第23話 食いしん坊の鼻は、本物
「お金が、ない?」
女将の声が、一段と低くなった。
食堂の客たちが、食事の手を止めて、こちらをちらちらと見ている。
「え、えっと、その」
獣人の少女は、耳をぺたんと伏せて、もじもじと指をいじった。
「昨日までは、あったの。でも、宿代で、なくなっちゃって。今日の分は、お仕事で稼ぐつもりだったんだけど、お仕事が、なくて」
「で、食い逃げしようとしたのかい?」
「ち、違うの! 食い逃げじゃなくて、お腹が、減りすぎてて、気づいたら、全部、食べてたの!」
「それを、食い逃げっていうんだよ!」
女将が、ばしん、とテーブルを叩いた。皿の塔が、ぐらりと揺れた。
「ひぃっ」
少女は、尻尾まで、ぷるぷると震えている。
(あー……)
直人は、横で見ていて、すごく、居たたまれない気持ちになっていた。
「ナオト」
エルネアが、小声で、つぶやいた。
「何ですか?」
「あの子、悪い子じゃないと思うわ。本当に、困っている顔をしてる」
「ですよね」
「ナオトのことだから、どうせ、助けるんでしょう?」
「……わかります?」
「わかるわよ。あなた、わかりやすいもの」
エルネアは、ふう、と小さくため息をついた。
直人は、立ち上がって、女将のところへ歩いていった。
「あの、すみません。その子の分の代金、俺が、払います」
「え?」
少女が、ぱっと顔を上げた。
「あんたが、かい?」
「はい。銀貨十二枚、ですよね」
直人は、懐から、銀貨を取り出して、女将に手渡した。ちゃりん、ちゃりん、と、数えて十二枚。
「……確かに、いただいたよ」
女将は、銀貨を懐にしまって、少女をじろりと見下ろした。
「よかったね、お嬢ちゃん。次からは、ちゃんと、財布の中身を確認してから、食べるんだよ」
「はいっ! ごめんなさいっ!」
少女は、ぴょこんと頭を下げた。
女将は、鼻を鳴らして、厨房へ戻っていった。
少女は、直人たちのテーブルの前に、ちょこんと立っていた。
「あの……ありがとうございました。お兄さん」
「いえいえ。気にしないでください」
「でも、銀貨十二枚も。私、ちゃんと、お返しします」
「返せるんですか?」
「……が、頑張ります」
少女は、しゅんと耳を垂れた。
直人は、苦笑いをして、椅子を勧めた。
「とりあえず、座ってください。俺たちも、これから、ご飯なので」
「え、いいんですか?」
「はい」
「……お腹、まだ、空いてるんですけど」
「さっき、二十皿、食べましたよね」
「あれは、前菜でした」
「前菜」
エルネアが、ぼそっと、つぶやいた。
少女は、ミルカと名乗った。灰色の狼の獣人で、年は、十六歳。短く切りそろえた灰色の髪に、琥珀色の大きな目。小柄で、細身。この体のどこに、二十皿が入ったのか、まったく謎だった。
「私ね、素材屋さんで、働いてたの。魔物の素材の、仕分けとか、鑑定とか。でも、その店、先月、潰れちゃって」
「潰れた?」
「うん。店主のおじさんが、病気で、田舎に帰ることになって。それで、私、一人になっちゃって」
ミルカは、お水をごくごくと飲んで、ぷはあ、と息をついた。
「今は、あちこちの店で、素材の鑑定を、手伝ったりしてるの。でも、鑑定料って、あんまり、もらえなくて。たいてい、ご飯を、ごちそうしてもらうだけ」
「それで、お金が、足りなくなったんですね」
「うん。だって、ご飯が、おいしいから……」
悪びれもせず、ミルカは、笑った。
直人は、ふと、気になった。
「素材の鑑定って、どうやって、するんですか?」
「え? えっと、鼻で」
「鼻?」
「うん。私、鼻が、すごくいいの。素材の匂いを、嗅ぐと、何の魔物か、どれくらいの品質か、ほとんど、わかるの」
