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第55話 人間牧場

 天国に一番近いところとはよく言ったものだった。

 全体的に白く清潔感のあるその建物は、少女が最初に目を覚ました場所と全く同じ間取りの部屋が十数室もあり、老若男女それぞれ年齢別、性別別で寝台が割り当てられていた。

 割り当てられていたと言っても、建物内であれば自由に行き来できたし、決まった時間に決まった内容の食事が届けられるその場所は、確かに快適だった。


 生きていくには何一つ困らない場所だった。しかし生きていくこと以外なにもできない場所でもあった。


 ここに来たばかりの人はこの場所の異様な雰囲気に不安や恐怖を覚え、帰りたいと泣き叫んだり、中には発狂する人もいるようだが、次第にこの場所の快適さに毒され、日がな一日寝ているしかないことを悟り、寝たきりの生活になっていくのだという。


 少女はそこを人間の牧場のようだと思った。

 区切りられた空間の中で、ただ食事だけが与えられる。それはまるで飼育されているようだった。

 誰に飼われているのかは、食事の配膳に訪れるエプロンドレス姿の機械人形を見ればすぐに知れた。少女たちは魔王に飼われていた。


「ここから逃げましょう」


 少女は同室の五人の少女に呼びかけた。


「ここにいたらなにをされるかわからないわ」


 なにを今更とばかりに顔を背ける少女たち。赤毛の少女が彼女たちを代表して、這いずるように自分の寝台から降りて少女に近付いてきた。


「なにをされるかわからないって、実際になにかされたんすか?」


「……お母さんが殺されたわ。お父さんも、たぶんあいつらに……」


「ありゃりゃ、そりゃご愁傷様っすね」


「――っ!!」


 赤毛の少女の軽口が許せなかった少女は、彼女の胸倉を掴む。あまりに軽く持ち上がる彼女に自分でやったことにも関わらず少女は驚いた。一方持ち上げられた赤毛の少女は宙ぶらりんの状態でなお続けた。


「そんなに怒らない。ここにいる連中はみーんな似たような境遇っすよ。自分だけが特別に悲運な人間だとは思わないほうがいいっすよ」


 赤毛の少女の言葉に少女はハッとなった。周りを見れば少女たちはみな一様に淀んだ目で少女を見つめていた。どれも生気を感じられない、絶望に染まった目付きだった。


「……ごめんなさい」


 この場所にいるからには全員にそれなりの理由があったのだと気付いて、少女は弱々しい声で謝り、赤毛の少女をゆっくり降ろしたのだった。


「――アンタ、意外と素直っすね。ウチ、アンタみたいな人間嫌いじゃないっすよ。アンタ、名前は?」


「……カルナよ」


「ウチはアルシュナっす。お隣さん同士、友達としてこれからよろしくっす」


「……とも、だち?」


 一方的に話を進める赤毛の少女に対して面を食らう少女だったが、それでも初めて友達ができた事実にこんな状況でありながら微かに心躍ったのだった。




 そこでの生活は何ヵ月にも及んだ。

 初めこそ逃げる手段を模索していた少女も、他の住人同様に不自由のない生活に徐々にその目的を失いつつあった。


 ときどき一人、二人どこかの部屋の住人が連れて行かれて、そのまま帰らないことはあったが、それもどこか他人事と感じるようになっていた。

 しかしそれがある日、一斉に五十人規模の人間が連れて行かれることがあった。

 その日、少女を始め、残された人々全員が改めて思い出した。自分たちは飼育されているのだということに。


「カルナがここに来たばかりのときに、逃げましょうって言ってたじゃないっすか。そのときの気持ち、まだ残ってるっすか?」


 その日の晩、赤毛の少女は少女の布団に潜り込んできて、珍しく真剣な口調で聞いてきた。


 少女は素直に頷くことができなかった。ここでの生活に不満はなかったし、何よりもこの場所で友達ができた。ここから逃げるということは、その出来事を否定してしまうような気がしていた。

 しかし一方で、この場所にいる限りはいずれその友達とも離れ離れになってしまうということを、少女は改めて思い知らされた。今回はたまたま二人とも選ばれずに済んだが、では次はどうだろうという恐怖が少女の胸の奥を掴んで離さなかった。


「あのね、カルナ……ウチ、実はここに妹がいるんすよ」


「はっ? なにそれ、初めて聞いたけど」


「百十二号室の右手一番奥の寝台の子。クリシュナって言うんすよ」


 言われて思い返せば、確かに彼女とよく似た赤毛の少女がいた。


「ウチら姉妹そろって親に売られてここに来たんすよ。 

 食いっぷち減らすにしても、二人いっぺんってあんまりじゃないっすか。もし妹がいなければ売られることもなかったのかなって考えちゃうと、どうしても顔を合わせる気にならなかったっすよ」


 自分だけが特別に悲運な人間だと思うなと言われてから、少女は赤毛の少女の生い立ちを聞かなかったし、彼女も少女の生い立ちを聞いてはこなかった。だから今更どうしてと少女は疑問に思った。


