渋井大学附属病院
『アクエリアス・ブラッド』5
・渋井大学附属病院
その日、留衣は診療所を休みにした。息子の理央がいよいよ大学受験まで三ヶ月を切った為、付きっ切りで勉強を見ていた。それまで名門高校に通わせ、難問塾にも通わせて放ったらかしにしていた為、ふと不安になって勉強を自分が見る事にした。しかし推薦入学の為、特に不安な要素は無く、順調に行けば超難関医科大学、渋井大学に何無く合格出来るだろうと思い、勉強は午前で終わらせて午後はゆっくりと珈琲を飲んでソファで寛いでいた。するとそこへ渋井大学付属病院から電話が掛かってきた。
「もしもし?」
「阿津田君。今、時間あるかい?」
「加藤院長ですか。何かありましたか?」
「手術を頼みたい」
「手術を?そちらの病院なら優秀な外科医は余る程いるでしょう?」
「君の技術を学生に見せたいんだ。勿論、報酬は払う。どうだい?」
「……良いでしょう。今からですか?」
「あぁ」
「分かりました。今、行きます」
留衣は電話を切り、身支度をして車で渋井大学付属病院に向かった。病院の玄関に着くと孝之が待っていた。
「待ってたよ。さぁ行こう」
「はい」
孝之に連れられ、留衣は手術着に着替えて早速、手術をした。手術が終わると、喫煙所兼自販機コーナーに向かい、珈琲を購入して飲んだ。すると、そこへ一人の若い女性と一人の中年男性がやってきた。
「弧八生?弧八生じゃないか!?」
「え?」
「何故、この時代に生きてる?まさか蟹座の悪魔と契約したのか?」
「キャンさん、この方はどなたですか?」
「キャン……?」
留衣は「弧八生」という名前を聞いて思い出した。初代阿津田家の当主だ。そして「キャン」という名前と「蟹座の悪魔」という単語にとある事を思い出した。
「あぁ、もしかしてサイン・キャン先生ですか?」
「何?私の事を覚えていないのか?」
「私は阿津田留衣。弧八生は初代当主で、私は十代目になります」
「留衣?弧八生じゃなかったのか……それはすまない」
「あの……?」
「あぁ、カイト。この人は、というかこの人の先祖は阿津田弧八生と言ってな。昔、師匠の下で共に修業をしていたんだ」
カイトと呼ばれる男性は「成程」と頷いた。しかし留衣はよく分かっていなかった。
「あの、キャン先生は私の先祖とお知り合いで……?」
「あぁ。私は二百年前、君の先祖と共に医者の見習いをしていたんだ。弟弟子だったな。私はそのまま師匠の下で医者を続けていたが、弧八生は早々に独り立ちして出て行ったんだ」
「そうだったんですか。でも二百年なんて、何故そんなに生きていられるんですか?医学的に不可能ですよ?」
「蟹座の悪魔を知っているか?」
「蟹座の悪魔?あぁ、なんか先祖の書物に書いてありましたね。寿命を延ばす事と、病気にならない力を得るとかなんとか」
「そうだ。私は蟹座の悪魔と契約して不老の力と血の力を得たんだ」
「血の力?」
「そうだ。私の血は癌を発症させない力を持ってる」
「そうですか。私も似たような力ですね」
「何だって?」
「私の先祖である弧八生は水瓶座の悪魔と契約して人の傷や病気を癒す力を得たんですよ。代償として、生まれながらに寿命が半分になる家系になってしまいましたがね」
「水瓶座の悪魔?何故その儀式を知っていた?」
「さぁ?書物によれば黄道史枝という女性が残していった書物に水瓶座の悪魔についての文献があって、それを試したと書いてありました」
「シエ……!?アイツ、弧八生にも手を出していたのか……!」
「すぐに別れたというか、逃げられたらしいですよ」
「そうか。しかしアイツを止められず、悪魔と契約させてしまった事はシエの代わりに謝る。すまない」
「いえ。謝らないで下さい。契約をしたのは先祖の勝手でした事ですから」
「半分の寿命と言うと、今となっては四十から五十くらいがタイムリミット何ですか?」
「そうですね」
「今おいくつなんですか?」
「今年で三十九になります」
「じゃあ後、十年程という事ですか……お気持ち、お察しします」
「最初から定められた運命だと聞かされて育っているので特に悲観的に思った事はありませんよ。それに、この血の力で稼いでいますしね」
「稼ぐ?」
「キャン先生のお話は兼がね伺っております。先生も荒稼ぎをしているとか」
「私はあくまで人助けをしているだけだ。報酬は二の次だ」
「そうですか。でも金が無いと生きていけませんからね。私は鉦の為だけに手術をしています」
「……君は弧八生とは違うな。見た目こそ似てはいるが、中身は違う。下劣だ」
「下劣?金になるから医者をやっている。それのどこが下劣だと言うんです?」
「少なくとも弧八生は人を助けたいという気持ちで医者をやっていた。純粋な善意でな。だが君は人の心が無いように見える。医者の本文を見誤ってると思うね」
「見誤ってるのは貴方でしょう?働くという事は金の為ですよ。医者は善意だけではやってられない。邪な気持ちがあるから繁盛するんですよ」
「君とは分かり合えそうにないな。行くぞ、カイト」
「あ、はい。では失礼します」
キャンはさっさと喫煙所を去っていった。カイトは一礼してキャンの後ろを着いていった。留衣はカイトに一礼して缶珈琲を飲んだ。留衣は帰宅し、食事を摂って風呂に入ってベッドに上で横になった横になっていると、キャンの言っていた事が気に掛かった。自分は医者として何か欠けているのだろうか。ふと弧八生の書物の事を思い出した。そこには、医者とは何たるものか、気持ちが大切であると書かれていた。自分は医者として大切なことに気付かずに今まで過ごしてきたのだろうか。そこへ理央がやってきた。
「父さん」
「おぉ、どうした?理央」
「英語でちょっと分からない文法があるんだけど、教えてくれないかな?」
「あぁ、良いとも。どこだ?」
留衣は理央の勉強を見た。留衣は思った。自分は医者としての心は足りてないのかもしれない。だが、家族を思うこの気持ちは本物だと。家族の為に金を稼ぐ。それだけで良いじゃないか。他の患者も自分の色湯行為を同意しているんだし、自己責任だ。家族の為に生きる。そして死ぬ。それが自分の生きている意味であり、楽しみなのだ。そこに何の間違いがあるというのだ。キャンは間違ってる。弧八生もただの偽善だった。そう思う事で留衣は自分を正当化した。




