだ。
「写真を加工すると、現実の服まで変わるのか……? すごすぎない?」
興奮して、そのまま、もう一枚撮ってみる。
次は、『貴族のパーティに行くような、きらびやかな正装』と入力した。
ぱああああっ!
直人は、フリルのついたシャツに、ベルベットの上着という、とんでもない格好になった。
「いや、ちょっと待て。これは、やりすぎだ」
慌てて、さっきの旅装に戻す。ぱああああっ。
また、旅装に戻った。
「……これ、遊びすぎると、時間がいくらあっても足りないな」
それでも、ついでに、もう一枚だけ試した。
『高級な寝間着』
ぱああああっ。
「…………あったかい」
気持ちよすぎて、そのまま二度寝しそうになった。
慌てて、旅装に戻した。
準備を整えて、直人は宿の一階に降りた。
「あら、ナオトさん、おはよう。……って、その格好、どうしたんだい?」
女将のバルバラさんが、目を丸くした。
「あ、えーと。ちょっと、ギルドから報奨金が出まして」
「そうかい。よく似合ってるじゃないか。ずいぶん立派になったねえ」
「あ、ありがとうございます」
バルバラさんは、にっこり笑った。
「次の町へ行くのかい?」
「はい。ちょっと、旅に出てみようかと」
「そうかい、そうかい。寂しくなるねえ。でも、体には気をつけるんだよ」
「はい」
バルバラさんは、台所に消えて、すぐに戻ってきた。手には、油紙に包まれた、大きなパンが二つ。
「ほら、持っておいき。道中のおやつにでもしな」
「いいんですか!?」
「いいよいいよ。三ヶ月間、ちゃんと宿代払ってくれたからね」
直人は、パンを受け取って、深く頭を下げた。
「ありがとうございました。お世話になりました」
「また、いつでも泊まりにおいで」
屋根裏部屋の安い宿だったけれど、この三ヶ月、直人にとっては、間違いなく「家」だった。
外に出ると、朝日が眩しかった。
ギルドの前には、見送りの人たちが集まっていた。
ティルフィ。ヴァスコ。ダグロとその仲間たち。それから、「暁の三つ葉」の三人。
「えっ、みんな、どうして」
「昨日の夜、ティルフィさんから、お前が旅に出るって聞いてな」
ダグロが、照れくさそうに頭をかいた。
「別に、見送りに来たわけじゃねえ。ただ、通りかかっただけだ」
「ダグロさん、朝からずっとここで待ってましたよ」
ティルフィが、くすくす笑った。
「うるせえ!」
「ナオトさん! これ、受け取ってください!」
ミュゼが、小さな包みを差し出した。中身は、ロッソが焼いたクッキーだった。
「ありがとう、ミュゼ。ロッソにも、よろしく」
「ナオトさん、また会いましょう!」
「うん、また」
最後に、ティルフィが、一歩前に出た。
「直人さん。お気をつけて」
「ありがとうございます、ティルフィさん。いつも、焼き菓子、助かりました」
「ふふ。次に帰ってきたときは、冒険の話を、たくさん聞かせてくださいね」
「はい。約束します」
直人は、みんなに手を振って、町の門へ向かった。
振り返ると、みんなが、まだ手を振ってくれていた。
(……行ってきます)
三ヶ月間、居場所のなかった町に、いつの間にか、帰りたい場所ができていた。
町を出て、街道を歩く。
空は高く、風は気持ちよく、新しい服は、驚くほど動きやすかった。
直人は、バルバラさんにもらったパンをかじりながら、ふと、スマホを取り出した。
マップを開く。
隣町までは、徒歩で二日ほど。街道沿いは、赤い点が少なく、安全そうだ。
「のんびり行くか」
そう呟いて、画面を閉じようとした時。
地図の端、街道から少し外れた森の中に、見慣れない色の点を見つけた。
緑色の点。人間を表す点だ。
ただし、他の人間の点と、少し違っていた。
タップする。
『エルフ(状態:交戦中)』
「エルフ……?」
直人は、目を細めた。
その緑色の点のまわりを、赤い点が、ぐるりと取り囲んでいる。
数は、十以上。
「…………またか」
直人は、大きなため息をついた。
それから、パンの残りを口に放り込んで、スマホをポケットにしまった。
「しょうがないな。行くか」
街道を外れて、森の中へ。
足取りは、不思議と、軽かった。
新しい旅は、まだ始まったばかりだ。
お読みいただき、ありがとうございました。
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