第11話 森で見つけた、口の悪い人
街道を外れて、森の中を歩くこと十五分。
直人は、太い木の陰にしゃがみ込んで、そっと前方をうかがっていた。
地図の緑色の点は、この先の小さな空き地にいる。赤い点は、その周りをぐるりと取り囲んでいる。
(間違いなく、あそこだな)
幹の陰から、顔だけ出して覗く。
空き地の真ん中に、一本の大きな木が立っていた。その根元に、背中を預けるようにして、一人の女性が立っている。
細身の体に、淡い緑色の外套。腰まで届く銀色の髪。そして、髪の間からのぞく、長く尖った耳。
(うわ、本当にエルフだ)
異世界に来て三ヶ月。直人は初めて、エルフを見た。
年は、二十歳前後に見える。人間でいえば、だけど。目つきはきりりと鋭く、整った顔立ちは、遠目にもはっきりとわかるほどの美人だった。
その彼女を取り囲んでいるのは、赤茶色の鱗を持った、犬ほどの大きさのトカゲの群れだった。
『ヒノトカゲ(危険度:低〜中)』
数は、十二匹。口の端から、ちろちろと小さな火がこぼれている。
「近づかないで! この、うじゃうじゃと!」
エルフの女性が、叫んだ。
手には、美しい装飾のついた長弓。しかし、弦には矢がつがえられていない。腰の矢筒は、どう見ても空っぽだった。
「風の精霊よ、集いなさい!」
彼女が手を振ると、ふわりと風が巻き起こった。トカゲたちが、少しだけ後ずさる。しかし、風の力は弱く、すぐにまた、じりじりと距離が縮まっていく。
「もう……魔力が、もたない……」
彼女が、悔しそうに唇を噛んだ。
(これは、完全にピンチだな)
直人は、小さくため息をついた。
(……毎回、こうなるのは、なんでなんだろう)
「あの、すみませーん」
直人は、木の陰から出て、片手を軽く挙げた。
エルフの女性が、ぱっとこちらを向いた。
「誰!?」
「通りすがりの者です。助太刀しましょうか?」
「結構よ!」
即答だった。
「え、でも」
「人間の助けなんて、要らないわ! これは、私の問題よ。さっさと、ここから離れなさい!」
「いや、でも、矢がないみたいですけど」
「…………」
エルフの顔が、ぴくっと引きつった。
「そ、それは、今、ちょっと、補給中なだけよ!」
「補給中に、囲まれるんですか?」
「うるさいわね!」
そのとき、一匹のヒノトカゲが、ぱかっと口を開けた。
ぼっ、と小さな火の玉が、エルフの足元に向かって飛んでいく。
「きゃっ!」
エルフは、慌てて横に跳んだ。火の玉が、さっきまで彼女が立っていた地面に、ぼふっと当たって、草を黒く焦がした。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が、一瞬だけ流れた。
「……じゃあ、返事は、あとで聞きますね」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
直人は、スマホを握りしめた。
ブゥン。
光の刃が、まっすぐに伸びる。
「え?」
エルフが、目を丸くした。
直人は、地図の赤い点を確認しながら、トカゲの群れへ飛び込んだ。
ヒノトカゲたちが、いっせいに口を開ける。小さな火の玉が、次々と直人に向かって飛んできた。
地図の画面には、火の玉の軌道が、細い線で予測表示されている。
(右、左、しゃがむ、右)
一つ、二つ、三つ。火の玉が、直人の体をかすめて、後ろの木にぶつかって、ぼふぼふと音を立てた。
「え、全部避けてる……?」
エルフが、信じられないという顔で、つぶやいた。
直人は、懐に飛び込んで、光の刃を振るう。
一匹。二匹。三匹。
ヒノトカゲの体は、柔らかかった。光の刃が、ほとんど抵抗なく通り抜けていく。
十二匹のトカゲは、あっという間に、四匹まで減った。
残った四匹が、本能で察したのか、ぱっと散り散りに逃げ出していく。
「ふう」
直人は、光の刃を消して、一息ついた。
空き地に、静けさが戻った。
「…………」
エルフの女性は、木の根元で、口を半開きにしたまま、固まっていた。
「あの、大丈夫ですか?」
「…………」
「怪我は、ないですか?」
「…………え、ええ」
彼女は、はっと我に返って、ぷいと顔をそらした。
「べ、別に、助けてもらわなくても、よかったのよ。私一人でも、なんとかなったわ」
「そうなんですか」
