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第23話 別の都市の担当者

黒鉄は記念館屋上の管制台で、行事警備を点検していた。眼下の中央軸には青い横断幕が階層ごとに掛かり、市民合唱の音源が換気口を伝って上がってくる。


玲華は人類帰還条件が記された展示資料を、黒鉄の画面へ表示した。


「『生物圏の安定化確認後』。誰が、何を確認するの?」


「地球復元委員会と、都市間環境復元局」


「東京で原本を見た人は?」


「農業局と外部生態担当が、要約報告を受け取る」


「要約じゃなくて、原本」


黒鉄は警備動線を閉じ、玲華を見た。


「帰還基準は俺の管轄ではない。今、都市を崩壊させないことが俺の仕事だ」


「人々は終わりがあると信じて耐えてるのに、責任者は終わりの条件も知らない?」


「終わりを知らなくても、今日の持続性が消えるわけではない」


黒鉄は下で動く群衆を示した。停電後、扉を開けなかった店が営業を再開し、中層市民は下層復旧基金の列へ並んでいる。記念週間の象徴と帰還神話が、都市を同じ方向へ動かしているのも事実だった。


「事実じゃなく、信念で維持される秩序も必要だと言うの?」


玲華が訊いた。


「復元は、一人の人間が確かめられる時間より長い。直接見られない結果を信じなければ、世代計画は一日も続かない」


「その信念を誰が修正したのかは、確かめなきゃ」


黒鉄は反論しなかった。代わりに、大阪原本への照会要求へ自分の行政キーを加えた。玲華の監査権限だけでは、都市間資料を開けない。


「返答が来たら、こちらにも共有しろ」


「委員会より先に?」


「俺が署名した。結果の責任も俺が負う」


玲華は聞き慣れた言葉に息を吐いた。


「いつも、自分が責任を負うと言う」


「誰かが決めなければならない」


「決められる側は、その責任を選んでない」


下で合唱が終わり、常盤の演説の一部が再び流れた。次の世代が選べる世界。黒鉄はその言葉を聞いても、表情を変えない。


「選択権は、崩れていない床の上にしか生まれない」


黒鉄が言った。


玲華は第42復旧区の水と、震える手を思い出した。床を守る人間に、その床が選べる場所なのかを訊くことは、いつも後回しにされていた。


大阪への要求状態が「受理」へ変わった。予想応答時間は12時間。画面には、人間の担当者が検討中という表示が出ている。


玲華は受付番号を個人端末ではなく、共同監査記録へ残した。答えが来た時、黒鉄と自分のどちらか一人では隠せないよう、坂本にも閲覧権限を送る。黒鉄は止めなかった。


玲華は要求項目へ、帰還基準を変更した根拠と審議責任者も追加した。要約版ではなく、修正時点ごとの原文を求める。黒鉄は範囲を削らず署名した。


少なくとも別の都市には、この基準を実際に扱う人間が存在した。


坂本は、記念館教育サーバーの廃棄予定複製を合法的に買ったのだと主張した。合法の範囲を訊くと、領収書の代わりに屑鉄商の連絡先を見せた。


洗濯店の壁面へ、復元暦十二年から現在までの教科書の文が並んだ。帰還予定を示す表現は、世代が変わるたび修正されている。最初は具体的な数値があった。


「地表生物圏の回復率六十パーセント達成時、試験帰還を検討」


復元暦三十八年の改訂版では七十五パーセントへ上がり、六十一年には数値が消えた。代わりに「種間安定性の確保」という条件が加わる。現行版は、委員会の確認だけに触れていた。


「基準を変えた理由は?」


玲華が訊いた。


「教育サーバーにはない。改訂承認番号だけ残って、原文は都市間保管庫へ行った」


「大阪?」


「その可能性があるだけだ。また先に結論を出すなよ」


坂本が玲華の言葉を返した。彼は改訂時期と実際の復元率を照合する。基準が上がった年には、地表水系で新しい有毒物質が見つかったり、復元種の繁殖率が急落したりしていた。変更のすべてが、根拠のない延期ではない。


「ほら」


玲華が言った。


「状況が変わったのよ」


「ああ。でも、どうして理由を教科書から消した? 『我々が間違えたから待つ』と書くより、『計画どおり進行中』のほうが楽だからな」


坂本は修正履歴から、削除された脚注を一つ復元した。「帰還基準は、不可逆的な生物圏回復を優先して調整される場合がある」。作成者は初期地球復元委員会。常盤本人の署名はなかった。