「本当ですか?」
「うん! あ、見ててね」
ミルカは、きょろきょろと、周りを見回した。それから、隣のテーブルの、商人風の男を指さした。
「あのおじさん。足元の袋に、お宝が入ってる」
「へ?」
男が、きょとんとして、顔を上げた。
「袋の中に、月苔が入ってるでしょ。しかも、上物。それから、岩トカゲの角も。たぶん、三本」
「な、なんでそれを……!」
男の顔が、真っ青になった。
「やっぱり、そうだったんだ。月苔は、夜にしか採れない、貴重なやつ。でも、あなたの袋の中のは、ちょっと、乾燥させすぎ。もう少し、湿らせておいたほうが、高く売れるよ」
「…………」
男は、口をぱくぱくさせて、袋を抱きしめた。
直人は、ごくりと唾を飲んだ。
「……本物だ」
「でしょ?」
ミルカは、得意げに、胸を張った。
エルネアも、目を丸くしている。
「すごいわね。エルフの私でも、ここまで、嗅ぎ分けるなんて、無理だわ」
「えへへ」
ミルカは、嬉しそうに、尻尾を、ぶんぶんと振った。
直人は、少し考えてから、口を開いた。
「ミルカさん。一つ、提案があります」
「うん?」
「俺たちは、冒険者です。魔物を倒したり、素材を採ったりするんですが、素材の価値が、よくわからないんです」
「ふんふん」
「ミルカさんの鼻を借りて、価値の高い素材を、見分けてもらえませんか? その代わり、食事は、毎食、俺たちが、ごちそうします」
「……毎食?」
ミルカの目が、きらーん、と輝いた。
「毎食、ごちそう?」
「はい。ただし、お代は、俺が、決めた範囲で」
「お代は、ご飯の量にも、関係あるの?」
「……できれば、常識的な量で、お願いします」
「うーん。努力は、するけど、約束は、できないかも」
「正直ですね」
「えへへ」
ミルカは、手を、ばっと差し出した。
「やる! その仕事、やる! ご飯、毎日、食べられるなら、何でも、やる!」
「そこまで即決しなくても」
「だって、お兄さん、優しいもん。さっきの、おばさんが怒ってる時、庇ってくれたもん」
ミルカが、にこっと笑った。
その笑顔が、思いのほか、まっすぐで、直人は、ちょっとだけ、照れた。
「……よろしくお願いします」
「よろしく!」
二人は、握手をした。ミルカの手は、小さくて、温かかった。
エルネアが、横で、じとっとした目で、二人を見ていた。
「……仲間が、増えるのね」
「あ、エルネアさん、紹介が、遅れました。こちらは、ミルカさん。こちらは、エルネアさん」
「はじめまして! エルフのお姉さん、きれい!」
「……ありがとう」
エルネアは、ちょっとだけ、頬を赤くした。
「……ミルカ。私も、食べ物には、詳しいつもりよ。あなたとは、いい勝負になりそうね」
「えっ? お姉さんも、食いしん坊?」
「……食いしん坊では、ないわ。味見が、得意なだけよ」
「それ、食いしん坊だよね?」
「違うわ」
「でも、さっきの、ナオトさんの話だと、カレーを六皿……」
「ナオト! 何を、教えたの!」
「いや、俺は、まだ、何も」
騒がしい三人のテーブルに、料理が、次々と運ばれてきた。
大皿に山盛りの、焼き肉。香草の香る、きのこのスープ。焼きたての、白いパン。
「わあああ!」
「いただきます」
「いただきまーす!」
エルネアとミルカが、同時に、パンに手を伸ばした。
直人は、そのあまりの勢いに、一歩、引いた。
(……俺の分、残るかな)
賑やかな夕食は、夜遅くまで、続いた。
新しい仲間が、一人、増えた。
この先、食費が、とんでもないことになるのを、直人は、まだ、知らなかった。




