第8話 診療所の補助電力
南側診療所では、四台の手動呼吸器が動いていた。
保安隊は患者を防火扉の外へ移したが、壁に固定された透析装置は外せなかった。停電直後から補助蓄電池で耐えていた装置だ。エレベーターの封鎖と同時に電圧が落ち、長い警告音が続いた。
玲華が診療室へ入ると、看護師二人が手でポンプを押していた。ベッド上の老人の顔は、すでに灰色だった。
「電力線を確認して」
玲華は壁の覆いを剥がした。補助線は自然故障ではない。切断面に、断電派が使うセラミック刃の痕が残っていた。エレベーターを掌握するため主回線を切った際、診療所の迂回線まで一緒に切断したのだ。
美緒が回線で言った。
「他区画からの送電まで11分」
看護師が首を振った。
「この患者は3分ももちません」
玲華は携帯蓄電池を取り出した。農業区で権限キーを充電するため残していた装置だ。容量が足りず、透析装置全体は動かせない。
「循環ポンプだけ接続して」
「濾過できません」
「まず血圧を維持する」
玲華はケーブルの被覆を剥き、蓄電池へつないだ。火花が散り、ポンプが一度動く。老人の胸がかすかに持ち上がった。
廊下から桐生が断電派の捕虜を一人連れてきた。先ほどエレベーターで捕らえた若い構成員だった。
「切断経路を知っているそうです」
構成員は診療室を見て顔を強張らせた。
「ここは標的じゃなかった」
「線を切ったのはあなたたちの組織よ」
玲華の質問が短くなった。
「迂回接点はどこ?」
「配管室の三番分配盤。俺たちも病院の線だとは知らなかった」
看護師が叫んだ。
「知らなければ人は死なないんですか?」
構成員は答えられなかった。
玲華は桐生へ言った。
「彼を連れて分配盤へ。修理できるよう片方の手錠を外して。二人で監視」
「捕虜へ設備を任せることはできません」
「今、経路を知る人よ」
桐生は一瞬ためらったが、手錠の片側を外した。構成員は保安隊と共に走り去った。
玲華はポンプの電圧を支えた。シナプスグローブが熱を帯びる。老人の脈拍は一度上がり、再び落ちた。
「電力復旧まで6分」
美緒が言った。
看護師が老人の名を呼ぶ。
「太田さん、聞こえますか? すぐ戻ります」
老人のまぶたがほんのわずかに動いた。次の瞬間、モニターの線が平らになった。
心肺蘇生が始まった。玲華は蓄電池から手を離さなかった。電力が戻った後も、看護師たちはさらに5分間圧迫を続けた。
やがて医師が時刻を告げた。
死亡時刻、復元暦八十七年四月三日、6時52分。
玲華は現場原本へ名前を入力した。太田勝。停電中の補助電力喪失。断電派の切断線と直接関連。緊急封鎖により復旧接近が遅延。
原因を一つには絞らなかった。
廊下に立つ若い構成員は、手錠を掛けられた手で顔を覆った。知らなかったとは、もう繰り返さなかった。
玲華は死亡記録を閉じ、立ち上がった。
「台帳を探す。これ以上遅れる前に」
移送台帳のバックアップ室は、発電中継器と同じ壁を共有していた。
遠くから見れば、断電派が都市の電力を狙ったとしか思えない構造だった。発電中継器には太い銅線と警告灯が露出し、台帳サーバーはその背後の無表情な灰色扉に隠されている。
玲華が到着した時、発電中継器は損傷していなかった。
断電派構成員四人は出力ケーブルを通り越し、台帳室の扉へ携帯切断機を当てていた。停電でロックが固着したため、壁を物理的に切っている。一人は床へマッチ箱ほどの信号増幅器を設置した。盗んだキーの位置を、上方へ移動し続けているよう偽装する装置だ。
「武器を下ろして」
玲華が姿を現した。
切断機を持つ女が振り向いた。仮面の下の声は若い。
「発電機には触れない。そこをどいて」
「診療所の線を切った後でも、同じことが言える?」
女の手が止まった。
「太田勝が死んだ」
背後にいた一人が頭を下げた。別の男が小銃を上げる。
「俺たちが止まれば、もっと多くが連れていかれる」
「誰がどこへ連れていかれるのか、根拠を出して」
「台帳の中にある」
「だから都市を止めたの?」
彼らが発電機を守っていることは玲華にも分かった。だが停電を起こした以上、空気も医療も給水も危険にさらされる。目的が人を救うことでも、手段が生んだ被害は消えない。
小銃の男が先に撃った。玲華は中継器の柱へ身を隠す。弾丸が銅の外装を叩き、残留電流が弾けた。
「中継器を壊すな!」
