(6)見つけた人の権利
船体が大きく揺れ、金属が軋む大きな音が聞こえた。三艇ある避難艇に、約百人の乗客が分乗したところだ。宇宙服を着た副長はブリッジに残る船長の側に寄った。
「あなた! 早く避難艇へ」
副長はアルヴァン船長の妻でもあった。
「避難艇の切り離し回路が焼き切れてしまっている」
アルヴァンは苦痛の表情でかすれた声を絞り出した。
「おまえは避難艇に乗れ」
「あなた!」
副長はアルヴァン船長にしがみついた。アルヴァンは優しく副長の手を振りほどき、諭すように言った。
「しっかりしろ。二人とも帰らなかったら子供たちはどうなる?」
それを聞いた副長の目から涙が溢れ出た。
「私が運搬アームをここから動かして、避難艇を無理矢理にでも切り離す。……正直、うまくやれる自信はない。——だがやるしかない。おまえは避難艇に乗って乗客を落ち着かせるんだ」
副長の涙は止まらなかったが、震えながら頷いた。
アルヴァンは妻を抱き寄せ、最後の抱擁を交わした。
「行け。時間がない。……急げっ」
アルヴァンは副長を押し出すようにして送り出した。
副長は涙を拭いながら通路を走り、避難艇がある格納庫へ向かった。船体の揺れは激しさを増す。副長はつまずきながらも走り、格納庫へたどり着き、三号艇に乗り込んだ。
船長からの船内放送が流れる。
「こちら船長。今から避難艇を切り離す。——心配いらない。自動操縦で高次元空間を脱し、救助を求めることができるだろう」
副長は揺れる避難艇の中で、恐怖に怯える乗客たちを落ち着かせようとした。
「落ち着いて! きっと大丈夫。船長がなんとかしてくれます!」
運搬用ロボットの鋼鉄のアームが強力な力で避難艇を固定している索具を切り離そうとして、さらなる振動と、鋼鉄が擦り切れる大きな破壊音、作業用アームの油圧システムが出す機械音、悲鳴、怒号、さまざまな音が乗客たちの耳に響いた。
激しく揺さぶられたあと、副長は急に静かになったと感じた。浮遊感があった。避難艇の窓の外には星々がきらめいているのが見えた。船を離れ、すぐに高次元空間からも脱出し、宇宙空間を漂い出したのだ。すぐ近くに、もう二艇の避難艇が浮かんでいた。
彼女の夫はどうやらやり遂げたらしい。そのことが誇らしさで彼女の悲しみを包んだ。
*
会議室にいる全員が、アルヴァン船長に救われた妻が残した、短い回顧録を読んでいた。船長が残した子供たちは子孫をもうけ、この場にいるネリカへと受け継がれている。
誰もが、船長の英雄的行動と、あの数分間があったからこそ今ここに生きている者がいることを、あらためて噛みしめていた。
ライラが立ち上がり、モリーに目配せした。モリーの頬に垣間見える回路が瞬く。
「では、調停案を言うわ」
そう言ったライラの横顔は、トウマから見るといつになく大人びて見えた。あどけない皇女ではなく、調停者の顔をしていた。
「調停案……?」
ロルガンが彼にしては早口で、慌てながら言った。
「先程の話が本当なら、救難信号は三日後には止まるのだろう? 調停することなど、もう何もないのでは?」
「いいから、黙って聞きなさい」
ライラはぴしゃりと言い、中央のテーブルの上、立体モニターに表示されたミラード航路の宙域図を指さした。
*
——その数時間前。スピカ号のブリッジで、ピアはこう説明していた。
「アステラ号は救難信号を発しながら、連星ブラックホールへ落ちている。連星ブラックホールは一ヶ月から三ヶ月の周期で、増幅された重力波を周囲に撒き散らす。その波が高次元側で干渉し、量子揺らぎが救難信号を現実の航路空間に重ね合わせる。そこが発信地点」
立体モニターの航路図に映し出された発信地点のプロットは、散在していた。
「ボクは独自数式を作った。連星ブラックホールの位置。ブラックホールたちが影響を与えながら発した重力波の強さ、これはかなり精度の高い別の観測データがあった。これまでの救難信号の発信地点データ。ダグが受信させた高精度観測データ。それらを全部収束できる数式」
トウマは息を飲んだ。
「そ、それはつまり……?」
「この数式を使えば、分断されてバラバラに置かれた、空間的にも、時間的にもね。その通信の順序を正しく並べることができる。あとは高次元関数に、連星ブラックホールから導出した補正を加えて、ゆらぎのノイズ除去フィルターを作って、その通信データにかける」
実際に、ピアはその場で言ったことを行ってみせた。
「聞いてみよう」
