42:難敵を前に
九本の首を持つ怪物を、静かに見上げる。
首たちはそれぞれに独立して動き、周囲を見回している。たぶん食糧のカエルを探しているのだろう。目が悪いのか腹が減っているのか、今のところオレたちに気づいて攻撃してくる気配はない。
首はぬるぬると熱帯の木々の合間を動く。
一方で胴体はまったく動く気配を見せない。あるいは重すぎて動くのが難儀なのか。物理演算が徹底されたこのゲームなら、そういうこともあるかもしれないな。
ともかく、先制攻撃は取れそうだ。
静かに刀の柄に手を添える。
「ハスキー殿、まさか戦う気でござるか!?」
「? そのまさかだが」
そりゃあ接敵したのだから戦うだろう。
とオレは思ったのだが、山風とシスターの意見は違うようだ。
戦闘準備に入る様子がない。むしろじりじりと後ろに下がっていく。
「――無理です。撤退しましょう、ハスキーさん」
シスターがそう提言する。
「なぜです。まだ一合もやりあってないのに」
「やりあわずともわかります。あれは放浪ボスです」
「放浪ボス……?」
聞かない単語だ。このゲーム固有の用語だろうか。
そんなオレの怪訝を受けてシスターが口を開いた。
「通常、モンスターのレベルはそのエリアの適正レベルに準じます。これはわかりますよね」
「ええ」
「この決まりはエリアボスたる聖獣すら例外ではありません。彼らはとてつもなく強いですが、そのエリアで鍛え続ければ倒せるようにレベルデザインされているモンスターなのです」
「そんなの、ゲームとして当たり前の話じゃないですか」
ザコを倒して強くなり、ボスを倒して先に進む。
それはゲームのお約束――というより大原則だ。
そんなオレの考えを、しかしシスターは「いいえ」と否定した。
「放浪ボスはそうではないのですよ。複数のエリア間を移動して暴れまわる特殊なモンスター。だからヒュドラの適正レベルがどのくらいなのかすら、誰にもわからないのです」
「参考までに、ベータ版ではプレイヤーはみなレベル50くらいまで行ったでござるが、放浪ボスは結局一体も倒せなかったでござる」
「――なるほど」
FOEとか死神とかアイテムを使ったら怒るヤツとか、そういう系統の敵なんだな。レベルや研究や努力次第では倒せないこともないが、初見で真っ当にやったら絶対勝てないようにできている敵。
出現場所を間違った、強すぎるモンスター。
それが――ヒュドラか。
「話はわかった」
「よかった、わかってもらえたでござるか。なら――」
「ああ」
二人が戦いたくない理由はわかった。
けれども、オレにとってはあまり関係ない話だったな。
「二人は撤退してくれ。オレはやるだけやってみる」
「え――」
「な――」
むう。そんなお手本みたいな絶句をしなくてもいいじゃないか。
それも二人して。
「なぜです。どう考えても現時点で倒せるモンスターではありませんよ」
「そう、ですね。たぶん倒せないでしょう」
オレだって別に自信や勝算があるからやるわけじゃない。
強い敵がいるなら、挑まずにはいられないだけだ。頭の冷静な部分は勝率の低さを訴えている。
「けど、このゲームにはデスペナがない。それなら――」
仮に負けるとしても、いやはなから負けるつもりで戦うのはよくないことだが――もし負けたとしてもだ。所持金もアイテムも経験値もロストしない。
「それなら、負けて失うのは命だけだ。問題はない」
刀を抜く。
構えを取る。
ヒュドラをにらむ。
向こうはまだ攻撃の意志すら見せてこないが、少しずつ首が近づいてくる。もしもこちらから数歩踏み込めば、それだけで反応がありそうだ。
「……仕方ないでござるな。シスターは撤退を」
「山風?」
「ハスキー殿、拙者も付き合うでござるよ」
「いいのか?」
「貧乏くじを引くのも、仲間の仕事のうちでござろう」
なにせパーティでござるからな、と言う山風の方を、オレは見れなかった。
嬉しくてニヤけた顔を見られたくなかった。
ほんといい男じゃないかよ、お前。
「――はあ、仕方ありませんね」
シスターは大げさにため息をつき、オレたちを見回し、一度空を仰ぎ――そうして杖を構えた。
「そんなことを言われては逃げられませんよ。私はヒーラーなんですから」
そうしてオレたちは三人揃ってヒュドラと対峙した。
向こうはまだ、こちらに目もくれない。
それでも――戦いは今、始まったのだ。




