第14話 初めての二人旅
コモレビ村を出て、三日目の朝。
直人とエルネアは、街道沿いの小さな宿場町に着いた。
大きな町ミルヴァまでは、あと半日ほど。今夜は、ここで一泊して、明日の朝に出発する予定だ。
「よし、まずは宿を探しましょう」
「宿ね。わかったわ」
エルネアは、胸を張って答えた。
森の中を歩いているときの彼女は、本当に頼もしい。足跡を読み、風の向きで魔物の気配を察し、ぬかるみも茂みも、猫のように軽やかに抜けていく。
しかし、町に入った瞬間、その頼もしさは、どこかへ消えた。
「ナオト。宿って、どうやって探すの?」
「え、看板を見て、空いてるか聞くんですよ」
「空いている? 宿は、いつも空いているものじゃないの?」
「いや、埋まってることもありますよ。予約とかも」
「予約?」
エルネアが、きょとんとした顔で首をかしげた。
「森の宿は、予約なんてしないわ。木の下で寝るだけだもの」
「それは、宿じゃなくて、野宿です」
「そうなの?」
直人は、小さくため息をついた。
(この人、森の外の常識が、ほとんどないんだな)
さっきは、自分が常識を知らないと散々言われたのに、立場が完全に逆転していた。
最初の宿は、満室だった。
二軒目も、満室だった。
三軒目で、ようやく、二部屋空いている宿を見つけた。
「お二人様ですか? ちょうど、最後の二部屋ですよ」
「やった。じゃあ、それで」
「……ナオト」
エルネアが、直人の袖を、くいっと引っ張った。
「何ですか?」
「私、先に、宿の入口で待っていてもいい? 少し、見たいものがあるの」
「いいですけど、遠くへ行かないでくださいね」
「わかってるわ」
エルネアは、ぱたぱたと走っていった。
直人が、宿の主人と手続きをしている間、五分、十分と時間が過ぎた。
「……遅いな」
宿の外に出て、周りを見回す。
すると、通りの向こうの露店の前で、エルネアが、何かを抱えて、うきうきした顔で立っていた。
「あ、ナオト! 見て、これ!」
「何ですか、それ」
エルネアが、両手で大事そうに抱えていたのは、灰色の、ただの丸い石だった。
「幸運の守り石、ですって! 持っていると、一生、運に恵まれるらしいの!」
「へえ。いくらでした?」
「銀貨、三枚!」
「ぎ、銀貨三枚!?」
直人は、思わず声が裏返った。
銀貨三枚といえば、銅貨三百枚。ツノイノシシの肉がまるごと買えるくらいの値段だ。
「それ、ただの河原の石ですよ!」
「そんなことないわ! 店の人が、特別な石だって言ってたもの! ほら、ここに、ちょっと光る筋が入っているでしょう?」
「そんなの、どこの河原にもありますよ!」
「でも、とても綺麗なのよ。それに、店の人が、すごく親切だったの」
「親切な人は、普通、石に銀貨三枚つけませんよ」
「…………」
エルネアの顔が、みるみる曇っていった。
「……やっぱり、騙されたのかしら」
「たぶん」
「…………」
エルフの戦士は、しょんぼりと肩を落とした。灰色の石を、そっと抱きしめている。
(あ、これは、落ち込んでるな)
直人は、ちょっとだけ迷ってから、言った。
「まあ、綺麗な石ではありますから。部屋に飾るのも、悪くないんじゃないですか」
「……そうかしら」
「それと、お金は、俺が代わりに管理しますよ。町での買い物は、俺が担当ってことで」
「でも、それだと、あなたに迷惑が」
「迷惑じゃないです。その代わり、森では、全部エルネアさんに頼りますから」
エルネアは、しばらく黙っていた。それから、小さくうなずいた。
「……わかったわ。町のことは、あなたに任せる」
「はい、任されました」
直人は、にっこり笑った。
(この人、ほっとけないな)
なんとなく、そう思った。
宿の部屋は、小さいけれど、清潔だった。
直人が荷物を置いて一息ついていると、隣の部屋から、エルネアの声が聞こえた。
「ナオトー、ちょっといいかしらー」
「はーい、今行きます」
隣の部屋の扉を開けると、エルネアが、ベッドの上に、荷物をぶちまけて座っていた。
「どうしたんですか」
「困ったことがあるの。髪が、ばさばさなのよ。森の水で洗っても、どうにもならなくて」
「あー」
見ると、確かに、毛先が少し絡まっていた。それでも、銀色の髪は、十分に綺麗なのだが、本人には不満らしい。
「ちょっと、待っててください」
直人は、部屋の隅に行って、こっそりスマホを開いた。
ショッピングで、必要なものを探す。
『櫛(木製) 銅貨3枚』