切断機の女が仲間へ叫んだ。
短い混乱の間に、玲華は床を転がって射線の下へ入った。鎮圧弾二発が男の膝当てと肩を打つ。男は均衡を失い、倒れた。
別の構成員が信号増幅器を外し、脇の扉へ走る。玲華が追おうとすると、切断機の女が前を塞いだ。回転するセラミック刃が戦闘服の前面をかすめる。
玲華は手首をひねり、切断機を壁へ向けた。刃が台帳室の扉ではなく、発電中継器の保護板へ食い込む。警告音が鳴った。
女の顔が青ざめる。
「放すな!」
二人は同時に切断機の柄を掴んだ。玲華がグローブを逆回転させ、女が電源線を抜く。刃は銅線へ届く寸前で止まった。
玲華はすぐに女の腕を背へねじり、床へ押さえつけた。
「発電機を守るつもりなら、停電を起こすべきじゃなかった」
女は荒い息を吐いた。
「明かりがついていれば、あの扉は絶対に開かない」
「だから他の人の呼吸まで止めたの?」
答えはなかった。
桐生の隊員が到着し、捕虜を引き取った。台帳室の扉には、人一人が入れる隙間が切り開かれていた。内部のサーバー棚はいくつも空で、中央端末には移送者索引を抜き出した痕跡が残る。
玲華は空の棚より、無傷の発電中継器を長く見た。
断電派は都市を完全に殺すつもりではなかった。必要な闇の範囲を制御できると信じていただけだ。
その信念が太田を殺した。
台帳室の裏には、人が入ることを想定していないケーブル通路があった。
幅は肩よりわずかに広い。信号増幅器を持って逃げた構成員の体温が、その中へ入っていった。玲華は捕虜の引き渡しを桐生へ任せ、身を低くした。
「一人で入るな」
黒鉄が言った。
「二人で入ったら、互いの銃撃も避けられない」
「だから私が後ろを塞ぐ」
玲華は反論せず通路へ入った。膝と肘が金属板を擦る。前方から小さな祈りの声が聞こえた。
「光は誰のものでもない」
声は震えていた。
通路が広がる場所に、若い信徒がうずくまっていた。多く見積もっても十九歳。仮面は外して首へ掛け、右手には短い電気ナイフを持つ。左手の信号増幅器は、古い分配箱へ接続されていた。
分配箱の隣の房には、債務者六人が閉じ込められている。信徒は管理者ロックを迂回し、扉を開こうとしていた。
「ナイフを下ろして」
玲華が言った。
「扉を開けるまでだ」
「その後で下ろして」
「信じろって?」
信徒が電気ナイフを起動した。狭い通路に青い光が広がる。玲華は銃を抜かなかった。弾丸が分配箱へ当たれば、房の扉が永久に閉じる恐れがある。
「中にいる人たちの名前を知ってる?」
「知ってる」
「なら、あなたが死んで扉の前を塞いだら、誰が出すの?」
信徒の顎が震えた。その時、房の中から女が叫んだ。
「明、やめて!」
名を呼ばれ、彼の視線が横へ揺れた。玲華は一歩で距離を詰める。電気ナイフを持つ手首を壁へ押しつけて電源を切り、肘で胸を押した。信徒は抵抗したが、体格と訓練の差には勝てなかった。
玲華はナイフを奪い、遠くへ滑らせた。
「まず扉を開けて」
「逮捕するんだろ」
「それでも、あの人たちは出られる」
明は唇を噛み、分配箱へ最後のコードを入力した。房のロックが外れ、中の六人が順番に出てくる。全員の手首に移送待機帯が付けられていた。
桐生が背後へ到着した。保安隊が明へ手錠を掛けると、債務者の女が玲華の前へ立った。
「あの子が私たちを救ったんです」
「分かってる」
「なら連れていかないで」
「武器を持って設備へ侵入した。逮捕するかは私が決めることじゃない」
「何でも決められる人みたいに入ってきたじゃないですか」
その言葉は、玲華の首の後ろより深い場所へ刺さった。
桐生が明を立たせた。信徒は手錠を掛けられた手で、房から出た人々を指す。
「あの人たちをまた移送するなら、次はもっと大きく切る」
玲華は答えず、債務者の名前を現場記録へ加えた。保護状態。移送執行の一時停止要請。根拠は不法拘束の疑い、および医療状態の確認必要。
黒鉄が記録を見て尋ねた。
「執行停止を自分の権限で掛けたのか」
「停電中の安全措置よ」
「停電が終われば?」
玲華は明の幼い顔と移送帯を見比べた。
「その前に、移送がどこへ続くのか確認する」
この時の玲華はまだ、その答えが都市内部の腐敗した行政区画にあると信じていた。
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