第12話 常識を置いてきた旅人
街道へ向かう森の道を、二人は並んで歩いていた。
先頭を行くのは、エルネア。背筋がぴんと伸びていて、足取りに迷いがない。木の根も、ぬかるみも、まるで道が見えているかのように、すいすいとかわしていく。
その少し後ろを、直人が、きょろきょろしながらついていく。
「あ、見てください、エルネアさん。あの木の実、おいしそうですよ。赤くて、つやつやしてて」
直人が指さしたのは、道端の低木になっている、小さな赤い実だった。
「ええ、おいしそうに見えるでしょうね」
「ですよね。ちょっと、味見を」
「やめなさい」
エルネアが、ぴしゃりと言った。
「え?」
「それは、ヨルベニの実。食べると、三日三晩、お腹を壊して動けなくなるわ」
「……三日三晩」
「ええ。しかも、美味しそうな見た目で、人間も、動物も、よく騙されるのよ。毎年、何人も犠牲者が出るわ」
「怖っ」
直人は、そっと手を引っ込めた。
「いや、危なかった。ありがとうございます」
「…………」
エルネアは、振り返って、じっと直人を見た。
「ナオト。あなた、本当に冒険者なの?」
「えーと、一応。ギルドの登録証もあります。ランクはEですけど」
「それにしては、森の常識が、まるでないわね」
「薬草は、結構わかるんですよ。ねむり草とか」
「それは、初心者でも知っている、基本中の基本よ」
ぐさり。
直人は、胸を押さえた。
「確かに……」
「魔物と戦うのは、驚くほど強いのに。それ以外が、びっくりするほどダメね」
「ダメって言わないでください」
「事実でしょう?」
「……事実ですね」
エルネアは、呆れたように、ふうとため息をついた。
その時、直人が、ふと立ち止まった。
「あ、見て、エルネアさん。この木、幹に三本線が刻んであります。何かの目印ですかね?」
「え?」
エルネアが、ばっと振り返った。
「三本線……? ナオト、そこから動かないで!」
「え? は、はい」
エルネアは、駆け寄ってくると、直人の腕をぐいっとつかんだ。
「その印は、精霊の領域の境界線よ。許可なく立ち入ったら、森中の精霊が、怒り出すの。下手をしたら、ひどい迷子の呪いを受けるわ」
「呪い……!」
「あなた、今、一歩踏み込もうとしてたでしょう?」
「え、ええ、少し」
「危機一髪だったわ」
エルネアは、直人の腕を引っ張って、印のついた木から遠ざけた。
「あなた、よく今まで、生きてこられたわね」
「地図に、助けてもらいまして」
「地図?」
「あ、いや、その。冒険者ギルドの、地図です」
直人は、慌ててごまかした。
エルネアは、あきれ顔のまま、また先頭を歩き出した。
「……もう、あなたは、私の後ろにぴったりついてきなさい。勝手に変なところへ、入らないこと」
「はい、わかりました」
「返事だけは、いいのよね」
「恐縮です」
「褒めてないわ!」
日が傾いてきた頃、二人は森の外れの、開けた場所で野営をすることにした。
エルネアが、手際よく焚き火の準備を始める。直人は、その様子を、感心して眺めていた。
「すごい。全然、迷いがない」
「森で暮らしていれば、誰でもできるわ」
「俺には、無理だな」
「そうでしょうね」
容赦がなかった。
直人は、薪を集める係を任されたが、集めた薪の半分は、「湿っているから使えない」と却下された。
「……すみません」
「いいのよ。慣れていないことは、仕方ないわ」
口は悪いが、エルネアは、面倒見がよかった。
焚き火が、ぱちぱちと音を立て始める。夜の空気が、ひんやりと冷えてきた。
直人は、荷物の中から、バルバラさんにもらった、残りのパンを取り出した。
「エルネアさん、パン、食べます?」
「ありがとう。……私も、これを」
エルネアが、腰の袋から、小さな包みを取り出した。中には、薄くて茶色い、かりかりした何かが、数枚入っている。
「エルフの携帯食よ。木の実と蜂蜜を、固めたものなの」
「へえ。ちょっと、もらってもいいですか?」
「どうぞ」
かじってみる。
……固い。そして、あんまり、味がしない。
「…………」
「どう?」
「えーと、素朴で、いいと思います」
「正直に言って、構わないわよ。おいしくないでしょう?」
「……はい」
「でしょうね。私も、そう思うわ」
エルネアが、ぽつりと言った。
「でも、保存がきくし、軽いから。旅には、これしかないのよ」
直人は、ふと、胸ポケットのスマホに、意識を向けた。
(……あ、これ、使えるんじゃないか?)
