第53話 トモダチ
「カルナ、大丈夫か?」
「ええ……平気よ」
そう返事はするものの、カルナの表情はどこか硬く、心ここにあらずという雰囲気だった。
原因は間違いなく先ほど出会ったばかりの赤毛の少女――アルシュナと呼んでいた少女に由るものだろう。
アルシュナは現在、村長に水を運び込んだ報告と届けなきゃいけない荷物があると、村長の家へと赴いていた。どうやらあの巨大桶は村長が手配したものらしい。
「積もる話もあるっすよ。ちょっと待ってて欲しいっすよ」
そう言われ武蔵はカルナはアルシュナが村長宅から出てくるのを待っていた。いや、正確には待っているのかカルナだけで、武蔵はそのカルナのさらに付き添いみたいな状態だ。
「カルナ、あの子とは、その……どういう関係なの?」
あんまり踏み込んで聞いていいものか悩みつつ、それでもカルナの態度があまりにも不審だった。普段、怒ったり泣いたりといった感情は比較的表に出すカルナではあったが、それでも怯えている様子を見せるのは珍しい。
「どういう……そうね……友達よ。あたしの、はじめての友達」
「はじめての友達? そう呼ぶ割りには、なんか怖がってない?」
「……そうね、怖いわよ。あんたがついて来てくれて正直ほっとしてるくらい」
――……その言い方は、ちょっとズルいと思う。
こんな状況ではあるが、突然弱さを見せてくるカルナに胸がドキドキする。
「――昔、なんかされたのか?」
胸の高鳴りをどうにか抑えて、尋ねる。
武蔵にも友達と呼びながらも苦手意識のある人物がいる。友人関係のなかでも怯えるに至る理由がある存在はいるものだと自己の経験から思い浮かべる。
「……なんもされてないわ。なんかしたのはあたしの方よ。あたしはアルシュナを置き去りにしたから」
「どういうこと?」
「お待たせっす」
カルナからの返事を待たず、アルシュナが村長宅から出てきてしまった。
「あー、もしかしてお邪魔っすか?」
「……大丈夫よ。ムサシと話してもしょうがないことだから」
カルナの発言にムッとなる。
ほっとすると言われてからの急転直下の手のひら返しに、この場から立ち去ろうかとも考える。
「お兄さん、フラれちゃったっすか?」
「だから、そういうんじゃないって」
「まあまあ、めげずにアタックっすよ。ちょっとお兄さんには星に手を伸ばす感じっすけど、諦めなきゃ届くかもしれないっすよ」
「あんた、さっきお似合いの夫婦に見えたって言ってなかったか?」
アルシュナは舌を出して肩を竦める。暗にさっきのは外交辞令だったと告白するような態度だったが、これ以上ムキになってもしょうがないと武蔵も彼女を真似て肩を竦めてみせた。
「……アルシュナは、今は……その、どうしてるの?」
一拍置いて、武蔵とアルシュナの会話が途切れたとみて、カルナが話しかける。彼女にしては珍しく歯切れの悪い、曖昧な問いかけだった。
「それは今も魔王に捕まってるんじゃないかって確認っすか?」
「――魔王!?」
質問に質問での返答に、武蔵は驚きの声を上げる。どういう意味か聞きたくてカルナの顔を見るも、彼女は気まずそうに顔を反らした。アルシュナもとりあえず事情の知らない武蔵は横に置いたようで、カルナににっこりと笑い返した。
「もしそうなら、こんなところで一人で歩き回ってないっすよ。
今はさっき見た通り、あのおっきな荷馬車を使って行商人をしてるっす。
あんだけおっきな荷物運べる業者はなかなかいないっすからね、それなりに繁盛してるっすよ」
「それはそうだけど……でも、あそこから逃げるなんてこと……」
「まっ、普通は無理っすね。それこそカルナみたいに騎士様にでも助け出されでもしない限りは無理っすね」
「―――――」
