表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/24

共鳴の飛沫

艦内カフェテリア。

換気が悪く、甘ったるいカカオと、焦げたレトルト麺のにおいが漂っている。だけど、私はそれを嫌いじゃない。誰もが慌ただしく栄養を詰め込むこの場所は、飾り気がなくて、正直で、落ち着く。

テーブルの向こうで、彼は静かに座っていた。


彼――アレス・カイン。


誰も名前を呼ばない。

あれだけの戦果を挙げたのに、誰一人として彼の名を口にしないなんて。

おかしいでしょう? 誰よりも早く、誰よりも正確に、シュレーディンガーを操縦したのに。


でも私は、ちゃんと覚えてる。

カイン訓練生。最初のブリーフィングで、名簿を見たときから。

あの時の直感は間違ってなかった。


私は泡立つプロテインシェイクを彼の前に差し出す。


「栄養、摂ってる? ヒーローの燃料切れは、絵にならないから」


アレスは驚いたようにこちらを見たあと、眉を少しだけ動かした。


「……ヒーローなんて、柄じゃない」


そう呟きながら、プロテインシェイクを受け取ってストローを咥える。


「……甘い。けど、悪くない」


私は思わず笑ってしまった。


「ふふ、それは誉め言葉として受け取っておくわ」


あの笑み――こっちが笑っただけなのに、少しだけ表情を緩めてくれるその顔が、なんだか貴重なもののように感じる。

夜間照明に瞬くだけの流星――掴めなくても、確かに軌道を照らすもの。


私はタブレットを起動し、今日のフライトログを彼の前に表示した。


「ねえ、あなたの入力とシュレーディンガーの応答、統計上では“ほぼ同時”なの。わかる? 普通のパイロットなら0.1秒は遅れるのに」


彼は視線を落とし、タブレットの画面を見ながら、小さくつぶやく。


「……機体が僕の先を走っただけだよ」


まるで、自分はただ機械に乗せられていただけだとでも言うように。

でもそれは、ただの嘘。しかも、言い訳にもならない。


私はきっぱりと首を振った。


「違うわ、共鳴よ。あなたとシュレーディンガーは、“感応”してるの。

誰も理解できなくてもいい。私は、解析してみせるから」


彼は目を伏せたまま、かすかに肩を揺らした。

それが否定か肯定かはわからなかったけれど、逃げているようには見えなかった。


私は、意を決して口を開く。


「ねえ、ひとつ訊いてもいい?」


「……何?」


「あなたって、本当にどこから来たの? 名簿には“軌道都市カルナリア出身”ってあったけど……」


アレスはプロテインのカップを見つめたまま、しばらく黙っていた。

そして小さな声で呟く。


「カルナリア……だった場所、かな。今はもう、存在しない」


「事故……?」


「――いいや、“未観測”になったんだ。あそこにいた記録は、もうどこにも残ってない。多分、誰の記憶にも」


その言葉に、思わず息を呑んだ。

存在しない故郷。記録されていない過去。

それは彼の虚ろさ、どこかこの世界に触れていないような“浮遊感”の理由なのかもしれない。


「……なのに、あなたはここにいるのね」


アレスは静かにうなずいた。


「観測される限り、僕は“存在”する。だから、戦ってる。誰かの視界に、まだ引っかかっていたいから」


私は胸の奥に熱いものがこみ上げるのを感じた。

彼の名前を、彼の過去を、誰よりも知ることができた――

それは、言葉にならないほどの喜びだった。

誰も知らない、誰も見ようとしない彼を、私だけがちゃんと「知っている」という実感。


「……じゃあ、これからも私が観測してあげる。何があっても、あなたが“そこにいる”って証明する」


私の言葉に、アレスは初めて、ほんのわずかに笑った。

その笑みは一瞬で消えてしまったけれど、確かに“そこに”あった。


カップ同士が軽く触れて、小さな音を立てた。

泡が弾けた音と、たった一人だけに届いた未来の鼓動。

私は、それをずっと、手放したくなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