玲華はその文を何度も読んだ。生物圏を先に安定させるのは合理的だった。人間が急いで外へ出て復元を壊せば、方舟で耐えた年月が無意味になる。同時に「調整される場合がある」という文には、終わりを先延ばしにし続ける権限が隠れていた。


坂本は古い教科書の表紙裏に、生徒の落書きを見つけた。「私は三十歳で海を見る」。記入年から考えれば、その生徒は今、七十歳を越えているはずだった。


「生きていれば、まだ方舟の中だな」


坂本が言った。


「復元が終わっていないなら、待つしかない」


「いつまで?」


玲華は答えられなかった。証拠のない疑いで、常盤の計画を否定するつもりはない。だが答えられない期間を、希望とだけ呼ぶことも難しくなっていた。


玲華は教育サーバーの改訂履歴を監査一覧へ加えた。失踪者と医療記録を調べていた文書に、初めて地上帰還という項目が入った。


坂本は落書きが残る教科書ページを、そのまま保存した。公式改訂履歴より、一人の生徒の予定のほうが具体的だった。海を見ると決めた年齢を過ぎただけで、その生徒が嘘をついたわけではない。


教科書の文が変わったという事実だけで、誰かの悪意を証明することはできない。玲華は変更理由のない箇所と、実際に環境事故があった箇所を分けて印した。


無関係に見える項目をつなぐものは、まだ疑いではなく問いだった。


記念週間の三日目、下層復旧区へ新しい動員表が下りた。行事会場の電力と中央軸の照明を安定して維持するため、夜間交代をもう一回増やすという内容だった。


玲華が第42復旧区へ着くと、労働者たちは安全帽へ青い記念リボンをつけていた。リボンをつけなければ、行事寄与加算を受けられない。停電復旧と記念行事への参加が、同じ勤務表へ組み込まれていた。


「ポンプはもう安定したでしょ」


玲華が美緒へ言った。


「ポンプはそうです。代わりに中央軸の照明負荷が通常の二倍。農業区の冷却と下層の暖房を減らさないなら、こちらの緩衝設備を動かし続ける必要があります」


「行事の照明を減らしたら?」


「私が決定する項目ではありません」


美緒は相変わらず、故障の順番だけを語った。照明を半分消せば追加交代は不要になり、会場のホログラムを止めれば農業区の予備電力も確保できる。計算は明快だった。


玲華は委員会行事局へ、負荷削減案を送った。返答は、創設者記念映像は都市の統合と、停電後の心理安定に不可欠だというものだった。節電は下層の非必須暖房から適用せよ、という指示もついている。


玲華はすぐ黒鉄へ通信した。


「中央軸の装飾電力を切って」


「委員会が拒否した」


「あなたが緊急行政責任者でしょ」


「行事の中止は、停電が続いているという印象を与える。上層の商店と中層の学校が再び閉じれば、復旧物資の流れも止まる」


「だから下層の人間をもっと働かせて、正常なふりをする?」


黒鉄はしばらく黙った。その間に、作業列で一人の女がふらついた。玲華が支えると、大丈夫だと言って手を外そうとする。寄与点数画面には行事加算が表示されていた。


「家の暖房を入れるには、今日だけ埋めればいいんです」


玲華はその言葉を前にも聞いた。高橋も、債務が終わると言っていた。


玲華は現場指揮権を使い、中央軸三つの装飾区画への電力を遮断した。都市全体の画面は変わらないが、青いホログラムの明るさが半分へ落ちる。美緒の計算表から、追加交代2時間が消えた。


黒鉄が遮断承認欄へ自分の名を加えた。


「委員会からの抗議は俺が受ける」


「切ったのは私よ」


「だから、お前の名も残っている」


玲華は労働者の交代終了通知が、一斉に灯るのを見た。常盤を称える光は少し暗くなり、数百人が2時間早く帰宅できる。理想を記憶するために、必ずしも最も明るい照明が必要なわけではなかった。


帰宅する女は、安全帽の記念リボンを配給箱の上へ置いていった。少しして別の者がそれを取り、古い鞄の裂け目を縛った。偉人を称えるため配られた布は、下層で最も必要な用途へ戻った。


美緒は、減少した負荷の分だけ農業区の予備電力が回復したと報告した。照明を落とす選択は、象徴を壊さずに現実の設備を救った。


消えた装飾灯の下を、労働者たちの帰宅表示が長く続いた。


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