第16話 食堂の看板料理を救え
翌朝。
Cランクに暫定昇格した直人は、浮かれていた。
「ふふふ。見てくださいよ、エルネアさん。このギルドカード。Cですよ、C」
「昨日から、もう十回は聞いたわ」
「何回聞いても、いいものですね」
「そうかしら」
二人が向かったのは、ギルド一階の奥にある食堂だった。依頼を受ける前に、腹ごしらえをするのだ。
広い食堂には、長いテーブルがずらりと並んでいる。朝から、冒険者たちが、がやがやと朝食をとっていた。
壁の看板には、大きな文字で、こう書かれていた。
『ミルヴァギルド食堂 本日の看板料理:ゴロゴロ肉の煮込み』
「看板料理があるのね」
「おすすめってことですね。せっかくだから、それ、二つ」
直人は、カウンターで注文した。
数分後、運ばれてきた料理を見て、二人は、同時に首をかしげた。
大きめに切った肉と野菜が、茶色いスープに浮かんでいる。見た目は、確かに、ゴロゴロしている。ただ、湯気が、妙に、弱々しい。
一口、食べる。
「…………」
「…………」
味が、薄い。そして、肉が、ちょっと固い。
「……なんか、元気がないですね、この煮込み」
「料理にも、元気とか、あるのかしら」
「あると思います」
そのとき、厨房の奥から、大柄な男が、のっそりと出てきた。
白いエプロンに、むきむきの腕。顔には、立派な口髭。しかし、眉は、へにゃりと垂れ下がっている。
「……お客さん、すまねえ。味、イマイチだったろう」
「あ、いえ、その」
「いいんだ。自分でもわかってる」
男は、ため息をついて、テーブルの空いた席に、どさっと腰を下ろした。
「俺は、この食堂の料理長のガスパルだ。昔は、もっと、旨いものを出せてたんだがな」
「何か、あったんですか?」
直人が聞くと、ガスパルは、ぽつぽつと話し始めた。
ここ一ヶ月ほど、ミルヴァの町に、食材が、あまり入ってこなくなったのだという。
「街道の途中の森で、魔物の目撃が増えてな。商隊が、危ないからって、遠回りするようになった。そのせいで、肉も、香辛料も、届くのが遅れる。届いても、数が少ない。古くなった食材を、なんとか工夫して出してるんだが……限界でな」
「そうだったんですね」
「冒険者たちは、うちの料理を、楽しみにしてくれてる。命がけで戦ってきた連中が、帰ってきて、旨い飯を食べて、また明日、頑張る。それが、俺の誇りだったのに」
ガスパルは、顔を伏せた。
「このままじゃ、看板を下ろすしかねえ」
直人は、そっとエルネアと目を合わせた。
エルネアは、何も言わず、うなずいた。
(……これは、放っておけないな)
「あの、ガスパルさん」
「ん?」
「ちょっと、厨房を、貸してもらえませんか? お手伝い、させてください」
「手伝い? 冒険者さんが?」
「はい。実は、ちょっとした調味料と、保存食を、持ってまして」
直人は、荷物を探るふりをして、こっそり、スマホを開いた。
ショッピングで、材料を選ぶ。
『カレールー(中辛・20皿分) 銅貨25枚』
『玉ねぎ(3個入り) 銅貨6枚』
『にんにくチューブ 銅貨4枚』
『無洗米(1kg) 銅貨8枚』
『はちみつ(小瓶) 銅貨7枚』
ぽちぽちぽち。
厨房の奥の、人目につかない棚の影で、商品が、ぽん、ぽん、と現れた。
「よし。これで、いける」
直人は、ガスパルに、材料を見せた。
「これを、使って、新しい煮込みを、作ってみませんか?」
「……何だ、この茶色い、四角い塊は」
「カレールーといいます。香辛料と、旨味を、ぎゅっと固めたものです」
「カレー……聞いたことのねえ名前だな」
「まずは、試しに。作ってみましょう」
直人とガスパルは、並んで、厨房に立った。
鍋で、玉ねぎを、じっくり炒める。ガスパルの手つきは、さすがプロで、見事だった。あめ色になるまで、焦がさず、丁寧に。
古い肉も、一度、はちみつを少し加えた湯で下茹でして、柔らかくした。
「ほう、そうすると、肉が、柔らかくなるのか」
「はい。昔、教わったんです」
肉と野菜を入れて、煮込む。火が通ったところで、いったん火を止めて、カレールーを割り入れる。
ふわり、と、複雑なスパイスの香りが、厨房いっぱいに広がった。
「……おお」
ガスパルが、目を丸くして、鼻をひくひくさせた。
「何だ、この香りは。食欲を、がつんと、揺さぶってくるじゃねえか」
「でしょう?」
「いや、待て。香辛料の配合が、見事だ。これ、いくつの香辛料を使ってるんだ?」
「えーと、たくさん」
「当たり前だ!」
ガスパルが、真剣な顔で、鍋をのぞき込んだ。
もう一方のコンロでは、直人が、鍋に無洗米を入れて、炊き始めていた。
「それは、何だ?」
「米です。この、白い粒を、水で炊くと、ご飯になります」
