第26話 四人と一匹の夕食会
「それでは、ローディスさんの、歓迎会を、始めます!」
その日の夕方。
宿の厨房を、ちょっとだけ借りた直人が、腕まくりをして、高らかに宣言した。
「歓迎会、ですか。そんな、お気遣いなく」
ローディスが、恐縮した様子で、手を振った。
「いえいえ。新しい仲間が増えたら、ご飯で歓迎するのが、俺の流儀なので」
「いつ、決めた流儀ですか」
「今です」
直人は、にっこり笑った。
宿の主人のオットーは、四十代半ばの、がっしりした体格の男だった。最初は、「厨房を貸してほしい」という頼みに、渋い顔をしていたが、直人が、「お礼に、一品、味見してもらえます」と言うと、あっさり了承してくれた。
「うちの厨房で、どんな料理が出てくるのか、楽しみだな」
「期待に応えられるよう、頑張ります」
直人は、まな板の前に立って、深呼吸をした。
今日のメニューは、決まっている。
からあげ。
白いご飯。
味噌汁。
玉子焼き。
それから、デザートに、プリン。
(……我ながら、完璧な献立だ)
こっそり、通販で食材を揃える。鶏のもも肉、片栗粉、醤油、にんにく、しょうが、卵、味噌、豆腐、わかめ。それから、プリンは、容器入りの完成品。
ぽちぽちぽち。
厨房の隅で、必要なものが、ぽん、ぽん、と現れる。
オットーが、不思議そうに、振り返った。
「今、何か、音がしなかったか?」
「気のせいですよ」
「そうか?」
「たぶん、ねずみです」
「うちには、ねずみは、いねえぞ」
「じゃあ、きっと、お客さんの、おなかの音です」
「そうか」
オットーは、あっさり納得した。
(俺の誤魔化し、案外、効くな……)
直人は、ほっとして、鶏肉の下ごしらえを始めた。
からあげは、直人が、最も自信のある料理の一つだった。
鶏もも肉を、一口大に切る。醤油、にんにく、しょうがで、下味をつけて、十分ほど漬け込む。そこに、片栗粉をまぶして、熱した油に、そっと入れる。
じゅわああああっ。
油の跳ねる音と、香ばしい匂いが、厨房いっぱいに広がった。
「うわあ、いい匂い!」
厨房の入口から、ミルカの声が聞こえた。耳が、ぴんと立っている。鼻が、ひくひくと動いていた。
「ミルカさん、まだ、入っちゃダメですよ」
「えー、でも、すごく、いい匂いなんだもん」
「あと、五分です」
「五分……」
ミルカは、しょんぼり、尻尾を垂らした。
その時、ミルカの頭の上の、ふわふわした、灰色の毛皮の帽子が、もぞっと動いた。
「ん?」
直人は、目を疑った。
帽子だと思っていたものが、ぴょこんと顔を出した。つぶらな黒い瞳に、小さな鼻、丸い耳。手のひらに乗るほどの、毛玉のような生き物だった。
「きゅい」
小さく、鳴いた。
「あ、ごめんね、モチ。起こしちゃった?」
「モチ?」
「うん! 私の、相棒なの!」
ミルカが、にこにこしながら、毛玉を、手のひらにそっと乗せた。
「ワタモフっていう種類のね、小さな魔獣なの。ふわふわで、おとなしくて、お腹がすくと、鳴くの」
「ずっと、頭の上に、乗ってたんですか?」
「うん。寝てたから、気づかなかった?」
「全然、気づきませんでした」
エルネアが、厨房の入口から、ひょいと顔を出して、くすくす笑った。
「私は、最初から、気づいていたわよ。ミルカの頭の上で、ふわふわが、ずっと、寝息を立てていたもの」
「えっ、そうなんですか」
「ええ。エルフの耳は、小さな音も、聞き逃さないの」
「さすがですね……」
モチは、きゅい、と鳴いて、直人の手元の、からあげのほうへ、顔を向けた。小さな鼻が、ひくひくしている。
「…………」
「…………」
直人は、ちょっと迷ってから、小さな切れ端を、冷ましてから、モチの口元に近づけた。
モチは、ぱくっと、食いついた。
もぐもぐもぐ。
つぶらな黒い瞳が、きらん、と輝いた。
「きゅい! きゅいきゅい!」
「おいしいって、言ってるよ!」
ミルカが、嬉しそうに通訳した。
直人は、ふっと笑った。
(……四人と、一匹、か)
いつの間にか、にぎやかな一行になっていた。
テーブルの上に、料理が、ずらりと並んだ。
山盛りの、からあげ。ほかほかの、白いご飯。湯気を立てる、味噌汁。ふっくら黄金色の、玉子焼き。
「いただきます」
「いただきまーす!」
ミルカが、箸、ではなく、手づかみで、からあげにかぶりついた。
「んんんんんんんー!」
声にならない声が、口の端からもれた。
「どうですか?」
「おいしい! 外が、さくさくで! 中が、じゅわあって! これ、何の肉?」
