第6話 通りすがりの、お兄さん
直人は、走っていた。
全力で、と言いたいところだが、さっきのオーク戦で体力はほとんど残っていない。実際には、よろよろと小走りしている程度だ。
「関わらないのが、一番……安全……なんだよな……」
ぜえぜえ言いながら、自分に言い聞かせる。
地図の緑色の点は三つ。赤い点は八つ。距離は、まだ遠い。今から引き返しても、誰も文句は言わない。
引き返す、という選択肢は、確かにあった。
でも、足は止まらなかった。
「くそっ。見捨てたら、寝覚めが悪いんだよ!」
直人は自分の性格を、ちょっとだけ恨んだ。
現場は、森の南の、岩場だった。
大きな岩が積み重なって、小さな台地のようになっている。その上に、三人の冒険者が追い詰められていた。
大きな盾を構えた、がっしりした青年。杖を握りしめて、半べその少女。短弓を構えているが、矢筒はすっかり空の少年。
三人とも、直人よりずっと若い。装備も新しい。たぶん、駆け出しのパーティだ。
そして、岩場の下には、灰色の毛並みの狼が八匹、ぐるりと取り囲んでいた。
『ハイイロオオカミ(危険度:低〜中)』
ひとつひとつは、そこまで強くない。でも、八匹に囲まれたら、駆け出しにはきつい。
「トビー、もう盾が持たない!」
「わかってる! ミュゼ、魔力は!?」
「もう、空っぽだよう……!」
「ロッソ、矢は!?」
「ない! 全部撃った!」
岩の下から、狼たちがじりじりと間合いを詰めていく。
(やばいな。これは、本当にやばいぞ)
直人は少し離れた木の陰で、ごくりと唾を飲んだ。
見つかったら、目立つ。
スマホの光の刃なんて、説明のしようがない。
でも。
「うう……お母さん……」
ミュゼと呼ばれていた少女が、小さな声でつぶやいた。
その瞬間、直人の中で、何かが切れた。
「あー、もう! わかったよ!」
直人は木の陰から飛び出した。
ブゥン。
スマホの背面から、光の刃が伸びる。
「通りすがりのお兄さんだ! 助太刀するぞ!」
ちょっとだけ声が裏返った。
三人と八匹が、一斉に直人を見た。
先頭の狼が、直人に飛びかかってきた。
直人は地図で動きを確認しながら、光の刃を横に振った。
ひゅん。
狼が、ぴたりと止まった。次の瞬間、ぐらりと倒れる。
「一匹」
直人自身、数を数えて落ち着こうとしていた。
二匹目が、左から。地図の扇形が、左に伸びているのが見える。直人は体を右にずらして、すれ違いざまに斬る。
「二匹」
三匹目と四匹目が、同時に来た。
今度は、光の刃を縦に振り下ろした。一匹目を倒し、返す刃でもう一匹を。
「三、四!」
残る四匹の狼は、仲間が次々と倒れるのを見て、ひるんだ。尻尾を巻いて、後ずさりする。
「……お? 逃げるか?」
しかし、リーダー格らしき一番大きな狼が、低く吠えた。
残りの三匹が、一斉に直人へ飛びかかってくる。
「わ、わ、わ! 一気に来るなって!」
地図を見る。赤い点が、三方向から迫ってくる。
逃げ道は、後ろしかない。でも、後ろには岩場の三人がいる。
(下がれない。なら、全部斬るしかない)
直人は、光の刃を大きく構えた。
スマホを握る手に、ぐっと力を込める。体の中の魔力が、手のひらからスマホに流れ込んでいくのがわかる。
光の刃が、少しだけ、太くなった気がした。
「うおおおお!」
一閃。
三匹が、同時にその場に崩れ落ちた。
最後に残った、リーダー格の狼が、じりじりと後ずさる。
直人は、光の刃をその狼に向けた。
「……まだやる?」
狼は、しばらく直人を睨んでいた。それから、くるりと向きを変え、森の奥へ走り去っていった。
静かになった岩場で、直人は大きく息を吐いた。
「…………終わった」
肩の力が抜けて、その場にぺたりと座り込む。
三人の冒険者が、岩の上から降りてきて、直人の前に並んだ。
全員、口をぽかんと開けている。
「…………」
「…………」
「…………あの」
最初に口を開いたのは、盾の青年だった。
「助けてくださって、ありがとうございます! 俺はトビー。こっちがミュゼで、こっちがロッソです」
「ありがとうございますっ!」
「あ、ありがとう!」
三人が、いっせいに頭を下げた。
「いや、そんな。たまたま通りかかっただけだし」
「あの、その光る棒は、一体……?」
ミュゼが、きらきらした目で、直人の手元を覗き込んだ。
直人は慌てて、光の刃を消した。
(やばい。どう説明する?)
未来から来た、とか、異世界の通販でとか、言えるわけがない。頭の中で、言い訳をぐるぐる回す。
「え、えーと。魔道具なんだ。実家に伝わる、その、古い……やつ」
嘘が下手すぎた。
しかし、三人の反応は、直人の予想と違った。
「魔道具……! やっぱり!」
「すごい、あんなに強い魔道具、見たことない!」
「魔道具って、使うのにすごい魔力が必要だって聞いたことがあります! あなた、魔力がとんでもなく多いんですね!」
「あ、うん。魔力だけは、ね」
それだけは、本当だった。
「魔力だけは」という部分を、三人は謙遜と受け取ったらしい。トビーが、感動した顔で何度もうなずいている。
(まあいいか。勘違いされてる方が、都合がいいかもしれない)
直人は、あえて訂正しないことにした。
「あの、お礼をさせてください!」
トビーが、真剣な顔で言った。
「といっても、今は持ち合わせがあまりなくて。でも、せめて、今夜の食事だけでも」
「食事?」
直人の耳が、ぴくりと動いた。
「はい。ロッソが、干し肉と野菜で、とびきりのシチューを作れるんです!」
「へえ! 肉入り?」
「はい、肉入りです!」
直人の腹が、ぐう、と鳴った。
「……お言葉に甘えようかな」
その夜、森の外れの小さな焚き火を囲んで、四人でシチューを食べた。
干し肉は、ほとんど塩の塊だった。でも、不思議とおいしかった。
「おいしい……」
「でしょう? ロッソのシチューは、パーティの自慢なんです」
「いや、塩辛いの、俺のせいだけど……」
「それがいいんだよ」
直人は、素直にそう思った。
三ヶ月ぶりに、人と一緒にご飯を食べたことに、気づいた。
宿でも、ギルドでも、いつも一人だった。誰かと火を囲んで、同じ鍋をつつくのは、この世界に来てから初めてだった。
「あの、お名前を聞いてもいいですか?」
ミュゼが、おそるおそる尋ねた。
「直人だよ。久瀬直人」
「ナオトさん。この恩は、一生忘れません。ギルドに戻ったら、みんなに話します!」
「あ、いや、それはほどほどで頼む」
「だめです! 絶対に話します!」
三人が、声を揃えた。
「…………」
直人は、シチューを一口すすって、小さくため息をついた。
(目立ちたくないんだけどなあ)
焚き火の火が、ぱちぱちと弾けた。
夜空には、見たことのない星座が広がっている。
直人は、ちょっとだけ、この世界が好きになった。




