【16話】不思議の国のオーク
どれだけの時間が経ったのだろうか、涙が止まり叫びたくなる衝動も落ち着いた所で、ぼんやりとした顔で城へと向かう。
その間に考えた事なんて何も無かった、頭が働かない、何も思えなかった。
ただ一つあるとするのなら、自身への罵倒のみだった。
城が見えてくると無意識に走り出していた。
「誰か……皆無事か?」
そう言いながら城の中を歩き回る、調理場、庭、俺の部屋、俺が閉じ込められていた部屋、いない、いない、いない、誰もいない、焦りが募っていく、このままだとまたパニックになってしまう。
ノアの部屋の前に来て手が止まる。
この部屋の人物は……俺が見放したんだ、俺が見捨てたのだから。
扉を開け恐る恐る部屋の中を見ると、ゼネが椅子に座り本を読んでいた涙が出そうになった。
よかった無事だった、弱々しい声で
「ゼネ……」
と言うと、俺に気づいたゼネは立ち上がり、礼をし
「おかえりなさいませクオ様、その怪我は一体? 早く治療を」
ゼネが駆け寄り、フラつく俺を支えてくれた。
人と会えた安心感からか、疲れが押し寄せ視界がグルグルとしてくる。
「俺の事はどうでもいい、そんな事よりザルツとピス達は?」
休む訳にはいかない、皆の方がもっと辛く苦しいのだから。
ゼネは心配そうな顔をしながら
「三人共、街にいます、ザルツはいつものカフェに、ピスとエーリヤ様もそのカフェで一緒に食事をしているかと」
それを聞くと礼を言い、壁を伝って歩く、顔が熱い意識がぼんやりとしてきた。
視界が……クソ……早……く……行か……なきゃ……抗うものの目を開け視界に広がるのは、雲一つない晴天とあの森の中だった。
あれ何で俺森の中に? 街に向かったはずじゃ……必死に先程までの事を思い出す。
意識が遠くなってフラつきながらも街へ行こうとしたはず……なら今の俺は眠ってしまっているのか。
早く目覚めてくれよ、何呑気に寝ているんだ俺は、本当にどうしようもない奴だ。
仮面を外し頬をつねったり両手でビンタをする、何故か痛覚はあったが目が覚める事は無かった。
ため息をつき座り込んでいると。
「遅刻しちゃう! あんな楽しいお茶会に遅れちゃうなんて」
もう聞く事が出来ないと思っていた元気な声が耳に入った。
急いで周りを見回すとスーツのような不思議な格好をしたヌンヌンが慌てていた。
歓喜の声を上げる。
「ヌンヌン!」
駆け寄ろうとしたがヌンヌンは近くの木に触れると、木に吸い込まれ姿を消してしまった。
意味が分からず止まっていたが、真似をして恐る恐る同じように触れてみると、掃除機のように木の中に体が吸い込まれていった。
抗えなかった、むしろ抗わずにこのままとさえ思ってしまった。
目を開けると空の色は同じだったが木は毛糸で出来ていて、編み物で出来たトランプが地面に突き刺さっていた。
ヌンヌンを探していると、少し離れた先に小さな尻尾を揺らしながら、遠くの方に走っていくヌンヌンが見えたので後を追うように走った。
ウサギを追いかけて不思議な世界に飛ばされる、これって不思議の国の――
「クオ」
名前を呼ばれ振り返ると、猫耳フードの着いたダボダボの服を着た少女が木の上に座っていた。
目元を隠しているのは変わらずに足をぶらぶらとさせ俺を見つめていた。
手を振り声をかける。
「はは、その服も似合ってるな」
少女は少し顔を赤く染めたまま、ムッとした口になり
「そんな事言っている場合じゃないよ、早く逃げないと永遠に続くお茶会から出れなくなっちゃう」
普段のカタコト口調じゃない事に喜ぶ。
別にいい夢じゃないか、ヌンヌンも生きていて、この子だって普通に話せて、むしろこっちが現実だったらどれだけいいか。
そんな事を思っていると何かに飛びつかれ頭から後ろへと倒れる。
血相を変えた少女が俺に飛びつき、胸をポカポカと殴る。
「どうしてそんな事思ってしまったの? ここは現実じゃないの、お願い早く目覚めて逃げないと」
少女の必死さとは正反対に俺は夢見心地の気分に包まれていた。
