第8話 町一番のごちそう
アンバの町で一番の料理店は、「ニワトコ亭」という。
石造りの二階建てで、看板には金色の文字。入口の脇には、きちんと襟を正した門番のような男が立っている。町の商人や、貴族の使いがお忍びで来るような、そういう店だ。
直人は、その前で、完全に立ち尽くしていた。
「…………」
自分の格好を見下ろす。
継ぎはぎだらけの上着。泥のついたズボン。森で転んだ時の草の汁。肩には空っぽの背負いかご。
(浮いてる。めちゃくちゃ浮いてる)
それでも、お腹は正直に鳴った。
「……よし。行くぞ」
深呼吸をして、扉に手をかける。
「失礼ですが、お客様」
案の定、襟の正しい男に止められた。
「当店は、ご予約のお客様、もしくは、相応のお召し物のお客様のみとなっております」
「あー、やっぱり」
「申し訳ございません」
男は丁寧に頭を下げた。嫌味はない。ただ、仕事として淡々と言っているだけだ。
直人は少し考えてから、懐から小袋を取り出し、中から銀貨を一枚、つまんで見せた。
「これで、足りませんか?」
「…………」
男の眉が、ぴくりと動いた。
銀貨を一枚。もう一枚。三枚目を出したところで、男は咳払いをした。
「……お客様。どうぞ、奥のお席へ」
「ありがとうございます」
金の力は、偉大だった。
ちょっとだけ後ろめたい気持ちもあったけれど、それ以上に、胸が高鳴っていた。
通されたのは、窓際の静かな席だった。
テーブルには白いクロス。小さな燭台。銀色のカトラリーが、ぴかぴかに磨かれて並んでいる。
メニューを開く。
文字は読めるが、料理名がさっぱりわからなかった。
「えーと。このおすすめコースって、どういうのですか?」
給仕の青年が、優雅に説明を始めた。
「前菜は季節の野菜のマリネ。スープは、森きのこのポタージュ。メインは、本日入荷いたしました、極上のオーク肉のロースト、赤ワインソース添え。デザートは、果実のタルトでございます」
「オーク肉……」
直人は、ちょっとだけ複雑な顔をした。
さっきまで戦っていた相手だ。
「はい。本日、冒険者ギルドから、状態の良い個体が入荷いたしまして。我々も、久しぶりの上物に、厨房がたいへん盛り上がっております」
「そ、そうですか」
あの巨体は、直人が牙だけ折って置いてきた。そのあと、ギルドが回収に向かったのだろう。
「じゃあ、そのコースで。あと、飲み物は、あまり酔わないやつで」
「かしこまりました」
料理は、予想を遥かに超えていた。
まず前菜。色とりどりの野菜が、酸味のきいたソースで和えてある。直人が知っているどの野菜とも違う、不思議な甘みがあった。
次にスープ。きのこの香りが、鼻の奥にふわりと広がる。一口飲んだ瞬間、思わず目を閉じた。
「……うま」
体の芯から、温まっていく。
そして、いよいよメインの皿が運ばれてきた。
大きな白い皿の真ん中に、分厚く切られた肉が、でんと鎮座している。表面は香ばしい焼き色。切り口は、美しい薔薇色。赤ワインのソースが、艶やかに光っている。
「お待たせいたしました。オーク肉のローストでございます」
「…………」
直人は、ナイフを入れた。
すっと入った。ほとんど力はいらなかった。
一切れ、口に運ぶ。
噛んだ瞬間、肉汁が、じゅわっと溢れた。
甘い。脂が甘い。そして、ソースの酸味と、絶妙に絡み合う。
「…………っ」
直人は、声にならない声を上げた。
ふと、気づく。
目の前のこのごちそうは、自分が倒した魔物だ。
三ヶ月前の自分なら、絶対に口にできなかった。逃げ回るだけで精一杯だった相手が、今、皿の上で、最高の姿になって自分を迎えてくれている。
(変な感じだな)
でも、悪くない。
最後のひと切れまで、じっくり味わった。
「いかがでしたか?」
給仕の青年が、にこやかに聞いてきた。
「最高でした。本当に」
「それは良うございました。実は、今日の肉を持ち込まれた冒険者様のおかげで、うちの厨房は、今、大変活気づいております」
「へえ。そうなんですか」
「はい。ここ最近、森の魔物の肉が、町に流れるようになりまして。ツノイノシシも、オークも、状態が良いと、市場の評判もよろしいんです。町の肉屋も、大いに喜んでおりました」
直人は、ふと考えた。
自分が魔物を倒すと、肉が市場に出て、料理人が腕を振るって、誰かがそれを食べて笑顔になる。
そういう流れの一部に、自分もいるのか。
「……なんか、いいな、それ」
「はい?」
「いえ、独り言です」
給仕が、首をかしげて去っていく。
デザートのタルトを食べ終わり、お茶を飲んでいると、奥の厨房から、でっぷりした体格の男が出てきた。コック帽が、ちょっと傾いている。
「お客さん、料理は気に入ってもらえたかい?」
店主のパンドロだった。
「はい! 最高でした。特に、オーク肉」
「そうだろう、そうだろう! あの肉は、今朝入ったばかりの、とびきりの個体でな。あんなに状態のいいのは、初めてだ」
パンドロは、満足そうに腹をたたいた。
「聞いた話じゃ、森の奥でオークを一人で仕留めた若いのがいるらしい。魔法も使わず、斬撃一発で、きれいに倒したそうだ。だから、肉に余計な傷がついてない。ありがたいことよ」
「へ、へえ……」
直人の頬が、ひくっと引きつった。
「その冒険者、会ってみたいもんだがな。ははは」
「そ、そうですね。会えるといいですね」
直人は、そっとお茶をすすった。
会計は、銀貨二枚だった。
直人は、懐から出した銀貨を、少しだけ名残惜しい気持ちで、テーブルに置いた。
「ごちそうさまでした。また来ます」
「おう、いつでも来てくれ。そのときは、もっと旨いのを出してやる」
店を出ると、夕焼けが、町を茜色に染めていた。
直人は、満腹のお腹をさすりながら、ゆっくりと歩いた。
(結局、俺は、何がしたいんだろうな)
英雄になりたいわけじゃない。大金持ちになりたいわけでもない。
ただ、こうして、うまい飯を食べて、ぐっすり眠れれば、それでいい。
「……うん。それで、いいや」
誰にともなく、そう言った。
その時、背後から、聞き覚えのある、でかい声が聞こえた。
「おい、そこのお飾り大魔導師!」
「…………げ」
振り返ると、ダグロが、腕を組んで、立っていた。
顔つきが、さっきまでと違う。ちょっと、本気の目をしている。
「ちょっと、顔貸せ」
直人は、小さくため息をついた。
せっかくのごちそうの余韻が、一瞬で吹き飛んだ。




