第1話 魔力だけなら大魔導師
気がつくと、久瀬直人は見知らぬ草原に立っていた。
残業帰りの夜道を歩いていたはずだ。それが、空は青く、風は爽やかで、遠くには石造りの城壁が見える。
「……どこだ、ここ」
手元にあるのは、スマートフォンだけ。画面は圏外で、地図も開かない。
途方に暮れて歩き出すと、やがて街道に出た。荷馬車に乗った親切な行商人が、町まで乗せてくれた。耳の尖った人や、剣を背負った人が行き交う光景を見て、直人はようやく理解した。
(異世界転移、ってやつか)
辺境の町アンバ。直人は行商人に勧められるまま、冒険者ギルドの扉を叩いた。
「身分証のない方は、まず魔力鑑定を受けていただきます。こちらの水晶に手をかざしてください」
受付嬢のティルフィが、丸い水晶玉を差し出した。
「はあ。こうですか?」
直人が手をかざした瞬間。
ぴかああああっ!
水晶が、内側から爆発するような光を放った。ティルフィの前髪がちりちりと縮れ、奥から飛び出してきたギルド長が腰を抜かす。
「な、な、なんだこの魔力量は! 王国の宮廷魔導師でも、ここまでは……!」
「大魔導師だ! 大魔導師が現れたぞ!」
居合わせた冒険者たちが、どっと沸いた。直人は何が起きたのかわからないまま、胴上げされそうになった。
ちなみに、直人本人は知らなかった。この魔力量は、転移の際に与えられた特典であることを。
翌日。魔法の適性試験が行われた。
「では、まず初級の火の玉から。呪文を唱えて、魔力を前へ押し出してください」
「はい。ファイアボール!」
何も出なかった。
火花ひとつ、そよ風ひとつ出ない。
「……もう一度」
「ファイアボール!」
やっぱり何も出ない。水も、風も、治癒も、全部試したが結果は同じだった。
「魔力は桁外れなのに、魔法の適性だけがまったくありません。こんなこと、初めてです」
講師は真顔で言った。
「たとえるなら、水をなみなみと入れたバケツに、蛇口がついていないようなものです」
わかりやすい例えだったが、わかりやすいだけに傷ついた。
こうして直人は、「魔力だけなら大魔導師」という異名とともに、町でいちばん有名な無能冒険者になった。
ランクは最下位のまま。やらせてもらえる仕事は、薬草摘みと迷い猫探しと側溝掃除だ。
それから三ヶ月後。
冒険者ギルドの掲示板の前で、直人は腕を組んで唸っていた。
「ねむり草の採取、銅貨三十枚。迷い猫の捜索、銅貨二十枚。側溝の掃除、銅貨十五枚……」
「おーい、お飾り大魔導師! 今日も側溝か?」
背後から野太い笑い声が飛んできた。振り向かなくてもわかる。Bランク冒険者のダグロだ。大剣を背負った大柄な男で、毎朝きっかり直人をからかうのが日課らしい。
「側溝は昨日やったよ。今日はねむり草」
「はは、魔力だけは王国一なのになあ!」
「それを言うなって……」
言い返す気力もない。事実だからだ。
三ヶ月前、この世界に飛ばされてきた初日。ギルドで受けた魔力測定で、直人は測定用の水晶を内側から盛大に光らせた。眩しさのあまり受付嬢ティルフィの前髪が少し縮れ、ギルド長が腰を抜かし、居合わせた冒険者たちが「大魔導師の誕生だ!」とお祭り騒ぎになった。
その翌日。
「では魔法を使ってみましょう。まずは初級の火の玉から」
「はい。ファイアボール!」
何も出なかった。
火の玉どころか火花ひとつ、そよ風ひとつ出ない。
「……もう一度」
「ファイアボール!」
やっぱり何も出ない。水の魔法も、風の魔法も、治癒の魔法も、全部試したが結果は同じだった。
「魔力は桁外れなのに、魔法の適性だけがまったくありません。こんなこと、初めてです」
講師は真顔で言った。
「たとえるなら、水をなみなみと入れたバケツに、蛇口がついていないようなものです」
わかりやすい例えだったが、わかりやすいだけに傷ついた。
こうして直人は、「魔力だけなら大魔導師」という異名とともに、町でいちばん有名な無能冒険者になった。
ランクは最下位のまま。やらせてもらえる仕事は、薬草摘みと迷い猫探しと側溝掃除だ。
「ティルフィさん、ねむり草の依頼、受けます」
「はい、承りました。直人さん、今日は森の浅いところだけですよ。奥には絶対に行かないでくださいね」
「大丈夫、行かない行かない。命は大事だし」
「その調子です。……あ、直人さん」
「はい?」
「お腹、鳴ってます」
「朝飯、黒パン半分だったもんで」
ティルフィは何も言わず、カウンターの下から小さな焼き菓子をひとつ差し出してくれた。直人は拝むように受け取った。
ギルドを出る前、直人はいつもの癖で胸ポケットに手を当てる。
そこには、一台のスマートフォンが入っていた。
転移してきたとき、持っていたのはこれだけだった。電池は最初の一週間で切れて、それきり黒い板のままだ。それでも、なんとなく手放せずにいる。
「……お前だけは、あの頃のままだよな」
誰に聞かせるでもなく呟いて、直人は町の外へ歩き出した。
森の浅いところは、静かでのどかだった。
木漏れ日が揺れ、小鳥が鳴き、足元にはねむり草が青い花をつけている。魔法が使えなくても、薬草摘みなら誰にも負けない。この三ヶ月で、見分けるコツはすっかり覚えた。
「九束、と。あと一束で依頼達成……」
かさり、と茂みが鳴った。
直人は顔を上げた。
「……ウサギか?」
違った。
茂みの中から現れたのは、牛ほどの体格に、鋭い角を二本そなえたイノシシだった。ツノイノシシ。町では初心者殺しとして名高い魔物だ。鼻息が白い。目が合った。
「……こんにちは」
ブオオオオッ!
