第2話 地図の中の赤い点
スマホの画面とにらめっこしながら、直人は森の出口を目指して歩いていた。
「赤い点、赤い点、また赤い点……」
地図の上では、あちこちに赤い点がぽつぽつと光っている。直人はその点を避けるように、道を選んで進んだ。
右に曲がる。赤い点が遠ざかる。
左に折れる。別の赤い点が、すれ違うように離れていく。
途中で、最後の一束のねむり草も摘んだ。この先は安全だと地図が教えてくれたので、摘み放題だった。
「……え、もしかして俺、いま一回も魔物に会ってない?」
気づけば森を抜けていた。いつもなら必ず一度や二度は肝を冷やす帰り道が、今日はまるで散歩だった。
「地図、すごすぎない? もはや反則では?」
誰も答えてくれないので、スマホの画面を指で軽く撫でてみた。つるつるしていた。
ギルドへ戻った直人は、ねむり草を納品したあと、ティルフィにツノイノシシのことを報告した。
「森の浅いところで、ツノイノシシと遭遇しました」
「えっ!? お怪我は!?」
ティルフィがカウンターから身を乗り出す。
「ないです。木の間に挟まって、動けなくなってたので」
「……挟まって?」
「はい。二本の木の間に、こう、がっちりと」
両手で挟まれる様子を再現すると、ギルドの中がしんと静まった。それから、近くの席で酒を飲んでいたダグロが、腹を抱えて笑い出した。
「ぶはは! ツノイノシシが木に挟まった? お飾り大魔導師様は、嘘をつくならもう少しマシなのをつけよ!」
「いや、本当なんですって」
「落ち着いてください、ダグロさん。念のため確認しましょう。直人さん、場所はわかりますか?」
直人は胸ポケットのスマホをこっそり確認しながら、場所を説明した。説明できない道具の話は、もちろんしない。
三十分後、ダグロのパーティが森へ向かった。
一時間後、戻ってきた。
大きなツノイノシシを荷車に乗せて。
「……本当に挟まってやがった」
ダグロは釈然としない顔で言った。
「暴れ疲れて動けなくなってたぞ。運のいい奴だな、お前」
「ですよね。俺もそう思います」
「素直に認めるなよ、つまらねえな!」
ティルフィがにっこり笑い、銅貨を数枚、直人の手のひらに載せた。
「危険な魔物の目撃情報の報告料です。おかげで被害が出ずに済みます」
「あ、ありがとうございます。……銅貨二十枚!」
ねむり草の報酬と合わせて、過去最高の稼ぎだった。
直人は、ほくほく顔でギルドを出た。
背後で、ダグロが首をひねっている。
「あいつ、なんか今日、足取りが軽くねえか?」
その夜。
直人が借りている宿の部屋は、ベッドと机と窓だけの、小さな屋根裏部屋だった。女将のバルバラさんが「安くしとくよ」と言って貸してくれた。
ランプの明かりの下で、直人はスマホを机に置いた。
「さて、検証タイムだ」
画面にはマップのアイコンが一つあるだけだ。電話も、カメラも、時計も、設定のアイコンもない。電波は圏外のまま。電池は1%のまま。
マップを開く。
宿の周辺が表示された。青い点が自分。部屋の下に、緑色の点がいくつか動いている。
「緑は人間……かな」
指で触れると、小さな吹き出しが出た。
『人間(敵意なし)』
「敵意の有無までわかるのか。便利だけど、ちょっと怖いな」
さらに画面の端に、小さな赤い点があった。壁の中だ。
『ハツカネズミ(危険度:なし)』
「それは魔物ですらないのかよ!」
思わず突っ込んで、慌てて口を押さえる。階下から、バルバラさんが鍋を洗う音がしていた。
他に何ができるのか、あれこれ触ってみた。拡大、縮小、方角、距離の測定。赤い点をタップすると、種類と危険度が出る。
ツノイノシシは危険度「中」。ゴブリンは「低〜中」。森の奥にある大きな赤い点は、なぜか名前が『???』で、危険度の欄が真っ赤だった。
「……近づかないようにしよう」
直人は慎重な男だった。慎重というより、面倒くさがりだった。面倒を避けるのも才能だと思っている。
ベッドに寝転んで、天井を見上げる。
「でも、これだけ敵の動きがわかるなら、弱い魔物くらいなら倒せるんじゃないか?」
口に出してみたら、急に眠気が覚めた。
翌朝。
直人はギルドで、貸出用の木の棍棒を借りた。
「今日は何を?」
「ちょっと、森の入口の近くで、害獣の駆除を」
「無理はなさらないでくださいね?」
「大丈夫です。危なくなったら全力で逃げますから」
「その覚悟が、いちばん安心できます」
ティルフィに見送られ、直人は森へ向かった。
狙うのは、トゲネズミ。猫くらいの大きさで、背中に硬い棘が生えた魔物だ。動きは鈍く、人を見たら丸まって棘を逆立てる。低ランク冒険者の定番の獲物で、棘が少しだけお金になる。
地図を開く。
森の入口から少し入ったところに、赤い点が一つ。タップすると『トゲネズミ(危険度:低)』。その横に、小さな文字が添えられていた。
『睡眠中』
「寝てるのかよ」
寝ているなら、背後に回れる。
直人はそっと近づいた。地図で位置を確認しながら、枝を踏まないよう、一歩ずつ。
大きな木の根元に、灰色の丸い塊が見えた。ちょこんと丸まって、ぴすぴすと鼻を鳴らしている。
「……ごめんな」
棍棒を振り上げる。
ごん。
一発で終わった。
「……あ、あれ? こんなあっさり?」
拍子抜けするくらい簡単だった。棘を回収しながら、直人は妙な達成感を覚えていた。
「俺、魔物を倒した……初めて自分で倒した……!」
三ヶ月間、ずっと逃げ回ってきた相手を、自分の手で。
「やべえ、ちょっと楽しいかもしれない」
人目がないのをいいことに、ガッツポーズまでしてしまった。
それから直人は、地図を頼りに、一匹、また一匹とトゲネズミを狩っていった。
寝ている個体は背後から。起きている個体は、移動する方向を見て先回り。逃げ出す個体は、行き止まりに追い込む。
夕方までに、十匹を倒していた。背負いかごは棘でずっしり重い。
「これ、全部売ったら、昼飯のパンと肉まで食えるんじゃないか!?」
食べたいものが先に浮かぶあたり、直人は夢のない男だった。
そして十匹目のトゲネズミを倒した、その瞬間。
胸ポケットが、ぶるっ、と震えた。
取り出すと、スマホの画面が淡く光っている。
マップの隅に、見覚えのある小さな文字があった。
【Lv.2】
「……上がった」
数字が一つ、増えていた。
直人はその画面を見つめたまま、ごくりと唾を飲む。
「次は、何が出てくるんだ……?」




