安楽死
『アクエリアス・ブラッド』3
・安楽死
その日、またも留衣は渋井大学卑属病院に呼ばれた。今回は孝之からの依頼ではなく、患者個人からの依頼だった。病院に着き、指定された病室に向かうと、そこは個人部屋で、一人の老人男性が横たわっていた。老人は起き上がり、留衣に椅子に座るように促した。
「初めまして。阿津田留衣です。私に依頼された石田英則さんですか?」
「はい。そうです」
「今回は何の用ですか?」
「先生に施術を依頼したくて」
「何故です?」
「私の病気です」
「癌か何かですか?」
「はい。肺癌です」
「ならこの病院で十分じゃないですか?」
「いえ、私はもう末期なんです」
「そうでしたか。では余生を過ごされたら如何ですか?」
「もうこの病院にいるのが嫌になりましてね。鎮痛剤を打っても、暫くしたらまた体の中が痛くなる。そんな日々なんです」
「それは大変ですね」
「九十歳という歳も歳ですし、手術は身体的に耐えられないと言われましてね」
「まぁ、そうかもしれませんね」
「入院費が嵩む一方でして、これ以上、家族に迷惑を掛けられないと思いましてね。いっそ死のうと思いまして」
「でしたらそういう施術をこの病院で受けたら良いじゃないですか」
「家族が許してくれんのですよ」
「何故?」
「家族だから、長生きしてほしい。それだけの事ですよ」
「家族だから、ですか……」
「内密に施術をしてほしいんです。先生ならそれが可能だとうわさを聞いています。どうですか?」
「そうですねぇ……まぁ私なら可能ですが、値段は法外ですよ?」
「覚悟してます。百万円でどうですか?」
「まさにピッタリです。分かりました。施術をします」
「ありがとうございます。ではこの小切手をお渡しします」
英則は小切手に百万円と書いてそれを留衣に渡した。
「同意書を書いて頂いても宜しいですか?」
「はい」
留衣は同意書を英則に渡し、サインと印鑑をしてもらい、返してもらった。
「契約完了です。施術はいつになさいますか?」
「家族と最期の別れの挨拶をしたいので、明後日の夜とかどうですか?」
「分かりました。ではまた明後日に」
そう言って留衣は帰っていった。翌日、英則は家族と別れの挨拶をした。家族は突然、何を言い出すのかと驚いていたが、涙を浮かべる英則を見て「あぁ、死期を悟ったのか」と納得して話を黙って聞いていた。別れの挨拶が終わると、遺言書を娘に託し、帰ってもらった。更に翌日、夜に留衣が訪れた。
「こんばんは。石田さん」
「あぁ、先生……」
「最期の挨拶は出来ましたか?」
「はい。もう思い残す事はありません」
「そうですか。では早速、施術に入ります」
留衣は予め抜き取った自分の血を入れた注射器を取り出した。
「それは毒薬ですか?」
「まぁそんな物です」
「そんな事したら毒物が検出されませんか?」
「これは特別性でしてね。安心して下さい」
「そ、そうですか……」
留衣は注射器を英則の腕に刺そうとした。すると英則はそれを一瞬、止めた。
「あの、これって痛いですか?苦しいですか?」
「針を刺す瞬間はチクッとしますが、多分、苦しむ事無く、眠るように死ねると思います」
「そうですか。もう痛いのはコリゴリなので……」
「すぐに楽になりますよ……」
留衣は自分の血を英則に注入した。英則は薄れゆく意識の中、ボソリと呟いた。
「あぁ……もっと、長生きしたかった……」
英則は絶命した。それを見て留衣は複雑な気持ちになった。そこへ孝之が現れた。
「そこで何してる?」
「別に。仕事をしただけですよ」
「仕事?君の血を必要としてる患者の依頼は出していないぞ?」
「この石田さんが個人で依頼してきたんですよ。まぁ、もう仕事は終わりましたがね」
「何っ……!?」
孝之は英則の脈を測り、呼吸を確認した。英則の死亡を確認すると、孝之は留衣を問い詰めた。
「お前!何をした!?」
「私の血を入れたんですよ」
「何故だ!?」
「石田さんが安楽死を望んでたからです」
「安楽死を……!?この病院でも可能じゃないか!」
「ご家族が止めたそうです。だから内密に事を進めようとして私に依頼してきたんです」
「……そうか。分かった。この事は私と君だけの秘密にしておこう」
「良いんですか?私を訴えなくて」
「この事が世間に知られたらこの病院の信用はガタ落ちだ。それに、患者に寄り添うのが医師のモットーだ」
「話が早くて助かります。では後の事は任せます」
「あぁ。ご苦労だったな」
「いいえ。では」
留衣は帰っていった。翌日、孝之は英則の家族に連絡した。英則の家族は病院の営業開始時間と共に現れ、英則の死に姿を見た。その顔は苦しんだ様子も無く、安らかな顔をしていた。家族は涙を流し、英則の手を握って別れの言葉を投げ掛けた。そして「最期までありがとうございました」と孝之に言った。孝之は「何も出来ずに申し訳ありませんでした」と頭を下げた。一方、留衣は朝になって朝食を食べながら英則の最期の言葉を思い出していた。「あぁ……もっと長生きししたかった……」。あの言葉が引っ掛かっていた。もしかしたら自分もそうなるのではないかと。自分が死ぬ時、自分は何て思うのだろうか。留衣が暗い顔をしてトーストを食べていると、亜久阿が話し掛けてきた。
「どうしたの?そんな暗い顔して」
「暗い顔?してた?」
「うん。何かあった?」
「別に……」
「そう?」
そこへバタバタとスリッパの音を立てながら二階から理央が駆け下りてきた。
「母さん!何で起こしてくれなかったんだよ!」
「起こしたわよ。でも『後、五分~……』って言って起きてこなかったじゃない」
「もう遅刻する!朝ご飯いらない!」
「朝食、摂らないと授業に悪影響だぞ」
「途中でコンビニでも寄る!」
理央は登校していった。
「あの子ももう中学生ね」
「時の流れは早いものだ」
「医者になれるかしら?」
「俺達の子だ。きっとなれるさ。実際、テストの点数も良いし」
「勉強以外にも遊ぶ事を覚えてくれたら良いんだけど……」
「俺達、一族は遊んでる暇なんて無い。医者として職務を全うするのが義務付けられてるんだ」
「……そうね」
留衣は少し焦り始めていた。留衣ももう三十六歳。タイムリミットはあと十年余り。家族サービスなんかした事が無かった。亜久阿も大学を休学してまで理央を産み、子育てをし、その後、復学して看護師となり、母親として理央を育てながら留衣の世話もして家事をしている。しかし遊んでる暇は無い。これが家族として成り立っているのか?そう思っていた。しかしそういう時はいつもこう思うようにしていた。よく父が言っていた言葉だ。「それが阿津田家の宿命」。仕方ない事だと。しかし残された二人は「私の事をどう思うのだろうか」とも思っていた。キチンとした父親だっただろうか。立派な夫だっただろうか。
そんな事を考えながら留衣は今日も依頼者が来るのを待っていた。