現実と違ってこの世界はなんて素晴らしいのだろうか、現実に戻ったって誰もいない、だって俺は誰も助けられなかったのだから。
どこからか小瓶が転がってきて手に当たる。
『EAT ME』
と書かれたラベルが貼り付けられていた。
中にはカラフルな金平糖がキラキラと光っている。
蓋を開けそれを一気に口に流し甘さを味わおうとした、一切溶ける様子が無い。
少女の顔は青ざめ俺の体を揺らす。
「食べちゃダメ! それは(ノイズ音)だから、お願い吐き出して、ペってして早く!」
どうしてこの子はさっきからこんなに必死なのだろうか、そんなに夢の中にいてほしくないのだろうか一体それの何がダメなのだろうか。
ぼんやりとしていると、何かをハサミで切るような音が聞こえてくる。
少女は怯え、猫耳フードの方の耳を押さえて震えていた。
「そうよね皆仲良く楽しくずっと平和に過ごす方がいいに決まっている」
誰かの声が聞こえる、憎くて不快で嫌いだったはずなのに誰か思い出せない。
薔薇の飾りが着いた真っ赤なドレスの女が
「ようこそアリス」
そう聞こえた瞬間、着ていた服が白色のシャツは水色へ、黒色のズボンは白色へと変わっていた。
女は俺に近寄り紙切れを渡す
「あの時計が三回グルグル回ったら次のお茶会の時間になるの、是非いらしてねアリス」
目を歪ませ、口元に手を当て、クスクスと笑って去って行く。
影が重なったかと思うと、少女に押し倒され上に乗られる。
抵抗する気も無かった別にこのままあの時みたいに首を絞められてもよかった、夢の世界なら寝ることも死ぬ事も出来ないだろう。
少女は真剣な顔で
「ごめんねクオ」
謝ってきたかと思うと、口に思いっきり細い腕を突っ込まれる。
吐き気が込み上げてくる、流石に夢見心地だからといって許容出来ずに抵抗した。
見た目からは信じられない程の力だ、片手で両手を押さえつけられ奥へ奥へと腕が入り込んでいく。
涙が出てくる、何故夢の中ですらこうなるのか、抵抗も虚しく我慢の限界だった。
も、もう無理だ、顔を横に向け
「うっ……ゴホッ……うっうっ……ヴォフォ……」えずきながら吐瀉物をぶちまける、胃の中にあったはずの金平糖は溶けずにそのまま残っていた。
少女が俺から離れたので、座りうずくまる。
「何なんだよ……ほっといてくれよ目が覚めて何になるんだ、このまま溺れさせてくれよ」
そんな俺に少女は優しく抱きしめ頭を撫でる。
文句の一つでも言ってやろうと少女に顔を向ける。
「君はさっきから何が――」
言葉を遮られる、え、何で話せないんだ、というより今何されて……口に直で柔らかい感触を覚える。
「んっ……んぐ……」
いつ仮面が……あの時仮面まで消えてしまったのか、思考を巡らせるよりも、身に起きた経験しか考えられなくなっていく。
口の中に酸味が広がる、概ね胃液の味だろうか。
頭が沸騰しそうだ、少女を引き剥がそうとしたが、それよりも強い力で体を寄せられ、す、吸われている……麺類でも啜っているかと思うくらいの下品な水音が耳へ頭へと響く。
夢の中だというのに鼓動が爆音でSOSを出していた。
ゆっくりと顔が離れて行き、舌先から白い糸が伸びて垂れ下がっていく。
もう終わったというのにずっと顔に熱を帯び、息が上手く吸えている感覚がなかった。
名残惜しそうな顔をした少女が
「大好きだよ……クオ」
いたずらっぽく笑い舌を見せる、舌の上には俺が飲み込んだ金平糖……違うこれはただのビーズだ。
やっと意識がはっきりとして
「な、何で飲み込んで……」
立場が変わり、少女の肩を掴み揺らす。
「どうして俺なんかを助けたりしたんだ……」
少し間が空いてから頬に触れられる、反応が明らかに鈍かった。
また俺のせいで誰かが犠牲になるんだ。
「ごめん……俺のせいだ」
必死に謝って謝って謝り続けた、全てを許されたかった、こんなの自己満足だ、だってそうだろう? 謝ったって何の意味も無いのだから。
か細い少女の声が聞こえてくる、顔を近づけ耳を澄ます。
「違う……クオは何も悪く……(ノイズ音)(ノイズ音)(ノイズ音)自分のせいだって……逃げ……」