「だけど、やっぱ血を分けた肉親っすね。

 どうしても、どこの誰かがいなくなったって聞くと、それがクリシュナだったんじゃないかって確認しに行っちゃうんすよ。それで変わらずにそこにいてくれたことに安堵するんすよ。

 妹なんていなければって思ってたのに、それでもウチはこんなにもクリシュナがいなくなることが怖いんすよ」


 それは少女が先ほど考えたことと全く同じだった。

 いて欲しい人たちがそこにいてくれるだけで安堵できた。いつか引き離されてしまうことを考えると怖くなった。

 だから赤毛の少女が何を言おうとしているのすぐに察しがついた。だから少女は先に口を開いた。


「アルシュナ、一緒にここから逃げましょう。妹も一緒に」


「……逃げられるっすかね? 逃げても、殺されるだけじゃないっすかね?」


「大丈夫よ。二人で考えれば、きっとできるわ。あたしたち友達でしょ」


「……うん」


 具体的な方策は何もなかった。だけど二人だったらなんとかなると、そんな根拠のない安堵に包まれて、ただ一緒に逃げる約束だけを交わして、二人はその日同じ布団で眠りについた。




 その晩。その約束は意図しない出来事により少女は一方的に反故してしまった。


 まだ夜も明けていない時間に少女は部屋の外の騒がしさに目を覚ました。


 甲高い衝突音。金属が激しく打ち付けられたような破壊音。そしてその騒音のなかで、少女は自分の名前を聞いたような気がした。


「……なにかあったんすか?」


 赤毛の少女もさすがに目を覚ましたようで、いぶかし気な表情でそう聞いた。


「わからない。ちょっと見てくるわ」


「あ、待つっす。ウチも行くっす」


 赤毛の少女が続こうとするも、すっかり筋肉が衰えた足腰では寝台から降りるのもたどたどしい。少女もすっかり筋肉が落ちてしまったが、赤毛の少女のほうがもっと深刻だった。


「いいわ。すぐに戻るから、アルシュナは待ってて」


 逃げるにしてもお互いにまずは身体を鍛え直すことが優先だろうと考えながら、少女は赤毛の少女を置いて部屋を出た。


 そこで少女はアンドロイドの身体が壁に打ち付けられ、潰れていく光景を見た。


 けたたましい音を上げながら、なんだかよくわからない金属の部品が飛び散るのを見ながら、少女はさっきから聞こえていた金属音はこれかと場違いなことを考えていた。


 目の前には大男がいた。

 少女の倍くらいあろう目線から少女を見下ろしていた。右手にはこれまた少女と同じくらいの重さがありそうな大剣を握っていて、これでアンドロイドを叩き潰したのだろうと伺い知れた。


「きゃあああああああぁぁぁぁぁっ!!」


 夜目で顔がよく見えなかった。だけどその背格好は母を殺したアンドロイドとよく似ているように見えて、少女は腰を抜かして悲鳴を上げた。


「―――――っ!!」


 大男はなにかを叫びながら少女に近付いてきた。

 少女はただただそれが怖くて、辺りに散らばった金属の部品を半狂乱で大男に投げ付けた。しかし大男はそれにも動じる様子もなく、カルナに近付いてきた。


「カルナ、大丈夫っすか――!」


 すぐ背後から友達の声が聞こえた。

 こちらに近付こうとしている雰囲気に、少女は焦った。このままではアルシュナも殺されてしまう。


「ダメっ、来ないで――」


 どうにか振り返ってアルシュナに声をかけようとして――少女はそれを見た。

 アルシュナの背後から刀を構えたアンドロイドが近付いて来ていた。

 そしてアンドロイドは、アルシュナの横を通り過ぎに、まるで邪魔なコバエを振り払うように、彼女を切り捨てたのだった。


 友人の背中から鮮血が舞い、アルシュナはその場で俯せに倒れ伏してしまった。


「アルシュナっ!!

 ―――――っ!!」


 動かなくなる友人に近付こうとする少女だったが、不意に身体が宙に浮き、自由が利かなくなった。

 大男に担ぎ上げられたのだ。


「――っ! 離しなさいっ!! このっ!!」


 手足を振り回して、どうにかその大男から逃れようとするも、やはりそんなことでは動じなかった。

 少女を抱えたまま、アルシュナから離れていく大男。小さくなる彼女の姿に、少女は焦りを覚えた。


「アルシュナっ!!」


 少女の呼びかけに、アルシュナの頭が動いた。まだ生きていることがわかり、なお一層彼女から離れまいと手を伸ばした。


 後頭部に衝撃が走った。

 眩暈を感じて、少女はようやくそれで殴られたのだと気付いた。


 薄れゆく視界のなかで、アルシュナが顔を上げて、少女に向かって手を伸ばしたのを見た。

 彼女の口が、自分の名前を呼ぶように動くのを見届けて、少女はそのまま意識を失った。

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