第20話 何もしない一日
「今日は、休みにしましょう」
朝のミルヴァの宿で、直人は、宣言した。
「休み?」
エルネアは、パンをかじりながら、首をかしげた。
「はい。依頼も、戦闘も、なしです。丸一日、ただ、のんびり過ごす日」
「……何をするの?」
「何もしないことを、します」
「それは、何かしているのでは?」
「細かいことは、気にしないでください」
直人は、にっこり笑った。
ここ最近は、本当に、忙しかった。巨大オーク、横取り騒ぎ、調査への協力。気がつけば、二人とも、ほとんど休んでいなかった。
「いいんじゃないかしら。たまには」
エルネアが、ふっと表情をゆるめた。
「それなら、まず、町の市場を見てみたいわ。この前、広場の向こうに、大きな屋台街があるのを見つけたの」
「いいですね。行きましょう」
ミルヴァの市場は、びっくりするほど賑やかだった。
石畳の通りの両脇に、ぎっしりと屋台が並んでいる。野菜、果物、香辛料、布、細工物、焼き菓子、串焼き肉。呼び込みの声と、食べ物の匂いと、人々の笑い声が、混ざり合っている。
「すごい……」
「森の外って、こんなにも、にぎやかなのね」
エルネアが、きょろきょろと周りを見回している。その目が、きらきらしていた。
「ナオト、あれは何?」
「串焼きですね。食べてみますか?」
「食べるわ」
屋台の親父さんから、焼きたての串を二本買う。香ばしい匂いが、ふわりと立ちのぼった。
「熱いので、気をつけて」
「大丈夫。……あ、熱い!」
「言ったそばから」
はふはふと言いながら、二人で串焼きをかじる。塩と香草の味付けが、肉の旨みを引き立てている。
「おいしい! この辺りの料理も、悪くないわね」
「でしょう? 通販のものばかりに、頼ってちゃ、もったいないですよね」
「あなたの言う、『通販』のお菓子も、おいしいけれど。こういう、その土地ならではの味も、いいものね」
エルネアが、串を片手に、にこにこしている。
それから二人は、蜂蜜を塗って焼いた、薄い焼き菓子を食べ、果物を搾った冷たい飲み物を飲み、揚げパンをはんぶんこして食べた。
「ナオト、お腹が、いっぱいなのに、食べたいものが、まだあるわ」
「奇遇ですね。俺もです」
「困ったわね」
「困りましたね」
顔を見合わせて、ぷっと吹き出した。
市場の奥には、雑貨や小物を売る屋台が、ずらりと並んでいた。
エルネアは、一つの屋台の前で、足を止めた。
並んでいるのは、色とりどりの、髪飾りだった。
木彫りの花。ガラスの玉をつないだ紐。銀色の小さな葉っぱの形をした留め具。
「……綺麗」
エルネアの指が、一つの髪留めに、そっと触れた。
淡い緑色の石が、小さな葉っぱの中央に、はめ込まれている。
「気に入りました?」
「ええ。でも、私、さっき、あなたに、お金は預けると言ったでしょう? だから」
「いいですよ。買いましょう」
「え、でも」
「幸運の守り石のときは、ちょっと失敗でしたけど。これは、ちゃんと、いい物です」
「……失敗は、もう、言わないで」
エルネアが、ぷいと頬をふくらませた。
直人は、笑いながら、屋台の主人に、値段を聞いた。
「銅貨八十枚ですね」
「えっ」
エルネアが、横から、口をはさんだ。
「それ、ちょっと、高くない?」
「え?」
「石は、ただのガラスよ。細工も、よく見れば、雑だわ。せいぜい、銅貨四十枚が、いいところじゃないかしら」
屋台の主人が、ぎくりとした顔をした。
「い、いや、これは、特別な……」
「特別な? 銀貨三枚の守り石を、買わされた私に、それを言うの?」
「……え?」
「同じ手には、もう、乗らないわ。五十枚なら、買ってあげる」
エルネアが、にっこりと、微笑んだ。
屋台の主人は、しばらく、固まっていたが、やがて、がっくりと肩を落とした。
「……わかった。五十枚だ」
「ありがとう」
直人は、ぽかんとして、その様子を眺めていた。
(エルネアさん、成長してる……)
包みを受け取ったエルネアは、少し得意げな顔で、髪留めを、そっと耳の上のあたりに留めてみた。
銀色の髪に、淡い緑色が、ぴったりと映えた。
「どう?」
「……すごく、似合ってます」
「ほんとう?」
「はい。本当に」
直人は、素直に、そう思った。
エルネアは、嬉しそうに、頬を染めて、そっぽを向いた。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
二人の間を、市場の賑わいが、ふわりと包んでいた。
日が傾く頃、二人は、町の南側にある、湯けむり亭という宿へ向かった。
ミルヴァの南区には、温泉が湧く一帯がある。そこには、湯治客向けの宿が、いくつか軒を連ねていた。