「あの、エルネアさん。ちょっと、お手洗いに」
「ええ、どうぞ。遠くへ行かないでね」
「はい」
直人は、焚き火から少し離れた、木の陰に回った。
スマホのショッピングを開く。
残高は、さっき街道で、銀貨を二枚チャージしておいたから、銅貨換算で二百枚ある。
お菓子の項目を、スクロールして探す。
『板チョコ(ミルク) 銅貨4枚』
「これだ」
購入ボタンを、ぽちっ。
ぽん、という小さな音と一緒に、手のひらの上に、板チョコが現れた。
「よし。完璧」
しっかり隠して、焚き火のところへ戻る。
「お待たせしました」
「遅かったわね。……何か、持っているの?」
エルネアが、じっと直人の手元を見た。
「い、いえ。ちょっと、荷物の整理を」
「ふうん」
直人は、焚き火の前に座って、さりげなく、チョコを取り出した。
「あの、よかったら、これ、食べてみませんか? 道案内のお礼に」
「何、それ?」
エルネアが、茶色い四角い板を、じっと見つめた。
「お菓子です。甘いやつ」
「お菓子……? どこで、手に入れたの?」
「えーと。実家に伝わる、不思議な袋がありまして。たまに、おやつが入ってるんです」
直人の嘘は、相変わらず下手だった。
しかし、エルネアは、意外にも、あまり追及しなかった。ただ、板チョコを受け取って、くんくんと匂いをかいだ。
「……いい匂い」
「どうぞ、食べてみてください」
エルネアは、おそるおそる、一欠片を口に入れた。
ぴたり、と動きが止まった。
「…………」
「どうですか?」
「…………」
「エルネアさん?」
エルネアの目が、みるみる見開かれていく。長い耳が、ぴくぴくと動いた。
「な、何、これ」
「チョコレートです」
「甘い。すごく、甘い。でも、苦みもあって、口の中でとろけて……」
エルネアは、板の端をつまんで、さらに一欠片を、口に運んだ。
「…………っ」
声にならない声を、上げた。
エルフの戦士は、頬をふにゃふにゃにして、うっとりした顔になっていた。
(あ、この人、甘いの好きなんだ)
直人は、心の中でにやりとした。
「こ、こんなの、生まれて初めて食べたわ」
「気に入ってもらえたなら、よかったです」
「……ナオト」
「はい」
「もう、ないの?」
「え?」
「もう一つ、ないの?」
エルネアが、期待に満ちた目で、直人を見つめた。
さっきまでの、凛とした戦士の面影は、どこにもない。ただの、甘いものに目がない女の子だった。
「……あと、一つだけなら」
「ください」
「えーと。ただし、条件が」
「条件?」
「明日も、道案内を、お願いしたいんですけど」
「そんなの、いくらでもするわ!」
即答だった。
「ついでに、俺が変なところへ入りそうになったら、止めてください」
「それも、任せなさい!」
「あと、ときどき、森の常識を、教えてください」
「喜んで!」
直人は、こっそり、もう一枚、板チョコを買って、エルネアに手渡した。
エルネアは、宝物のように、それを両手で受け取った。
「ありがとう、ナオト。あなた、本当にいい人ね」
「いや、お礼は、道案内で」
「あ、これは、ちゃんと、お礼として受け取るわ。でも、あとで、なんで、そんな便利な袋を持っているのか、ちゃんと聞かせてもらうから」
「……はい」
その夜は、焚き火のそばで、二人で夜空を見上げながら、のんびりとお菓子をかじった。
「ねえ、ナオト」
「はい」
「あなた、きっと、変わった人ね」
「よく言われます」
「でも、悪くないわ」
エルネアは、焚き火の炎を見つめながら、小さく笑った。
直人は、なんとなく、その笑顔を、写真に撮りたいと思った。
でも、やめておいた。
きっと、スマホを向けたら、「それは何」と、またうるさく聞かれる。
(……まあ、そのうちな)
夜風が、焚き火の火の粉を、ふわりと空に運んでいった。