ピアは繋いだ救難信号を再生させた。
『……全……艇の離脱……認。……主機…………崩壊? ……救……号を……』
「い、意味を成しているように聞こえるぞ」
「これは驚いた」
トウマとシオンが口々に言った。
「意味的補正フィルターをかければもう少し明瞭になる。——それから、同じ数式を使えば、重力波の観測データを入力して、次の発信位置と時刻を確率的に導き出せる」
「それが分かれば、船長を救うことができるのか?」
トウマが慌てて遮ったが、ピアは静かに首を振った。
「それは無理。さっきも言ったように、量子揺らぎの影響を受けて飛ばされているのは、軽い高次元通信だけ」
ピアはライラを見た。
「分かる?」
「船は熱と粒子の集まった大きさで、そうそう自由にはならないんだわ。それを行うための高次元ドライブが壊れてしまったのだから、船長を助けることは不可能……」
「そう。でも、何もできないわけじゃない」
ピアがそう言うと、クルーたちは、さらに驚かされることがあるのかと身構えた。
「ボクはこの数式で予想される次の発信地点、ピアポイントを使って——」
「いま自分で付けたよね?」
リッカが口を挟んだ。
「見つけた人の権利」
ピアは軽く胸を張った。ライラが問う。
「つまりは……?」
「高次元通信の救難信号が届くのなら、こちらからの通信も届く」
ピアは言い切った。
*
調停案を出すと言ったライラに、ロルガンは不審の眼差しを向けている。
「ピアが導き出した残りの発信地点は、あと三回。最後は三日後よ。わたくしは二回分は準備が間に合わないと思っている。だからチャンスは最後の一回だけ。機材も一つしかないしね」
「な、なんの準備だ?」
黙っていられなかったロルガンが聞く。
「お願いだから、黙って聞いててちょうだい」
ライラは意外にも優しい声音で言った。
「この発信予測地点。えーと、ピアポイントと呼ぶわ。名付けは発見した者の特権らしいの。——ピアポイントは確率で計算されるから、上位のものを取ったとしても三箇所あるの。このうちのどこかになるわ」
宙域図には三つの赤い点が表示された。それはトウマの感覚で、かなり離れた点と点に思えた。
「だから、どれか一つに狙いを定めるようなギャンブルはしたくないの。——ロルガン。重なり崩壊装置を撃ち込めば、アルヴァン船長を殺してしまう。でも、三日後には救難信号は止まる。もう、あのミサイルを破壊のために使う必要はないでしょう?」
「そ、そうだな。ピア博士が、救難信号は三日後が最後だと証明してくれたのだから、もうあれを使う必要はない」
「では、ミサイルを大至急、高次元通信ができるように改造しなさい。ミサイル艇を使えば、救難信号を受信してから、そこに向かっても間に合うから」
「ボクが乗ってきたソロシップに、超小型高次元ドライブ試作機がある。それを組み込めば、直前の細かな軌道修正が可能だし、高次元通信で船長に返事を届けられる」
「これが調停案よ。ロルガン。あなたたちは、あの船を撃つ準備をした。なら撃ちなさい。ただし、破壊するためではなく、返事を届けるためによ」
通商組合の者も、家族会の者も、この意味を飲み込むまでにしばらく時間を要した。それぞれに、室内の隅に行って相談を交わした。
再び席についたロルガンの顔は晴れやかだった。
「撃つところまで準備したのは私たちだ。なら、届くところまで私たちが責任を持とう」
ロルガンは普段の重い響きを持つ口調を取り戻していた。そして憑き物が落ちたような顔で付け足す。
「我々もミサイルなんて望んではいなかったんだ。専用ミサイルはほかへは転用できない。準備費用ももう戻らない。無駄になるくらいなら、この調停案を受け入れて、家族会に使ってもらおうと決まった」
「……ありがとう。ロルガン」
ネリカは顔をくしゃくしゃにしながら言った。
「さあ、時間がないのよ。大急ぎでミサイルを改造しなければ。——リッカ」
「はい」
「ウチの凄腕メカニックよ。モリーとダグも良い腕をしているわ! ロルガン。通商組合からも人員を出してね」
「もちろんだ」
「そうだ、トウマも船とか、ミサイルに詳しいのよね? 船長だからってふんぞり返ってないで、今回は手伝いなさい」
トウマは苦笑した。
「ミサイルには詳しくはないが……オーケー。手伝うよ」
「僕も手伝うよ」
「あらシオン。じゃあお願い。その小洒落たスーツが汚れても良いなら」
会議室は小さな笑いに包まれた。