「そうよ! ちょうど、反撃に出ようとしていたところだったの!」
「矢もないのに?」
「……だから、補給中だって言ってるでしょ!」
エルフは、顔を真っ赤にして、足を踏み鳴らした。
直人は、なんだか、微笑ましい気持ちになった。
「じゃあ、俺は、勝手に通りすがっただけってことで。気にしないでください」
「そ、そうよ。貸しだなんて、思わないでちょうだい」
「はい、思ってません」
「……」
「…………」
「…………あ、ありがとう」
ぼそり、と小さな声が聞こえた。
「え?」
「な、なんでもないわ! 聞こえなかったなら、それでいいの!」
「あ、はい」
直人は、にやけそうになるのを、必死にこらえた。
(この人、絶対いい人だ)
エルフは、こほん、と咳払いをして、きりっとした顔に戻った。
「私は、エルネア・フィルセリア。この森を守る、エルフの戦士よ」
「あ、どうも。久瀬直人です。冒険者です。一応」
「ナオト、ね。……ところで、あなた」
エルネアが、じろりと直人を見た。
「さっきの光、魔法? あんな魔法、見たことがないわ。光の剣、のようなものだったけれど」
「いや、魔法じゃないんですよ」
「じゃあ、魔道具? それにしては、魔力の流れ方が、普通じゃなかったわ」
エルネアは、直人の周りをぐるりと一周して、じっくりと観察した。
「それに、あなた自身の魔力。桁がおかしいわよ。森の木々が、ざわざわしているのがわかるもの。エルフの長老ですら、ここまでじゃないわ。あなた、よほど高位の魔法使いなのね?」
「あ、いや、魔法使いじゃなくて」
「え?」
「俺、魔法は使えないんですよ」
「…………」
エルネアの動きが、ぴたりと止まった。
「…………は?」
「魔法、使えないです。一つも」
「魔力は、あるのよね?」
「はい。測定器を、割るくらいには」
「それなのに、魔法が、使えない?」
「はい」
「何故」
「それは、俺が一番知りたいです」
エルネアは、しばらく直人の顔を、じっと見つめていた。
そして、突然、笑い出した。
「ふ、ふふ、あははは! 何それ! 魔力だけは、桁外れなのに、魔法は使えない? そんな人間、聞いたことがないわ!」
「あ、はい。町では、お飾り大魔導師って呼ばれてました」
「あははははは!」
エルネアは、お腹を抱えて笑い続けた。目に、涙まで浮かんでいる。
直人は、ちょっとだけ、むっとした。
「いや、笑いすぎじゃないですか」
「ご、ごめんなさい。でも、あまりにも、面白くて」
エルネアは、涙をぬぐって、ようやく笑いを収めた。
それから、真面目な顔になって、直人の手元のスマホに目を向けた。
「ねえ、ナオト。その、手に持っている、薄い板」
「え、これですか?」
「ええ。さっきから、私の周りの精霊たちが、その板に、興味津々なのよ」
「精霊?」
エルネアが、指をすっと上げた。
見ると、彼女の周りに、小さな光の粒が、ふわふわと漂っている。それらが、直人のスマホの周りに、ちらちらと集まってきていた。
「うわ、なんか、集まってきてる」
「普段は、人見知りの精霊たちなのに。あなたの持ち物には、やけに懐いているわね」
「へえ」
直人は、スマホを、ひらひらと動かしてみた。精霊の光が、それを追いかけて、ふわふわと動いた。
「ちょっと、かわいいな、これ」
「……」
エルネアは、しばらく考え込んだあと、決心したように顔を上げた。
「決めたわ」
「何を?」
「私、あなたについて行く」
「えっ」
「その板と、あなたの魔力と、魔法が使えない理由。全部、気になるもの。この森を守る戦士として、危険がないか、確かめる義務があるわ」
「いや、その、俺、街道に戻りたいんですけど」
「なら、街道まで案内してあげる。あなた、この森の道、知らないでしょう?」
「地図が……いえ、なんでもないです」
「何か言った?」
「いえ、お願いします」
エルネアは、満足そうに、にっこりと笑った。
「よろしい。では、行きましょう、ナオト」
銀色の髪をなびかせて、エルネアは先に歩き出した。
直人は、その後ろ姿を見ながら、小さく首をかしげた。
(……なんか、いつの間にか、同行者が増えてるな)
でも、不思議と、悪い気はしなかった。
「ナオト、遅いわよ! 早く来なさい!」
「はいはい、今行きます」
直人は、小走りに、エルフの背中を追いかけた。