返事の代わりに、突進が始まった。
「ですよねえええ!」
直人は薬草かごを抱えたまま、全力で走り出した。
木の根をまたぎ、枝をくぐり、藪を突っ切る。背後から地響きが追ってくる。
魔物には魔法で対抗するのが基本だが、直人に撃てる魔法はない。剣術もない。あるのは、使い道のない魔力と、ねむり草のかごだけ。
「ファ、ファイアボール!」
ダメ元で振り向いて叫んでみたが、やはり何も出ない。ツノイノシシは止まるどころか、むしろ加速した。
「だよなあ! 知ってた!」
距離は少しずつ縮まっていく。
(まじで死ぬかも。せめて、ちゃんとした飯を食ってから死にたかった……!)
その時だった。
胸ポケットで、ブルッと何かが震えた。
「え?」
走りながら取り出す。スマホだった。三ヶ月間ずっと沈黙していた黒い板に、白い光が灯っている。
画面の隅に、小さな電池のマークが見えた。残量は、1%。
「動いた……!? 今かよ!」
画面にはホーム画面ではなく、見慣れないアプリが一つだけ並んでいた。
【マップ】
「地図……? いや、今それどころじゃ……うわっ」
走りながら、親指がアイコンに触れてしまった。
画面が切り替わる。
そこに表示されたのは、森全体の精密な地図だった。
青い点が一つ。それが自分の位置らしい。そしてそのすぐ後ろに、ぴったり張りつく赤い点が一つ。
「これ、追ってきてるやつか?」
赤い点は、背後の地響きと寸分違わず同じ動きで迫っていた。しかも、点の前方には薄い扇形の線が伸びていて、「次に進みそうな方向」まで示している。
(ゲームのミニマップじゃん、これ)
さらに地図の少し先、二本の太い木が寄り添うように立っている場所に、小さな印がついていた。
『通り抜け可能(幅:人間サイズ)』
「……人間サイズ?」
試す価値はある。直人は進路を変え、二本の木へ向かって全力で駆けた。
「頼む!」
体を横にして滑り込む。木と木の間を、ぎりぎりで抜けた。
ドガァン!
後ろで、鈍い音が響いた。
振り返ると、ツノイノシシが二本の木に顔と角をがっちり挟まれて、じたばたと足を動かしていた。見事に、はまっている。
ブヒブヒと暴れても、角が深く食い込んで一歩も動けないらしい。
直人は膝に手をつき、荒い息を吐いた。それから、ゆっくりと笑いが込み上げてきた。
「やった……! 生きてる……!」
「ブヒィ」
「あ、ごめん。気を悪くしないで」
謝る必要はなかったが、なんとなく謝ってしまった。
直人はその場にへたり込み、改めてスマホの画面を見つめた。
「これ、なんなんだ……?」
マップは相変わらず、森の様子を鮮やかに映し出している。
自分の位置。木々の位置。川の流れ。そして、赤い点。
森の浅いところにも、赤い点がぽつり、ぽつりと散らばっていた。数は思っていた以上に多い。さらに奥へ視線を移すと、赤い点が固まっている場所もある。
「森って、こんなに魔物がいたのか……。ティルフィさんが『奥に行くな』って言う理由、よくわかったわ」
指で地図をなぞる。画面は指に吸いつくように滑らかに動いた。ギルドの壁に貼ってある地図より、よほど正確だ。
何より、この赤い点は、見えない場所にいる魔物まで教えてくれる。
つまり、魔物のいる場所さえわかれば、近づかずに済む。近づきたいときは、背後を取れる。
直人はゆっくりと顔を上げた。
「……これ、使えるんじゃないか?」
魔法は使えない。剣も使えない。ランクは最下位。
それでも。
「ひょっとして俺、今日から無能じゃなくなるかも」
口に出してみると、悪くない響きだった。
その時、ふと気づく。
画面の隅の電池マーク。残量は、1%のままだった。
「……あれ? さっきから、全然減ってなくね?」
走って、地図を開いて、画面を何度も触った。普通ならとっくに電源が落ちているはずだ。それなのに、残量は少しも減っていない。
そしてそのすぐ横に、さっきまでなかった小さな文字が、ひっそりと浮かんでいた。
【Lv.1】
「……レベル?」
直人が首をかしげた瞬間、挟まったままのツノイノシシが、ブヒィィ、と盛大に鳴いた。
「あ、そうだった。お前のこと忘れてた」
薬草かごを拾いながら、直人は少しだけ真面目な顔でイノシシを見た。
「悪いけど、ちょっとここで待っててくれ。ギルドの人を呼んでくるから」
「ブヒ」
「たぶん、お前のほうが俺より稼げる気がする」
こうして、魔法が使えない無能冒険者の、いちばん長い一日は終わった。
たった一台のスマホが、自分の人生をひっくり返すとは、まだ知らないまま。
☆
お読みいただき、ありがとうございました。
気に入っていただけましたら、【ブックマーク】や下記の【☆☆☆☆☆】で評価していただけますと、執筆の励みになります。