『ヘアオイル(小瓶) 銅貨12枚』
『シャンプー&トリートメント(小袋) 銅貨10枚』
『タオル(大判) 銅貨6枚』
ぽちぽちぽち、と、まとめて購入する。
ぽん、ぽん、ぽん、ぽん。
「お待たせしました。これ、使ってみてください」
直人は、エルネアの前に、商品を並べた。
「これは?」
「髪を洗って、整えるものです。使い方は、俺が説明します」
それから、歯ブラシと歯磨き粉も、おまけで買っておいた。
「これは?」
エルネアが、小さなブラシを、不思議そうに眺めた。
「歯を磨くんです」
「歯を? こんな、小さな箒で?」
「はい。この、白いのをちょっとつけて」
エルネアは、おそるおそる、歯ブラシに歯磨き粉をつけて、口に入れた。
しゃかしゃかしゃか。
数十秒後、水で口をすすいだエルネアが、目を丸くして言った。
「…………森みたい」
「え?」
「口の中が、すっとして、森の朝みたいな気分になるわ。何、これ」
「ミントですね。爽やかでしょう?」
「ミント……。すごいわ、ナオト。あなた、どうして、こんなに便利なものばかり、持っているの?」
「えーと。実家の、袋で」
「その袋、そろそろ、ちゃんと見せてもらいたいんだけど」
「そのうち」
エルネアは、じとっと直人を睨んだが、結局、それ以上は聞かなかった。
その代わり、シャンプーの使い方を、真剣な顔で聞いてきた。
翌朝。
直人は、昨日の夜、森で遭遇したヒノトカゲの煤で、上着が少し汚れていることに気づいた。
「うーん、洗濯する時間はないしなあ」
少し考えて、ひらめく。
直人は、スマホのカメラで、自分を一枚、撮影した。それから、AI加工アプリを開く。
『汚れを消して、新品同様に』
送信。
ぱああああっ。
柔らかい光が、直人の体を包んだ。
光が消えたとき、上着はすっかり綺麗になっていた。汚れも、ほつれも、ひとつもない。まるで、店から買ってきたばかりのようだ。
「うん、便利」
ちょうどそのとき、部屋の扉が開いて、エルネアが入ってきた。
「ナオト、そろそろ出発の時間……」
エルネアが、固まった。
「……え?」
「あ、おはようございます」
「今、あなたの上着が、光ったように見えたんだけど」
「気のせいですよ」
「気のせいじゃないわ。確かに、光った。そして、上着の汚れが、消えている」
エルネアが、つかつかと歩み寄ってきて、直人の上着の袖を、ぐいっとつまんだ。
「……これ、本当に、服なの?」
「服ですよ。たぶん」
「たぶん、って何よ」
「いや、服ですって」
「普通の服は、光ったりしないのよ!」
「あ、はい」
エルネアは、直人の上着を、あちこち、ひっくり返して調べた。縫い目も、素材も、どう見ても、ごく普通の革の上着だった。
「……不思議ね」
「でしょう?」
「あなた、やっぱり、普通の人間じゃないわ」
「いや、普通ですよ。魔力が多いだけで」
「それが、普通じゃないのよ」
ぴしゃりと言われた。
それから、エルネアは、ちょっとだけ、もじもじしながら言った。
「……ねえ、ナオト。その、光るやつ。私の服にも、できる?」
「え?」
「森を歩くたびに、汚れるの、気になっていたの。もし、できるなら」
「あー、それは、まだ試したことがなくて」
「試してみましょう」
「え、でも、人にやるのは、何が起こるかわからなくて」
「何が起こるか、わからないの?」
「はい」
「…………」
「…………」
「……やっぱり、結構よ」
「ですよね」
二人は、顔を見合わせて、ふふっと笑った。
昼過ぎ。
街道の先に、大きな城壁が見えてきた。
高い石の壁が、遠くまで続いている。その向こうに、無数の屋根と、煙突と、鐘楼が、重なり合っていた。
「あれが、ミルヴァ……」
アンバの町の、何倍もの規模だった。
「大きいわね」
エルネアも、さすがに目を丸くしている。
「森の外に、こんな場所があるなんて」
「楽しみですね」
「ええ」
並んで立つ二人の間を、風が通り抜けていった。
直人は、ふと思った。
三ヶ月前、一人でこの世界に放り出されたときは、街道を歩くことすら、怖かった。
それが、今は、隣に、並んで歩く人がいる。
(悪くないな、二人旅も)
「ナオト、何、ぼんやりしてるの。行くわよ」
「はいはい。今行きます」
直人は、小走りにエルネアの背中を追った。
その腕には、「幸運の守り石」が、しっかりと、握られていた。
(……あ、結局、持ってきたんだ、それ)
銀貨三枚の石は、エルネアの宝物になったらしい。