「鶏です」
「鶏! 鶏って、こんなに、おいしいの!?」
ミルカの目が、うるうるしている。
エルネアも、一口食べて、ぴたりと動きを止めた。
「…………」
「エルネアさん?」
「…………ナオト」
「はい」
「これ、いけないわ」
「え?」
「止まらない」
エルネアは、二個目、三個目と、猛然と口に運んでいく。
「ちょっと、エルネア! ずるい、私の分も、残しておいてよ!」
「いただきものは、早い者勝ちよ」
「それは、森のルールでしょ!」
「ここは、森の外でも、同じよ」
二人は、からあげの皿を、ぐるぐると回し始めた。
ローディスは、その光景を、目を丸くして見つめていた。それから、ふと、帳簿を取り出して、ぱちぱちと計算を始めた。
「……からあげ、一皿、おおよそ二十個として。鶏肉の仕入れが、一羽分……下味と油を含めて、原価は……えーと」
ぱちぱち、ぱちぱち。
「……ミルカさんが、一人で、五皿は食べるから……」
ぱちぱち、ぱちぱち。
「……今夜だけで、予算の、三日分……」
顔色が、みるみる、青ざめていく。
「ローディスさん、食べましょうよ」
「あ、はい。いただきます……」
震える手で、からあげを一つ、口に入れた。
そして、ぴたり、と動きが止まった。
「…………」
「どうですか?」
「…………すごいですね、これは」
ローディスの声は、どこか、遠くを見つめるようだった。
「肉の、旨味が、閉じ込められている。香ばしい衣と、柔らかい肉の食感の、対比。そして、この、複雑な味付け。調味料の、バランスが、完璧だ」
「ありがとうございます」
「……これを、屋台で売ったら、間違いなく、行列ができますね」
「あはは、そうかもしれませんね」
「真剣に言っているんですよ、ナオトさん」
ローディスの目が、きらりと光った。
「いつか、あなたの料理で、商売を、させてください」
「いや、俺は、ただ、楽しく食べたいだけで」
「だからこそです。楽しく食べるための、商売なら、きっと、続けられます」
ローディスは、にこっと笑った。
直人は、ちょっとだけ、考え込んだ。
(……楽しく食べるための、商売、か)
悪くない響きだった。
デザートの、プリンが出てくると、食卓は、さらに盛り上がった。
「なにこれ!? ぷるぷる! あまーい!」
「ミルカ、スプーンで、すくうのよ」
「すくう? あ、すくえた! すごい!」
「きゅい! きゅいきゅい!」
モチも、ミルカの頭の上で、スプーンの先のプリンを、ぺろぺろと舐めている。
ローディスは、ついに、帳簿を閉じた。
「……もう、今夜は、計算しないことにします」
「あれ、さっきまで、あんなに計算してたのに」
「おいしすぎて、計算できません」
「正直ですね」
「ええ。商人は、自分に正直でなければ、務まりませんから」
ローディスは、ふっと、肩の力を抜いて、笑った。
その時、厨房の入口から、オットーが、ひょいと顔を出した。
「おい、あんたら。うちの食材は、ひとつも、使ってないはずなのに、なんだか、すげえ、いい匂いが、宿中に広がってるぞ」
「あ、すみません、オットーさん。うるさかったですか?」
「いや、逆だ」
オットーは、にやりと笑った。
「他の客が、みんな、食堂に集まって、『何だ、この匂いは』って、騒いでるんだ。おかげで、今夜は、客足が、すごいことになってる」
「えっ」
「責任、取ってくれよ?」
「責任?」
「残った、からあげ、あんたらの分だけじゃなく、宿の客にも、ちょっとだけ、分けてやってくれ。味見を、させてやりたい」
オットーは、豪快に笑った。
直人は、ふっと、笑顔になった。
「もちろんです。たくさん、揚げますね」
「ありがてえ!」
その夜、宿の食堂は、大賑わいになった。
客たちが、あちこちで、「うまい!」「何だこれ!」と、歓声を上げている。
ミルカとエルネアは、最後の一個をめぐって、本気の睨み合いをしていた。
「私が、先に、目をつけていたの」
「いいえ、私が、先よ」
「きゅい」
モチが、横から、ひょいと、最後の一個を、ぱくっと、取っていった。
「あっ!」
「ああっ!」
二人が、同時に叫んだ。
モチは、もぐもぐと、嬉しそうに、頬を膨らませていた。
食卓に、どっと、笑いが起きた。
直人は、笑いながら、ふと、胸の奥が、じんわり温かくなるのを感じた。
(……こういう夜が、ずっと続けば、いいな)
四人と一匹の、賑やかな夕食会は、夜更けまで、続いた。




