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ミメシス  作者: テツコ
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#2

朝八時。ゴミ袋を片手に玄関のドアを開けると、冬の空気が静かに流れ込んできた。廊下に出る。

ドアの横には、シルバーの冷たいネームプレートに「鈴木」。

毎日見ているはずなのに、ときどき、その二文字をボーッと見つめてしまうことがある。


エレベーターで一階へ降り、ゴミ置き場へ向かう。都会人は他人に無関心なのが幸いしている。新婚夫婦のマンションの一室からダンナじゃないオトコが出てきてもなにも言われない。


部屋へ戻ると、静かなキッチンに立つ。

エプロンをつける前にスマホを開く。瀧にLINEするとすぐ既読になったが返事はない。運転してるんだから当たり前か。小さく息を吐く。

休みの日は一日中料理をしていても飽きない。16歳の頃からカラオケチェーンでアルバイトを始め、そのまま社員になり、店長になり、今では複数店舗を統括するエリアマネージャーをしている。


接客も好きだが、一番好きなのは料理だ。いつか自分のレシピ本を出すことが夢のひとつで、匿名ブログに「俺の漢飯」としてレシピを載せ続けている。ありがたいことに、なぜか主婦層に人気らしい。


玉ねぎを刻みながら、ぼんやり昔のことを思い出す。


ゲイを自覚したのは小学生の頃だ。同級生の男子を直視できず、中学に上がると、周りとの温度差はより濃くなった。女子の身体に関心がないのは「健全」ではない、という無言の圧。

そんな居場所のない毎日で、唯一対等に話ができたのは妹の康子だ。仲のいい兄妹と言われるが、レズビアンの康子は唯一の戦友だった。


玉ねぎを炒める甘い香りが部屋に広がる。


瀧と出会ったのは3年前。年末の繁華街一斉立入で、生活安全課として店にやって来た。警察官は職業柄、忘れ物やら道路使用許可証やら関わる場面が多いが、このときばかりはさすがに店舗全体がピリピリしていた。何かあったら即、営業停止だ。


瀧は、紺色の制服をきっちり着こなしながらも、どこかやわらかかった。

「お忙しい時間に申し訳ありません。」

そう言って最初に頭を下げた警察官を、俺は初めて見た。

立ち入りが終わり、

「ご協力ありがとうございました!」

と笑ったその瞬間、緊張が魔法みたいにほどけた。制服がよく似合っていたがそれが見納めだった。一年後、瀧は警視庁本部へ異動し今ではスーツ出勤だ。


あの日は、それだけだった。

恋なんて始まらない。

始まるはずもないと思っていた。


夜八時を回った。

窓の向こうには都会の夜景が広がっている。綺麗だけど、星は見えない。

ひとつめのオムライスを皿に盛りつける。いざ、ふたつめ。

ガチャ、とドアが開く音に続く、元気な「ただいま」の声に何年経っても、ドキン、としてしまう。変わらないのが、情けない。


「おかえり!長野寒かっただろ。火使ってるから離れられなくてわりーな」

「サンキュー。腹減ったー。お!オムライスじゃん!康子ちゃん、聖子さんちじゃなくて今日は健太マンションだって。納骨は外だからマジ寒かったよ、あっためて!」


瀧はネクタイを緩め、ふう、と息を吐いてから、ぴったり背中にくっついてフライパンをのぞき込む。甘えん坊の国家公務員の正体に、俺は思わず笑ってしまう。


「ごちそうさま。健太のメシ、マジでうまいよな。洗うよ。」

「…ありがと。」

ふと、壁際に飾られたピンク色のフラミンゴと目が合った。

スワロフスキーの、2羽のフラミンゴの首がハート形になっている置物で、結婚祝いに康子の友人が贈ってくれたものだ。


一生、こうなのかな。


ときどき、闇が心を覆う。深海に吸い込まれるような感覚になる。俺は弱い男だ。甘くて、何もできない。

だが瀧は、強い。太陽のようなひとだ。

太陽のようなひととは、明るくハッピーなひとではない。強くて孤独なひと。

深海に差し込んだ甘い光に、弱々しく手を伸ばしたらぎゅっと力強く握ってくれたのが瀧なのだ。そのとき、神様でも、仏様でも、なんでもよかった。なにかに、誓った。

「俺は、この人のために生きていく。」

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