「ほう、穀物か」
「カレーと、ご飯を、一緒に食べるんです」
ガスパルは、半信半疑の顔だった。
厨房の入口から、エルネアの声が聞こえた。
「ナオトー、まだなの? いい匂いが、食堂まで、ただよってきてるのよー」
「もうすぐです。味見、お願いしてもいいですか?」
「喜んで!」
エルネアが、足取り軽く、厨房に入ってきた。
出来たてのご飯に、カレーをたっぷりかけて、小さな皿に盛る。
「どうぞ」
エルネアが、スプーンを、口に運んだ。
ぴたり、と動きが止まる。
三秒後。
「…………!」
エルネアの長い耳が、ぴんっ、と立った。
「これは、何……辛い、でも、甘い、でも、深い……! それに、このお米という白い粒が、すごく、合うわ!」
「気に入りました?」
「気に入ったどころじゃないわ。もう一杯、ちょうだい!」
「早っ」
エルネアは、あっという間に、皿を空にした。
ガスパルも、一口、味見をした。
彼の動きも、ぴたりと止まった。
「…………」
「ガスパルさん?」
「…………俺は、四十年、料理を作ってきた」
「はい」
「こんな味を、食べたのは、初めてだ」
ガスパルの目が、うるうると潤んでいる。
「これは、世界が変わる。これを、うちの食堂の、新しい看板にしたい」
「ぜひ、お願いします」
「ただ、問題がある。この、カレールーってやつは、どれくらい、数があるんだ?」
「えーと、今は、二十皿分だけです」
「二十皿か……」
ガスパルは、腕を組んで、考え込んだ。
「それなら、俺が、この香辛料の味を、研究して、ミルヴァで手に入る香辛料で、近い味を再現してみせる。ルーが尽きても、俺の腕で、同じ味を出せるようにする」
「すごい!」
「職人を、舐めるなよ」
ガスパルは、にやりと笑った。
(さすがプロだな。頼もしい)
直人は、心の底から、そう思った。
その日の昼。
ギルド食堂の、新メニュー、『冒険者カレー』の初日が始まった。
最初は、様子見をしていた冒険者たちが、匂いにつられて、一人、また一人と、席についた。
「何だ、この匂いは」
「新しいメニューか?」
「とりあえず、一つ、くれ」
運ばれてきた皿を、おそるおそる、口に運んだ冒険者が、目を見開いた。
「うめええええ!」
「何だこれ! ご飯に、よく合う!」
「おかわり!」
「俺も!」
あっという間に、食堂は、満席になった。入口の外まで、行列ができた。
ガスパルが、汗だくで、鍋をかき混ぜている。その顔は、ここ一ヶ月で、いちばん、生き生きとしていた。
「直人! お前も、手伝え!」
「は、はい!」
直人は、エプロンを着けて、配膳に走り回った。
エルネアは、味見役の名目で、すでに、五皿目を食べている。
「エルネアさん、食べすぎじゃないですか?」
「味見よ、これは。大事な仕事なの」
「五皿は、味見じゃないです」
「六皿目、ちょうだい」
「聞いてないし」
直人は、苦笑いを浮かべながら、おかわりを持ってきた。
忙しい一日が、あっという間に過ぎていった。
夕方。
食堂は、ようやく落ち着きを取り戻した。
ガスパルが、どっかりと、椅子に座り込んだ。
「……疲れた。でも、いい疲れだ」
「お疲れさまです」
直人が、冷たい水を差し出すと、ガスパルは、一気に飲み干した。
「直人。礼を言う。お前のおかげで、この食堂は、救われた」
「いえ、俺は、ただ、材料を提供しただけです。作ったのは、ガスパルさんですよ」
「馬鹿言え。お前がいなけりゃ、このカレーは、この世に存在しなかった」
ガスパルは、がしっと、直人の手を握った。
「何かあったら、遠慮なく、言え。いつでも、うまい飯を、食わせてやる」
「ありがとうございます」
直人は、少し照れくさくなって、頭をかいた。
戦闘で、魔物を倒すだけが、役に立つということではない。自分が持っているもので、誰かの笑顔を取り戻せる。それが、こんなにうれしいことだとは、思わなかった。
(……悪くないな、こういうのも)
その時、食堂の入口から、一人の冒険者が、慌てた様子で駆け込んできた。
「ギルド長に、報告だ! 森の街道沿いで、巨大な魔物が、目撃された!」
食堂が、ざわめいた。
「巨大な魔物?」
「オークだ。ただのオークじゃない。通常の三倍はある」
「三倍だと……?」
直人とエルネアは、顔を見合わせた。
「……食材不足の原因、これかもしれませんね」
「ええ。街道の商隊が避けていたのは、きっと、それね」
直人は、ぐっと拳を握った。
「討伐依頼、出てますよね」
「ナオト、もしかして」
「はい。受けます」
にやりと笑った直人に、エルネアも、不敵に微笑み返した。
「いいわ。私も、行く」
カレーの恩は、カレーで返す。
それが、冒険者の流儀だった。