「温泉……」
直人は、感動で、声が震えた。
三ヶ月ぶりの、風呂だった。しかも、湯に、肩まで浸かれる、本物の温泉だ。
「ナオト、顔が、ゆるんでるわよ」
「いや、だって、温泉ですよ。温泉」
「そんなに、いいものなの?」
「最高です。入ればわかります」
宿の主人に案内されて、男湯と女湯に、それぞれ分かれる。
直人は、岩を組んだ、広い露天風呂に、ゆっくりと身を沈めた。
「…………あああああ」
声が出た。
温かい湯が、体の芯まで、じわじわと染み込んでくる。三ヶ月分の疲れが、お湯の中に、溶けていくようだった。
隣の、女湯のほうから、エルネアの、小さな歓声が聞こえてきた。
「すごい! これ、いいわ! 体が、ふわふわする!」
「そうでしょう!」
「ナオトー、聞こえてるー?」
「聞こえてますよー」
「温泉、最高ー!」
「ですよねー!」
塀の向こうとこちらで、大声で会話する二人に、他の客が、くすくすと笑っていた。
夜。
湯上がりの二人は、宿の屋上のテラスで、夜風に当たっていた。
ミルヴァの町の灯りが、足元に、きらきらと広がっている。見上げれば、満天の星。
エルネアは、ゆったりした宿の衣を着ていた。湿った銀髪を、肩に下ろしている。昼間買った髪留めが、ちょこんと、耳の上に留まっていた。
「……気持ちいい夜ね」
「ですね」
直人は、お茶を二つ、テーブルに置いた。通販で買った、冷たい麦茶だ。エルネアは、一口飲んで、ほっと息をついた。
「ねえ、ナオト」
「はい」
「一つ、聞いてもいいかしら」
「どうぞ」
エルネアは、しばらく、星空を見上げていた。それから、ゆっくりと、口を開いた。
「あなたは、どうして、そんなに強くなりたいの?」
「え?」
「あの、巨大オークとの戦いのあと、私、ずっと考えていたの。ナオトは、私より、ずっと強い。でも、あなたは、強さを自慢しないし、誰かを見下したりもしない。それなのに、どんどん強くなろうとしている」
エルネアの碧い瞳が、まっすぐ、直人を見つめた。
「何か、目指しているものがあるの? 世界を救うとか、誰かに復讐するとか」
直人は、少し驚いて、目をぱちくりさせた。
それから、うーん、と、ちょっと考えた。
「強くなりたい、っていうか」
「ええ」
「……せっかくなら、楽しく暮らしたいだけなんですよね」
「……楽しく?」
「はい。もともと、こっちに来た時は、右も左もわからなくて。魔法も使えなくて、毎日、側溝掃除して、黒パンかじって、笑われて」
直人は、麦茶を、ごくりと飲んだ。
「そういうのが、結構、つらかったんです。だから、ちょっとでも、安全に、うまいもの食べて、あったかい布団で眠れたら、それでいいなって」
「…………」
「強くなったのは、結果というか。うまい飯を食うために、魔物を倒してたら、いつの間にか、強くなってただけで」
「……それだけ?」
「それだけです」
直人は、苦笑いを浮かべた。
「世界を救うとか、そういう、立派なことは、あんまり考えてないです。すみません」
エルネアは、しばらく、ぽかんとしていた。
それから、ふっと、肩の力を抜いて、笑った。
「……そう。意外だったわ」
「意外ですか?」
「ええ。てっきり、もっと、大きな志でもあるのかと」
「ないですよ。全然」
「そう」
エルネアは、星空に目を戻した。
夜風が、彼女の銀髪を、ふわりと揺らした。
「……でも、そっちのほうが、いいわね」
「え?」
「楽しく暮らしたいだけ。あなたらしくて、いいと思うわ」
「そうですか?」
「ええ。だって」
エルネアは、横目で、直人を見て、くすっと笑った。
「そのおかげで、私も、今日は、とても、楽しかったもの」
直人は、思わず、言葉に詰まった。
胸の奥が、じんわりと、温かくなる。
「……俺もです」
「ふふ」
二人は、並んで、星空を見上げた。
しばらく、何も言わずに、夜の風に吹かれていた。
やがて、エルネアが、ぽつりと言った。
「ねえ、ナオト」
「はい」
「次は、どこへ行くの?」
「えーと」
直人は、少し考えてから、答えた。
「ミルヴァの先に、商業都市があるらしいです。大きな市場がいくつもあって、世界中の品物が集まるとか」
「商業都市……」
「行ってみたいんですけど、一緒に来てくれますか?」
「聞くまでもないでしょう」
エルネアは、にっこりと笑った。
「私は、あなたの仲間なのだから」
星が、きらりと瞬いた。
のんびりと過ぎた、一日の終わり。
新しい町と、新しい出会いが、二人を待っている。
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