「いろいろあったんすよ。それこそいろいろ――」
カルナの表情が強張る。
「アルシュナ、あたしは――」
なにかを訴えるように一歩前に出るカルナに、アルシュナは手のひらを前に突き出して待ったをかける。
「勘違いしちゃっだめっすよ。うちらは運がよかったんすよ。
カルナは運よく騎士様に助けられて生き延びた。うちも運よく逃げ出せて生き延びてる。
だからカルナはそんな顔する必要はないっすよ」
「……みんなは、他のみんなは?」
「――あいつらは運がなかったんすよ」
「……クリシュナは?」
どこかあっけらかんとしたアルシュナの表情が一瞬だけ止まったように見えた。だけどそれも勘違いだったかのように思えるほど、そのままの表情で続ける。
「――運がなかったんすよ」
「そんな言い方って――!」
涙ぐんで声を荒げるカルナだったが、すぐにはたと気付いて俯いてしまう。
「……ごめんなさい。あたしが怒れる立場じゃないわ」
「いいっすよ。
いや、むしろ昔と変わってなくてよかったっす」
「変わってない?」
「そうやって他人事にすぐムキになるくせに、すぐに自分を顧みて冷静になるところとか」
「そう、かしら?」
「そうっすよ」とアルシュナは微笑む。武蔵も、カルナの今までの行いを思い返して、思わず頷いてしまう。
「そのかっこう、カルナは騎士になったんすね。あのカルナを助けた騎士様、かっこよかったっすもんね」
「……そう、だったかしら? あまり覚えてないけど……。
だけど、それよりも――」
「亡くなったお父さんとお母さんも騎士だったって自慢してたもんね。その跡を継いだってわけっすね」
「……ええ、そうよ」
武蔵は思わず疑問の声を上げた。
亡くなったのはお母さんだけじゃなくて、お父さんもという部分は武蔵の知る話とは全く違っていた。
――だって、それじゃあ、ヨーダは?
しかしカルナは再び武蔵の声を一瞥の下に封殺した。その眼差しには「聞いてくれるな」と言う意味がまざまざと感じられた。
カルナと武蔵のそんなアイコンタクトのやり取りに気付かなかったのか、アルシュナは続けて言う。
「よかったっすね、夢がかなって」
「夢?」
「お母さんみたいになることが夢だって言ってたじゃないっすか?」
「……ああ、そうね。騎士にはなれたけど、お母さんみたいにとは、まだほど遠いわね」
「そうなんすか?
だけど、これも生き延びたからできたことっすね。
ほんとよかったっすよ」
生き延びてよかったと、アルシュナはその後も何度もそのことを口にした。カルナのその度にどこか申し訳なさそうな顔をしていたのが印象的だった。それは途中で話が上がった「みんな」や「クリシュナ」のことを考えてなのだと武蔵は思った。
どこか一方的にアルシュナが話してばかりのように感じられた会話は、これまたアルシュナの一方的なやり取りで終わった。
「ウチ、またあの荷馬車で飲み水を運ばないといけないっすよ。
だから今日はここに泊まって、また明日には出発っす。せっかく会えたのに残念っすけど」
それじゃあと立ち去るアルシュナを見送るカルナは、淋しそうな、悲しそうな、どこか安堵したような、そんな複雑な表情を浮かべていた。
そんなカルナにどんな声をかけていいか、それとも立ち去ったほうがいいのか悩んでいると、
「ムサシ、ちょっとだけいいかしら?」
カルナのほうから、武蔵の腕を掴んで引っ張っていく。
相変わらず複雑な表情をしているカルナに対して、やっぱりどこまで踏み込んでいいか考えあぐねてしまう武蔵だったが、それでも一つだけ気付いたことがあった。
カルナは今には泣き出すんじゃないかという雰囲気があった。たぶん、こういうときのカルナを独りにしてはいけないのだろうと、武蔵は思った。