上手く聞き取れない、それが余計に苦しい。
必死に聞き取ろうとしたのに、歪な時計の音が大きく鳴り響く、残念ながら俺達の時間は終わりを迎えてしまったようだ。
首に冷たい感触がしたかと思うと後ろに誰かいる、振り返らないと、なのに体が動けなかった。
体に首に巻きついているこれはこれは糸? 視界が暗転する、それは瞬きをしたからか、首が切り落とされたからかは分からなかった。
目が覚めると椅子に座っていた、テーブルの上には一切れの歪なケーキとカラフルなお菓子に見せかけた玩具達、取り囲うのは招かれた客達。
ヌンヌンは行儀悪く見せかけだけの菓子類を貪り、遠くに座る帽子を深く被った男は、ただ静かに何かを待っているようだった。
どれだけ探してもあの少女の姿は見当たらなかった。
不快な女の声が頭の中で響き渡る。
「さぁ、アリスさえつゅはいかが? あら熱いかしら? さかるを入れてあげる」
いつの間にか持っていたカップに何かが浮かび上がる、浮かび上がったのは真っ赤なウサギの目玉。
ひとりでにカップが割れ真っ赤な液体が溢れる、周りの皆は死体のように動かない、糸で無理やり椅子に縛りつけられているだけだ。
夢から覚めないといけない、机にあるフォークに手を伸ばし、自身の手のひらへと突き刺す。
痛みも血も流れなかった、目線を下に落とすと、皿の上にエーリヤの生首が転がっていた。
絶叫しながらフォークを引き上げる、刺された頬から生クリームが吹きこぼれる。
目がギョロっと動き、目が合ってしまった
「クオ様痛い……どうしてこんな事をするのですか」
エーリヤの目から血のようなイチゴジャムが流れ落ちる。
口を力任せに押さえる、吐き出さないように、叫ばないように、しかし涙は止まらなかった。
「ごめん……エーリヤ……ごめんなさい……」
首に糸が巻きついていく、クスクス、誰かが後ろで笑っている。
スポットライトに照らされ、ハサミの上に乗って女王が現れる。
女王は、いや魔女は俺を指さし笑い歌う、楽しそうに狂ったように。
魔女は馬鹿にしたような声色で
「現実に戻って何が出来るの? 私の言った通りでしょう? 貴方なんかじゃ何も出来やしない、また無駄に傷つくだけよ」
クスクスと笑われる。
手が伸びてくるこのままされるがままでいいのか? 抗おうとするものの力が出なかった。
「やっと貴方を導ける、おいで皆待っているから」
頬を撫でられる、相変わらず死人のような冷たい手、人形って皆こうなのか、でもだったら何であの子は……そう思っていると強い力で後ろへと引っ張られる。
白いふわふわの毛玉が前へと飛び出す。
「ヌンヌン?」
どこも歪になっていない、出会った時と同じ姿のヌンヌンだ。
ヌンヌンは振り返り笑顔を見せる
「クオなら大丈夫! 信じているから、待ってるね」
ヌンヌンが手を振っている。
そのまま走ろうとすると手足が糸に絡みつく、せっかくヌンヌンが引き剥がしてくれたのに魔女が近づいてくる。
目の前に帽子を深く被った男が現れ、帽子を押さえたまま、軽く頭を下げて礼をし、剣で糸を切る。
「クオ殿、君なら大丈夫だ、どれだけ時間がかかろうとずっと永遠に待っている」
ヌンヌンとノアに背中を押される。
そうかやっと分かった俺のすべき事が
「ごめん……絶対俺が何とかするから」
心の中でも、何度も謝罪を繰り返し、背を向け走り続けた。
この世界に転送した木の前まで何とか到着し、触れようとすると、何かに袖を引っ張られた。
「ア、ハハ、アリス遊ぼうよ」
そこに居たのは、動きは今まで以上にぎこちなく、ツギハギに縫われてしまった、変わり果てた少女だった。
また泣き叫びそうになったが耐え、少女を抱きしめ約束をする。
「絶対俺が助けるから……」
そして前を向き木に触れた、振り返ると皆が手を振っていた。
ほら皆が見ている見守ってくれている俺だけなんだ俺だけが今の状況を知っていてこれは俺だけにしか出来ない事なんだ、俺が何とかしないといけない、いや絶対にしなければならない俺が俺だけだ俺がやる俺が、あは、あはは、待っててくれすぐ全員助けるから。




