(5)仮説は立った
残り一時間を切った。トウマはやれるだけのことはやったと思った。
リッカ、モリーと共にデータ分析を続け、些細なことでもピアが見れる場所へ、分析結果データを置いた。それらはすぐにピアによって確認済みとマークされた。
シオンとダグは関係者への調査を進め、幾つかの追加情報を入手してくれた。それもピアは確認済みにマークした。
スピカ号のクルーたちはブリッジで最後のあがきを続けていたが、そこへようやくピアが戻ってきた。疲れた様子もなく、身なりは小ぎれいなままで、ドクターコートには皺一つないままだった。
「ボクの仮説は立った。——あとは証明するだけ」
ピアは一息に言いながら端末のある席に座る。
「仮説……?」
トウマは呟くように聞いた。
「ミラード航路の近くにあるブラックホールは連星だよ」
「連星?」
「二つのブラックホールが共通の重心点をたがいに公転している」
「……」
「それがこの救難信号の分析を難しくしていた。百年分からなくても無理はないと思う」
「でも、ピアはそれを解いて仮説を立てられたのね? ——お願いそう言って」
ライラは祈るような顔をした。
ピアは何も言わずにコンピューターUIを操作した。立体モニターに分析結果が映し出される。
二つのブラックホールが、漆黒の闇のような姿で、互いを回っているのが見えた。それが縮小され、かなり離れた位置に、ミラード惑星とその主星である恒星が置かれた。その間に、実際には何もない空間だろうが、ミラード航路が示される。
「今から説明する」
ピアは静かに言った。ライラの顔が少し明るくなる。
「ブラックホール連星は、時折、お互いの干渉を強めて、強力な重力波によって周囲に影響を与えることがある。それはいつ起きるか予測不能で、そのときに高次元航路にいれば、回避は不可能。それが、アステラ号を襲ったと考えられる。これは予想」
ピアが言った通りの事故予想がモニターに映し出された。
「強められた重力波は、高次元のミラード航路に影響を与えた。普段はあり得ないことが起きた。アステラ号はブラックホール連星に落ちてしまっているんだ」
「……そ、そんなことが起こるはずがない」
トウマは慌てて言った。
「ブラックホールの影響を受けないために設置された航路だぞ。十分距離を取ってあるはずだ」
ピアは冷静な視線をトウマに向けた。
「そう。かなり稀なケース。でも、連星ブラックホールから発せられた強い重力波は、高次元空間に影響を与えて、高次元ドライブが暴走してしまったのなら起こり得る」
ピアが操作すると、モニターには、航路の事故発生地点と、ブラックホール連星とが拡大して表示された。
「あなたたちが集めてくれたデータのどれか一つでも欠けていたら、この仮説は立てられなかった。ボクが解いた問題でも、最も難しいものの一つだった」
「……でも、解けたのね?」
ライラが期待を込めた視線を向ける。
「解けた」
モニターには、船を表すマークが現れ、急速にブラックホール連星に向かって進んだ。
「高次元空間で落ちている。連星ブラックホールの公転による重力波を受けながら。それによって、船は量子的揺らぎを撒き散らす。別の次元にもね。その一端が、現実空間にも短時間、現れる」
「——頭が混乱しそうだ」
シオンが天井を仰ぎ見た。
「救難信号はどう解釈するの?」
リッカが問うた。
「高次元通信のSOSプロトコルには予め、通信の分断や量子もつれによるジャミングに対する補正措置が組み込まれている。それでヘッダ部分の救難信号は意味を成していた。本文部分は、どうやって分断されたか、どうやってもつれてしまったかを知らないと意味を読み取れないけどね。それを今から、解析してみる。船が落ちている方向、受けていると思われる重力波を何パターンか試してみて——」
「ピア! お前はさっきからおかしな言い回しをしているぞ。落ちているとはどういうことだ?」
トウマが堪らない思いで遮って問うた。
「百年前の事故だぞ。落ちた、のではなくて?」
ピアは静かな目線をトウマに向けてきた。ピアのことを良く知らないから、冷たい目線とも思えた。
「端的に言うと、船長は生きているの。——正確には、まだ死ぬまでの時間を使い切っていない」
*
「船長は生きている」
スピカ号のブリッジでクルーたちに説明したときと同じように、ピアは断言した。
宙域ステーション内の会議室。再度、家族会と通商組合の関係者たちが集められていた。百年前の事故発生経緯をピアが説明したあとに言った言葉だ。
十八時間の期限は、もう過ぎていた。ロルガンは、ピアの話を聞き終えるまで発射を待つと、自分で決めたのだった。
ライラは家族会の、とりわけアルヴァン船長の子孫であるネリカのほうを向いた。
「残念ながら、生きていると言っても、助けられるとか、そういうことではないの」
ライラは驚いた顔をしているネリカを見つめた。
「どういうことなんですか?」
「アステラ号は連星ブラックホールに向かって落ちている」
ピアは無表情で言葉をつなぐ。
「ブラックホールの強力な重力によって、アステラ号の時間は引き伸ばされている。船長の時間では、おそらくは一分と少し。避難艇を切り離したあと、船長は救難信号を発した。概念的に説明する。——信号は高次元航路で連星ブラックホールの強力な重力波の影響を受けて、細切れになって、量子のゆらぎの影響を受けながら、現実世界に届いて、我々の高次元通信受信機が捉えた。だから、発信源は航路の中でランダムのように点在していたし、ブラックホール側へ航路から外れた位置のものもあった」
「……難しい。しかし、——こういう理解でいいのか?」
ロルガンは眉をひそめた。
「——船に残ったアルヴァン船長は、救難信号を出しながら、ブラックホールに落ちていった。船長にとっては一分間のできごとだが、我々の世界は百年が経過したと?」
ピアはゆっくり頷いた。
「一点だけ補足する。船はブラックホールに落ちているの。まだ終わったわけではなくて」
ロルガンは愕然とした。
「……我々はそれをミサイルで撃ち落とそうとしていたのか……」
「成功していたでしょう。重なり崩壊装置は、救難信号が現れる出口を逆にたどり、高次元側の発信源ごと崩壊させるもの。ミサイルを撃っていたら、アステラ号はアルヴァン船長もろとも破壊されていた」
ロルガンはテーブルに肘を付き、頭を抱えた。
「ネリカさん」
トウマは呼びかけた。ネリカはまだ混乱していた。目を見開いたまま、トウマを見返した。
「混乱しているでしょう。そして、この分析結果が本当なのか疑問に思われるはずだ」
ネリカは唇を震わせながら頷いた。
「しかし、ピア・ノット……帝都大学宇宙科学講座教授代理は、今まで受信した救難信号を、この分析結果を元につなぎ合わせて復元したのです。それを聞けば、分析結果が正しいかどうか分かるでしょう。ただし、それをここで聞くかどうかは、船長の子孫であるあなたに委ねます」
ネリカは唇を結んだ。そして、少し考えたのち、言った。
「聞かせてください」
「分かりました」
トウマはピアのほうを向いて、頷いて合図した。ピアはタブレット端末を取り出し、操作した。
「すべてを復元できたわけではない。重力波が強すぎて壊れてしまったものもあったから。それに意味が分かるように、ノイズを除去するためのフィルター補正も加えてある。ただしそれは二十七パーセント程度だ」
ピアは端末の再生ボタンを押した。
『……私は、医療輸送船アステラ号、船長のアルヴァン・セイル』
雑音の向こう側から聞こえるような音声だった。
『……全避難艇の離脱を確認。……主機関が……崩壊? ……救難信号を……』
会議室は静寂に包まれた。聞き取るのもやっとの状態ではあったが、救難信号の意味が通じたはじめての結果だった。
「船長の声だわ」
ネリカはぼそりと言った。
「そうだな。記録に残っているアルヴァン船長の声のように聞こえた」
ロルガンも同意した。
「解析結果はまだあるわ」
ライラがピアに視線を投げた。
「連星ブラックホールの位置、これまでの救難信号発信源の位置を時系列で計算した。ゆらぎは確率計算しかできなかったけれど、確率の収束を計算すれば明確。船が一方のブラックホールの事象の地平線に落ちるまで、あと僅かということが分かった」
「ど、どういうことなんですか?」
ネリカが問う。
「今回の重力波の影響を受けた救難信号の断片の受信が最後ということ。三日後の断片受信のあと、船は事象の地平線を通過し、私たちの理解の及ばない特異点に落ちていく」
「アルヴァン船長はどうなるんですか?」
「分からない。我々が死ぬときと同じで、だれもそれを経験してから語ることができないから」
「……」




